ロシアの地にて 第五話

 翌日早朝。

 圭吾は、人の騒めきで目を覚ました。顔を上げると、唯一外とつながっている扉が開かれて男たちが数人室内に入ってきていた。

 手には、アサルトライフル。あれは、AK47だろうか。


 男たちはアサルトライフルを人々に向けて威嚇するように怒鳴りながら、みなを追い立てる。どうやら、すぐに外に出ろと言っているようだ。

 人々は、特に怯えを見せるでもなく慣れた様子で廊下に並び始めた。おそらくいつもの光景なのだろう。


 室内に圭吾一人を残して、再び扉が閉められ錠がかけられる。

 中から開けられないように窓枠に鋲が打たれ鉄格子が視界の邪魔をする窓に駆け寄って、彼らがどこに行くのか目で追う。


 この建物の傍に2台のバスが止まっていた。人々は、追い立てられる羊のようにそのバスに押し込まれていく。

 あのバスで都市部まで運搬し、そこで物乞いをさせるのだろうか。

 バスが2台とも出てしまうと、建物内には留守の男たちが数人ぐらいしかいないようで、しんと静かになる。


 圭吾の空腹からくる虚脱感はますますひどくなっていた。立っているのも辛くなってきて、壁に背を預けて座り込む。

 思考が鈍くなってきているような気もする。

 ここまで空腹を感じることも久しぶりだった。いつぶりだろう。10代の、子どもの頃ぶりかもしれない。


 思考がとろりと空気中に霧散しそうになる。それと同じくして、ふつふつと胸のどこか奥の深いところから湧き上がる嫌な気持ち。


 いっぱい居るものを たべたらええやん


 簡単に手に入って、手っ取り早く栄養補給ができるもの。

 その味を口の中に感じた気がして、圭吾はそれを振り払うようにゆるゆると首を横に振った。






 座り込んだまま頭を垂れて身動き一つしなかった圭吾の身体が、ぴくりと小さく動く。のっそりと圭吾は頭を上げた。

 圭吾の鋭い聴覚が、音を拾う。


(バスが、帰ってきた……)


 街で人々を降ろしてきたのだろう。バスが2台、この建物の前まで帰ってきたようだ。タイヤがこすれる音がしてエンジン音が切れた後、中から体格のいい男たちが降りてきた。その様子を窓から眺めていた圭吾だったが、男たちの足音は室内の廊下をとおりこの部屋の扉の前で止まった。


 勢いよく扉が蹴り開けられる。

 室内にどかどかと複数の足音が響いた。

 男二人が壁際に座り込んでいる圭吾の両腕を掴み上げると、無理やり圭吾を立たせた。


 圭吾の耳元で、ロシア語で何やらがなり立てる。

 そのおかげで薄れかけていた意識が、明瞭になってくる。

 男たちに挟まれて圭吾は歩かされ、そのまま建物の外へと連れ出される。


 外に出ると男たちは圭吾の身体を放り捨てるように地面に投げた。後ろ手に拘束されたままよろよろと立ち上がる圭吾にアサルトライフルを向ける。そして、銃身をくいっと上げて、歩いて進むよう指示した。


 圭吾は男たちに促されるままに森の中へと歩いた。

 10分ほど針葉樹林の覆いしげる森を歩かされただろうか。ふいに、木々が途切れて直径10mほどの空き地になっている場所に出る。


 歩き続けていた圭吾に、男たちの怒声が投げられた。圭吾は、止れと言っているのだろうと判断して足をとめ、男たちの方へと体の向きを変えた。

 男たちと圭吾との距離は3メートルほど。


 男のうちの一人が圭吾に近づきながらジャケットのポケットよりナイフを取り出す。圭吾は緊張して身を固くするものの、男は圭吾の背後で圭吾の腕を拘束していた縄を切っただけだった。

 久しぶりに自由になった腕の、手首に濃く残る拘束のあとを圭吾は確認するように撫でながら男たちに注意深く視線を向ける。


(どういうつもりや? 自由にしてくれるんか? それとも……)


 淡い期待を胸に抱くが、その期待はすぐに打ち砕かれた。

 男たちの数は6人。手にAK47のアサルトライフルを持つものが二人と。マカロフだろうか、拳銃を持つものが二人。何も持たないものが一人と長剣を持つものが一人。


 彼らの目に浮かぶのは、明らかにこれから彼らがやろうとしている残虐行為に対しての興奮と期待。圭吾に向けられた12個の目は、獲物を見る肉食獣のように嗜虐性に溢れていた。


 人を人とも思わない、まるで下等な生物を見るような侮蔑的な暗い光。

 圭吾の手の拘束を解いたということは。

 戯れに。狩りのように追い込んで、嬲り殺そうというのだろう。その銃と剣で。


 彼らには、圭吾は遠い東の国から来た哀れな中年の実業家にしか見えない。

 じりと、圭吾は用心深く男たちに視線を向けたまま僅かに重心を落として半歩さがる。いつでも駆け出せるように。


 一人がAK47の側面についているセレクターレバーを強く引き下げ、初弾を充填した。それに続いて他の男たちも得物のセレクターレバーやスライドを引き発砲の準備をしながら、卑下た笑みを顔に張りつかせている。

 一触即発といえる極度に張りつめた空気が男たちと圭吾の間に垂れこめていた。


(ここで一斉に狙撃されたら、文字通りハチの巣やな)


 撃たれたと意識するよりも早く、絶命するだろう。

 緊張で乾いた下唇を圭吾は舐めながら、穴があくほどに男たちを凝視する。少しの動きも見逃さないというように。

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