第33話 悪夢


 モンスターの奇声が響き渡る。


「ぐぎゃ!ぐぎゃ!」


「あぎゃ!あぎゃ!」


 その度に、キララの歓声が上がる。


 何とも可愛い声で喜ぶのだが、モンスターが怖くないのだろうか。


 更に、俺がモンスターを葬る。


「あんぎゃ~~!あんぎゃ~~!」


 更に大歓声で大喜びする。


『流石は竜人族だね。全くモンスターや戦いを怖がっていないようだよ』


 キララの様子を見たカオルが感想を述べてくる。

 いやはや、全くその通りなのだ。


「だけど、めっちゃ可愛いよね」


 ああ、お前には懐かないけどな。


 そう、何故かキララはマルカに全く懐かないのだ。いや、それ処かマルカの事をとても嫌がるのだ。

 俺が思うに、多分、お腹に大穴を空けられたり、卵焼きにするとか言われた所為ではないかと......


 そんなキララは今も俺の背中で手を叩いて喜んでいる最中だ。


 数日前、卵から孵ったキララに驚きつつも、ミルクを与えて遣り、風呂に入れて遣り、名前を付けて遣りと、色々と大変だったが、今ではその笑顔の可愛らしさから、心和ませる存在と成っている。


「ねえ、お兄ちゃんは、キララが話してることが解るんだよね。なんて言ってるの?」


「ん?そのまんまだぞ?アヒャ~とかキャハ~とか言ってるだけだ」


 そう、色々と声を発するのだが、その中で解るのは、「ご飯」と「ママ」の二つしかない。


 俺としては、おしっことかも言って欲しいのだが......

 といのも、ずっと俺が負んぶをしているのだが、糞尿を垂れ流しにするのだ。

 キララの服は貫頭衣なので、そのまま下に落下するのだが、俺のお尻から足にかけては、彼女の糞尿で大変た事になっている。

 それはもう、戦闘どころでは無いと言える程なのだよ。


 それでも、潜行は衰える事無く進み、現在のところ地下七十階に到達している。

 残すところは三十階なのだが、ここにきて苦しくなってきた。

 というのも、出現するモンスターが強くなってきたからだ。

 とは言っても、初期化される前のキララほど強い訳では無い。しかし、ダンジョンを潜行する速度が鈍っているのは確かなのだ。


『颯太、レベルアップってあとどれくらいなんだい』


 潜行速度が鈍っている事を悩んでいると、カオルがレベルアップについて尋ねてくる。

 だが、俺としては今は経験値を見たくないのだ。

 というのも、気にし始めると、どうしても気が逸るからだ。

 そうなると、焦りからついつい無理な戦い方をしてしまって、モンスターからの攻撃を受けてしまうのだ。


『悪いが、今は見たくないんだ』


『まあ、颯太は心が弱いからね~~。その方がいいかもね』


 ぬぐぐぐ、言い返せないのが悔しい......


