ep.3-10 名案



 もと来た回廊へと戻り、その先の屋敷内への曲がり角を急ぎ通り過ぎて、ルミナはずんずんと進めていた足をようやく止めて、背後の長身の男を振り返った。

 途端、にこにこと笑顔を浮かべるソカロと視線がかち合い、慌ててルミナは俯く。同時にソカロに絡めた自分の腕が目に入り、慌ててそれを振りほどく。

「あわわっ!すすすすみませんっ! つい、とっさのことだったので……そのっ!」

 先程の態度はどこへやら。慌てふためくルミナに、ソカロはきらきらとした瞳を向けじいっとルミナを見つめている。その視線にだったルミナからは蒸気が昇るかのようであった。

 そしてやぁっとソカロがその視線を切り、口を開いた。

「ありがとルミナ! すっごく困ってたからとっっても助かったよ!」

 そして満開の笑顔をルミナに向ける。自分だけに向けられたその輝くばかりの笑顔にルミナは言葉にもならない言葉を口走ると意識を手放した。

「えええーー!」

 ルミナが昇天しかけるのを慌てて「ほっぺをぺちぺちすること」で食い止めたソカロは、ほっと一息ついてルミナをしっかりと立たせると先を促す。

「俺も一緒に付いてくから。さ、行こ!」

 その言葉にルミナはふるふると頭を振って、茹だる頭をなんとか任務モードに切り替える。今度はこくこくと頭を立てに振って大仰に頷いた。



 二人は連れ立って地下の一室を目指す。目的のその場所はワインセラー。

 ヂニェイロ家当主はワイン愛飲家としても有名で、大規模なワインセラーを地下に持つ。

 そして必ずヂニェイロ家当主は日に何度かは足を運び、その光景に目を細め、熟成の様子を眺めているらしい。

 通常、重要な書類は厳重な施錠せじょうをされた金庫にしまい、監視の行き届く部屋に保管されるものだが、そこに気をとられ今まで前任たちはあざむかれてきた。

 苦労して持ち出してもそれはダミー。良くて裏の取引とは何も関係ない真っ白な文章。そして、あらぬ疑いをかけられたと主張するヂニェイロから手痛い報復にってきたのだ。

 ヂニェイロはあらゆる情報を操作し、幾人の敵から重要な帳簿や財産、自らの命を守ってきた。その手に関しては恐ろしいまでに狡猾こうかつ

 しかし、今回ばかりは――。


「私たちの勝ちね」

 ルミナがとあるたるの前で口端を引き上げる。

「これか~! 開けてみる?」

 ソカロがそわそわしながら、色んな角度から樽を観察し、ルミナに尋ねる。

 広大なワインセラーは屋敷面積の半分を占めるのではなかろうかと思うほどで、赤、白、ロゼとパーテーションで区切られ更には製造年月で棚に分類されている。

 ボトルに詰められたものが半数、もう半数は、いま目の前にあるようなワイン樽。一生掛かっても飲み切れないのではないかという総数に、蔵に入った時は思わず驚きの声が漏れた。


「ん~〜。そうね、間違ってたらワイン塗れになりそうだけど……白のカロカッタラフ、569年物。家紋の逆印字。……この樽で間違いないわね』

 ルミナは頭に叩き込んだ情報を復唱し、樽に焼印された家紋が逆になっているのをもう一度視認してからソカロに目線を戻す。「どこかに開き口があるらしいんですけど」と呟くルミナにソカロは頷いて、下段に置かれた樽の前に膝を突き、覆い被さるようにして樽を調べはじめた。

 しばし樽を触りながらとっかかりを探すソカロが左側面の下方に触れた時、微妙な違和感を指先が拾った。

「ん、あった!」

 隣の樽が邪魔でよく確認できないが、樽の板目に垂直に走る一本の線を指先でなぞり爪を立てる。なかなか開かないそこに必死に力を加えるが、表面に傷を付けるばかりで上手くいかない。

「んん~っどうすればいいのかなっと! おわっ」

 ソカロがどう開けるものか悩んでいると、触れていた樽の木版がわずかに奥まったように感じた。

「あっ、ソカロさん! こっち正面、蓋が開きそうですよ!」

 どうやら先程の木版部分が樽蓋を開けるスイッチのような仕掛けになっていたらしい。

 引っぺがそうとしていた自分を少し恥ずかしいと思いつつ、ソカロは樽から身を離すと、真正面の円形部分の蓋に手を掛け「えい!」とすっぽ抜いた。途端。

「わ」

「見つけたわ…!」

 樽蓋の蝶番ちょうつがいごと引き抜いた為、中の書類が雪崩の様に床へとこぼれ出てきた。

 その内容は間違いなく、目当ての裏帳簿。ヂニェイロが裏で関与した取引、武具の物流ルートや取引相手など。さっと目を通すが、証拠としては充分なものである。

 床に流れ出た書類を幾枚か取り上げて目を通していたルミナだが、その中から最近の日付のものを抜き出して胸元にそれらを仕舞うと、立ち上がった。

「これで仕事は終わりね。さて早いトコ脱出しなくちゃ。ソカロさんっ!」

 ルミナの声に、溢れた書類をぞんざいに樽の中に放り込み、むりやり蓋をはめ直したソカロも立ち上がる。

「うん! …あ、で、ブレイ達はどうなってるの?」

「ああ、ブレイた……ああああ!!」


 突然のルミナの大声にソカロは思わず両手で耳を塞いだ。広いワインセラーには予想以上に声が響く。

 それにちょっと慌てたルミナは声を落とす。

「か、帰りの合流どうすんだろ……。当初とはだいぶ予定狂っちゃってるし、帰る時に私がいないんじゃ、あの二人マズイわよね、やっぱ……。あわわわ、ブレイのばか~〜…なんでここまで頭回してないのよう、聞いてない~〜!」

 がっくりと肩を落とし、頭まで垂れた、どんよりムードのルミナにソカロは困ったように首を傾げた。

 ルミナは腕っ節には頼るところがあるが、反面、考えごとには向かない。二人に上手くこちらの首尾を伝え脱出方法を示唆しさ、あるいは提示するなんて到底考え付かない。

 ……というか、そんなことは頭の容量的に無理である。こういう仕事はブレイの担当するところだ。

 あまりの状況に軽く眩暈めまいがし始めたルミナの肩にぽん、と手が置かれた。半分涙目で見返す先にはソカロのにこにこ笑顔。

「大丈夫だよルミナ! 俺、良いこと思いついたから!」

 自身ありげな表情のソカロに、ルミナは「?」を浮かべてその案に耳を傾けた。

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