守りたいモノ10
その後、帰国した圭吾は精力的に仕事をこなし、時間を作っては何度もアウリスのところへ会いに行った。
そうやって、圭吾がアウリスの元を行き来することが1年ほど続く。
その間、圭吾はアウリスが望むものならば、どんな援助をも惜しまなかった。
圭吾の持ち株会社の傘下には、重工業からサービス業、金融業まで多種多様な企業がある。
それらの内外のコネクションを駆使して、アウリスの意向に沿った専門家や技術者の派遣などを積極的に行った。
ダム建設や交通網整備、インフラ整備、皆保険制度や医療など分野も多義に渡る。
一方、アウリスもそうした圭吾の手も利用して、自らが描く国の基盤整備に万進した。
体制の膿を出すために、汚職や横領を行うものも容赦なく粛清していった。
それはあまりに急速すぎる変化ともいえ、民衆や官僚の中には反発を覚えるものも少なくなかった。
それを心配した圭吾が、一度、アウリスに問いてみたことがある。
少し急ぎすぎではないか、と。
しかし、アウリスは圭吾の問いに、ふふと笑うのだった。
「わざと、そうしているのだ。もちろん、時間があまり残されていないというのもあるがな。……私は、功労者になってはいけないんだ。あくまで、憎き王族の一員だと思われたままでないと困る。急な改革による反発など、当然織り込み済みだ」
そうでないと。最終段階のクーデターによる王族討伐が中途半端なものになってしまうだろう、と。
全ては予定通り、順調に進んでいるのだと教えてくれた。
圭吾は、アウリスの聡明さと政治家としての手腕の巧みさに、改めて驚かされるのだった。
圭吾の方でも、生活に変化が生じる。
今までも親族から子どもをせっつかれており、かといって正直言って籍を入れて形式上は夫婦とはいっても、圭吾にとって
そろそろそれも難しくなってきたため、次善の策として、体外受精を試みることになる。
数回の試みの末、先日、着床が確認できたと
このまま順調にいけば、来年の冬には子どもが生まれるだろう。
そのことを、圭吾はアウリスにも報告する。
アウリスはそれを聞いた時、はじめは驚いた表情をしていたが、すぐに祝福の言葉をかけてくれた。彼女はそれを聞いて、心のうちでは本当はどう思っていたんだろう。気にはなったけれど、圭吾はあまり深くは尋ねることはできないでいた。
しかし、それから一か月後、状況はさらに一変する。
「…………え………」
アウリスから、その事を聞いた時、圭吾はすぐには言葉を発することができなかった。
驚き、すぐに歓喜の気持ちが沸きあがるが、次の瞬間には強い不安が心を曇らせる。
アウリスが、どうするつもりでいるのか。胸の内を聞いてみたいと瞬間的に思ったが、上手く言葉が出てこない。
そんな圭吾の反応は十分予想していたのだろう。
アウリスは、圭吾の右手をとると自らのお腹にそっとあてがわさせた。
圭吾の手に、服の上からでも彼女のぬくもりが伝わってくる。
「……私も悩んだんだ。今も……実は、悩んでいる。こんな形で血を残してしまって、いいのか……と」
でも。と、顔上げて圭吾を見上げる彼女の瞳には、既に迷いの影はないように思えた。圭吾をまっすぐに見つめる。
「素直に、嬉しかったんだ。……残したいと、思った。できることなら。生かせてやれるものなら、生かさせてやりたい」
アウリスの迷いのない様子に、圭吾はほっと安堵する。そして、改めてアウリスのお腹をそっと撫でる。そこに小さな命が宿っている。
二人の血を分けた命が。
ただ無性に愛おしかった。
「とはいえ。私は、この子の成長を見ることは到底叶わないだろう。……お前に、お願いできるだろうか」
圭吾は大きく頷いた。
「ああ。任せてや。ちゃんと、育ててみせる。俺の、全てをかけてでも」
「ありがとう」
「……俺の方こそ、ありがとう、やって」
圭吾の方から、産んでくれとは、言えない。どれだけそれを望んでいても。
だから産む選択をしてくれたことを、ただただ感謝するしかなかった。
今の状況を客観的に見ると、どう考えても身重な身体を隠して乗り切るのは大変だろうし。
それに。すべての血を断とうとしている彼女にとって、一つだけ新たな血を残すことになるのは、禍根を残す心配の種ともなろう。
この子を禍根とするかどうかは……自分の手に委ねられたんだろうな。それも含めての、アウリスの「お前にお願いする」の言葉だったのだろうな、と圭吾は察していた。
「まだ早すぎるとは思うが。どんな名が良いだろうな」
「名前、か……」
そもそも、まだ性別すら判明する段階にはなかったが。次、またいつ二人が会えるかわからない。
「アウリスは、どんな名前がいいと思うん?」
「そうだな……」
そう言ったきり、アウリスは黙りこくってしまった。あれこれと考えを頭に巡らせているのだろう。
アウリスが考えている間、圭吾は傍で何も口を挟まず、待っていた。
静かに隣に座る彼女の横顔を眺める。
あーでもないこーでもないと、呟く彼女は、実に楽しそうだった。
そんな彼女を見つめているだけで、圭吾は泣きたくなるほど幸せな気持ちに満たされていた。
いつまでも。いつまでも。
こんな時間が続けばいいのにな。
そんなことを考えていた圭吾に、アウリスがぱっと顔を向ける。
「湖とか、湖水とか、湧き水とか……なにか、そんなようなものを、お前の国の言葉では何というんだ?」
「ああ……えっと」
そのとき。以前、アウリスから聞いた言葉が脳裏に思い起こされる。
――国のいたるところに湖や湧き水。泉がある。元々、その豊富な水源に人々が集まってきて都市を作ったのが、この国の歴史の始まりなんだ――
「……そうやな。『イズミ』とか、どうやろ。和泉と書いて『イズミ』。日本語で、水の湧き出る場所を表す言葉や」
「イズミ……」
アウリスはその言葉を何度も、噛みしめるように呟く。
「とても綺麗な響きだな。それがいい。それに、しよう」
優しく笑むと、アウリスはお腹に手を当てて、優しく語り掛けた。
「イズミ。健やかに、大きくなれ。こんこんと清水が湧き出る泉のように、沢山の人たちを潤し、沢山の人たちに愛される人間になれ」
二人はひたすらに、生まれ出る命の幸福を願った。
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