 カオルの指摘に歯噛みをしていると、脳内嫁が話し掛けてきた。


『レベルアップしたら、今度は剣スキルを上げるんだよな』


 以前、この世界の住民が知らないレベルアップやスキルについて話して遣ったら、意地でも自分を使って欲しいらしくて、俺に剣スキルを取れと煩いのだ。

 終いには、金属バットなんて捨ててしまえと言っていた。

 だが、エルも何時かは人間に戻るのだし、別の武器は必要なのだ。

 オマケに、これまでの苦楽を共にしてきた奴だし、そう簡単には手放せないのだよ。


『お腹空いた~~~!』


 どうやら、夕食の時間が来たようだ。

 ミイ時計がアラームを鳴らし始めた。


「じゃ、今日はここまでにするか」


『そうだね。僕も歩き疲れたしね』


 そう、キララと出会ってからというもの、あまりカオルを抱いて歩くことが無くなったのだ。

 何故なら、カオルを抱くとキララが彼女に悪戯を始めるからだ。

 どうも、キララはマルカの事は嫌いだが、カオルの事は痛く気に入っているようで、俺が抱いていなくても、隣にカオルが居ると泣かないのだ。

 しかし、その間のカオルは、完全にキララの玩具にされてしまうので、カオルは極力キララに近付かないようになった。

 その原因は、ご自慢の髭を数本は抜かれている所為だな。


 あと、変わった事と言えば、キララは既に離乳したようで、昨夜から肉を喜んで食べるようになった。

 人間に比べると、異様に早い離乳だが、抑々が竜人である事を考えると、別に不思議に思う程の事でもない。

 それどころか、そのお蔭で、俺の尻と足が濡れる回数が減ってきたのは、喜ぶべき事なのだろう。

 ただ、困った事もある。

 それが何かと言うと、キララも肉食系女子だったのだ。

 それも、異様な程の量を食うのだ。

 その量は、凡そ、ミイやエル達の三倍は平らげるのだ。

 この小さな体の何処に入るのか不思議でならないが、ここが糞ゲーワールドである事を思うと、大した事でもないと思えるのは、俺の感覚が完全にマヒしているからだろう。


「あんぎゃ!あんぎゃ!」


 俺がカオルの肉を焼いていると、負んぶされているキララが騒ぎ始める。

 だから、大目に焼きながら、時々、つまみ食いをさせてやるのだが、カオルの目がキラリと光、透かさずツッコミが入る。


『颯太はキララに甘いようだね。親バカなのかな?』


 大した内容のツッコミではないが、その声は絶対零度のように冷たい。


『ほら、出来たぞ』


 俺は言い返すより、飯を与えた方が静かになると判断して、さっさと程好く焼けた肉を木皿に盛って渡す。

 すると、流石に好物のカルビには勝てないのか、瞬く間に機嫌を直して食べ始める。


 残る問題は、脳内嫁エルと脳内愛人ミイの二人だな。

 兎に角、飯の時間は騒がしいのだ。

 確か、頭痛薬の宣伝か何かで、頭の中でゾウさん暴れてるの? という台詞があったが、まさに竜が脳内で暴れているかのようだ。


 そんな二人を無視して、テキパキとマルカの野菜炒めを作って彼女に渡すと、お腹が空いてご飯を待ちきれなくなったキララが俺の首に噛みついた。


 なんてこと無いキララのその行動で、俺の意識は暗転して、脳内嫁と愛人の声すら届かない暗闇へと落ちて行くのだった。







 気が付くと俺は走っていた。

 右側には綺麗な彫刻が施された柱が幾本も並び、左側にはやはり美しき装飾が施された石壁が続いている。

 足元も四角く整えられた石が敷かれ、何処かの城か神殿の中に居るような印象を受ける。

 ただ解らないのは、何故俺がこんな所を走っているかという事だ。

 不思議に思い、色々な情報をインプットしてみる。


 何故か腕が細い。

 何故か腕が白い。

 何故かスカートを穿いている。

 走っているのに、走っている感覚が無い。

 俺の意思で止まることが出来ない。

 俺の意思で視線を変える事が出来ない。

 俺の意思で喋ることが出来ない。


 ここまで来ると、流石に知能の低い俺でも誰かの中に居るのだと気付く。

 ミイやエルも俺の中でこんな感じなのだろうか。

 いや、奴等は俺の見えていない処も見えている。

 てか、ミイとエルが何も言ってこないのも不自然だ。

 これは言った如何いう事なのだろうか。


 そんな疑問を持てど、何も出来ない俺は、ただただ器となっている女性の行動を注視するしかない。

 その判断を下した時、女性の脚は豪華な広間の前で止まる。


「父上、人族が攻めてきていると聞きました。これはどういう事でしょうか。竜人族と人族は共存の道を歩む事を取り決めた筈です」


 脚を止めるなり、器となっている女性が力強い声で申し立てた。

 俺の視線の先には、玉座と呼ぶに相応しい椅子に座った男が居た。

 その男は俺に向かって眉間に皺を寄せ、その女性の言動を窘めた。


「おお、キララーシャか、乙女がそのように大きな声で騒ぎ立てるでない」


 ん、今、このおっさん何て言った? キララーシャと言ったか?

 それに、竜人族って...... あ、玉座に腰を下ろす男の頭からは角が伸びている。

 もしかして、これがカオルの言っていた竜人族か?


「ですが、父上」


「もう良い。それよりも、こちらに来るがいい。お前に話があったのだ」


 玉座に座る父親は、眉間の皺を解き、和やかな表情でキララ―シャを呼ぶ。

 すると、器が玉座に向かってそそくさと歩き出す。

 どうやら、このキララーシャという娘は少々お転婆な女らしい。


 キララーシャが玉座の前に辿り着くと、玉座に腰掛ける父親が厳しい表情で話を始めた。


「人族はな、あの神々共に踊らされておるのだ。彼等人族は我々と違い寿命が短い。その所為で神々の悪辣な所業を常に消去され続けているのだ。それ故に彼等人族は踊らされていると言っても良い。だから、何があっても人族を憎むでは無いぞ」


 優しく言い諭す父親だが、キララーシャは烈火の如く己の心情をぶちまける。


「しかし、父上。我らは強く長寿ですが、繁殖力が低く、このままでは......更に、あの下種共は人族に聖剣なるものを授けたと聞き及んでおります。このままでは我等竜人族が滅んでしまいます」


 娘の話しようは苛烈なものであったが、玉座に腰掛ける父親は和やかな表情で手招きをする。

 すると、娘は玉座の直ぐ傍で跪く。

 そんな娘の頭を優しく撫でながら、父親は使命を与えるべく口を開く。


「キララーシャ、お前はこの城を出て、あの神々共を倒す術を見つけ出すのだ。これが王であるワシの命である」


「しかし、父上......」


 父であり、王である男の命に反論しようとした時だった。

 この広間の入口から慌ただしい気配とただ事ならぬ呻き声が聞えてきた。


「どうやら、参った様だな。思ったよりも早かったのう」


「やつは何者ですか」


 闖入者の存在に、父親が予期していたような台詞を口にすると、娘はその存在について尋ねる。


「あれはな。勇者だ。神に踊らされし哀れな者だのだ。だから、決して憎むでは無いぞ。そして、ワシの使命を忘れるではないぞ」


 父親はそう言って、娘の頭を撫でていた手から光を放つ。

 次の瞬間、俺の意識は再び暗転するのだった。







 不気味な鳴き声が響き渡る。

 奇声、唸り声、悲鳴、呻き声が耳に届いた。

 瞼を上げると、そこには見慣れた天井、いや、ダンジョンの内壁が目に入った。

 どうやら、夢を見ていたようだ。

 だが、あの夢はなんだったんだ?


『あ、颯太、気が付いたのかい?良かったよ。マルカ一人だけだと大変だったんだ』


『ソウタ、大丈夫?』


『ソータ、何とも無いのか?』


 竜人族の夢に付いて考えていると、俺が目覚めたことに気付いたカオルが話し掛けてきた。

 更に、ミイとエルが心配そうな声色で尋ねてくる。


『ああ、大丈夫だ。でも、俺はどれくらい寝てたんだ?』


 胸の重たさに視線を向けると、そこではキララがスヤスヤと寝ていた。

 そんなキララを落とさないように片手で抱いて身体を起していると、俺の問いにミイとエルが答えてきた。


『一晩寝てたのよ。ごはんも食べずに......お腹空いた~~~』


『そうだぞ。妾達は空腹で死にそうだ』


 それは問いに答えると言うより、空腹による苦情だった。


 てか、俺は一晩も寝ていたのか。

 確か、キララに噛まれたところまでは覚えているのだが。


 昨夜の事を考えながら周囲を見回すと、マルカがモンスターと戦っている事に気付く。直ぐに応援に向かおうと思ったのだが、身体がやたらと重い事に気付く。


「あれっ?なんか、力が入らね~~」


『やはりか......』


 俺が独り言を呟くと、カオルが深刻な声を発して項垂れている。

 何があったのだろうか。

 それに、なんで俺は外で寝ているんだ?

 あ、テントを出さないまま寝たからか。って、テントは目の前にあるし......

 一体、何が如何なってるんだ?


 すると、戦闘を終わらせたマルカが戻って来た。


「あ、お兄ちゃん、起きたんだ~~、良かった~~~!心配したんだよ。お兄ちゃんが転がった後に、この辺り一面がアイテムで埋まったんだから」


 ん? アイテムで埋まった?


 疑問だらけの俺が頭を傾げていると、カオルが堅い口調で話し掛けてきた。


『颯太、ステータスを確認してくれないかな』


 ん~、レベルアップ前だから、あまり見たくないんだが、ステータスオープン。


「えっ......なにこれ......なんで?あれ?これは夢か?」


『多分夢じゃないよ。アイテムで埋まったのは、恐らくその所為だね』


「なんだとーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!」


 俺は自分のステータスを確認したのだが、混乱による混乱を重ね、カオルの一撃で絶叫してしまった。

 その絶叫は、歓喜の表れでは無く、悲鳴と言うべき叫びだった。

 その原因たるステータスに刻まれていた内容は、想像を絶するどころか、絶望と悲嘆の渦に巻き込まれる程の衝撃だった。

 そう、俺のステータスは初期化されていたのだ。


 その事実を知った時、この数年の苦労が水泡に帰したことを知った。

 これまで、糞神を始末する事を願って頑張ってきた結果が無に帰した事を知った。

 再び立ち上がる気力が無くなってしまった事を知った。

 それは、俺に対して想像を絶する衝撃を与えた。


 ステータスリセットは、俺から、力も、気力も、精神力も、その他あらゆるのものを根こそぎ奪っていった。


 この時の俺は、これで詰んだと確信したのだった。

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