守りたいモノ6
倉は、今は大したものは入れていなかったので、施錠もされていない。
閂を抜くと、鉄製の黒く重い扉は軋みをたてて開いた。
圭吾に続いて、アウリスも中に入る。
倉の中は、外よりもひんやりと冷たい空気に満たされていた。
圭吾が手探りで壁を伝ってスイッチを見つける。押すと、倉の壁に取り付けられた照明が青白い光を放ち室内を照らし出した。
倉の床は板張りになっており、端に幾つか木箱やタンスなどがあるだけで真ん中はぽかんと空いていた。
中から扉を閉めて内側の閂をかけると、外からは開けられない構造になっている。
閂をかけ終わると、圭吾は適当な木箱に腰をおろして、アウリスを見上げた。アウリスも、向かいにあった木箱に浅く腰を下ろす。
しばし、沈黙が倉の中を漂った。
圭吾は、アウリスが話し出すのを待っているようだ。
アウリスがようやく、思い切ったように口を開く。
「……そうだ。私は、女だ」
そこで、言葉を切り。そのあと、どう言葉を続けていいのか。どこから話していいのか。考えあぐねる。その間、圭吾はただ静かに、アウリスを見つめて待っていた。
言葉に迷って、アウリスは顔をあげると困ったように圭吾を見つめる。
(不思議な奴だな……)
改めて圭吾を見ると、なぜ自分が今、こんなことになっているのか本当に不思議になった。
相手は、昨日までは全く知らなかった相手だ。しかも、言葉も違う。文化も違う。何もかも違う、異国の人間だ。
もし、この男が秘密を漏らしてしまったら、どうする?
全ては。自分が築き上げてきたすべては、一瞬のうちに瓦解してしまうのではないだろうか。
なのに。
なぜ、話したいと思うのだろう。こいつになら、話してもいいと思えてしまうのだろう。
それが自分でも心底不思議だった。
ふいに。
自分が、相手のことをほとんど知らないことに思い当たる。
お前は、誰で。何なんだ。何を抱えているんだ。
自分ばかり話すのは、アンフェアじゃないか。
そう思うと、怒りすら沸いてくる。
「まずは、お前のことから話せ」
「俺……?」
きょとんと首を傾げる圭吾。
「何から話したらえんやろ。何が聞きたいです? あんたになら、何でも答えますんで」
そんなことを言って、圭吾はあっけらかんと笑う。
本当によく笑うやつだと、アウリスは呆れたように思いながら、でもそれが嫌ではなくて。
「そうだな。その……お前が。この家が抱えているものって、なんだ。家屋敷か? 土地か? それとも会社や、財産か?」
アウリスの言葉に、圭吾は頭をゆっくりと降る。
「……いや。そういう目に見えるものと、ちゃうねん。俺は……生贄なんです。人身御供、ってやつ。御堂家はな。代々生贄になってきた家系なんです。俺が血を残すように言われているのも、次の生贄を絶やさんようにするためやし」
「……生贄……?」
予想だにしていなかった単語に驚いて目を丸くするアウリス。
圭吾は左手の親指の爪をアウリスの前に突き出した。
その左手は、親指だけが他の指と違って、爪が真っ黒に変色していた。
「これがな。次の生贄に選ばれたっちゅう、
あまりに現実離れした話に、アウリスは言葉を挟むこともできずに、息をのむ。
圭吾は手をおろすと、アウリスを見つめて柔らかく笑う。柔らかいけれど、酷く寂しい笑み。すべてを受け入れきっているような諦めともとれる微笑みだった。
「祖父の亡骸を一番最初に見つけたのは、俺なんや。俺はじいちゃん子でな。小さい頃は、よぉじいちゃんの寝起きしとる離れで遊んでた。その日も。前の晩、じいちゃんは、おやすみー言うて、いつも通りに離れに戻ってったんや。でも……翌日、いつもは早起きなじいちゃんが、なかなか起きてこんくて。俺、じいちゃんの離れに見に行った」
圭吾の視線がアウリスを離れて、倉の床に落ちる。彼の記憶は今、その、幼少のころの思い出を手繰っているのだろう。
その圭吾の双眸は、苦しみと悲しみで強張った。
「じいちゃん言うて、離れの引き戸の外から声をかけても、物音ひとつ中からは聞こえてこーへん。不思議に思って、引き戸に手をかけたら、ばちって。小さな静電気が起こった。そのあと、戸の隙間から濃い血の匂いが漂ってきたんや」
戸を開けると、室内の風景は昨日までとは一変していた。
鼻をつく蒸せかえるような血の匂い。どす黒い液体が、部屋中に広がって。
あちこちに、ばらばらになった何か肉の塊のようなものがあった。
それが、祖父の変わり果てた姿だと気付くまで、数秒を要した。
祖父は……きっと、苦しみぬいて死んだのだろう。畳のあちこちが、爪で引っかかれたように抉られていた。
自分が、叫び声をあげていたことは自分でもわかった。でも、そのあとの記憶は途切れている。
気が付くと、病院の寝室に寝かされていた。
付き添っていた父親に、何があったのかと問い詰めた。
父親は、ただ一言。おじい様は、
「そして。聞かされたんや。うちの一族が、代々引き継いできたものを。それからしばらくして、親父の左親指にも祖父にあったのと同じ黒いシミが浮かんできた。その親父も、数年前……」
「……それは。誰かに、殺されたということなのか……? そいつの正体を、お前たちは知っているのか?」
こくんと、圭吾は頷く。
「それはな。呪い、なんや。この国が、千年以上前から、脈々と受け継いできた古い呪い。この国の長い歴史の中には、沢山の闇に葬られた人間たちがおる。地方豪族、農民、少数民族……そういう無数の無名の人たちの、呪いなんや。そういうもんが、もう大きくなりすぎて。抑えきれなくなって。数百年前、神として祀ってある場所に封印した。それでも、大きくなりすぎたものは抑えきれず。騒ぎ出すと、封印自体が中から壊されてしまう。今までも、そういうことは何度もあって。そのたびに、大飢饉や疫病の大流行、大災害に襲われてきた。だから、そういうものを野放しにするわけには、いかんのや」
「そして、生み出されたのが、お前たち一族を生贄にして呪いを収めるシステムか」
アウリスに言われ、再度圭吾は頷く。
「そのことを、お前の国の奴らは知っているのか? お前たちが犠牲になっていることを」
今度は、圭吾は首を横に振った。
「いーや。俺ら一族と、あといくつかの関係してる一族と。あとは……国の中枢のやつら。帝も含めて。というくらいなもんや」
「それでは、ほとんどの人間は、お前らの苦労など知らずのうのうと生きていると?」
思わず立ち上がったアウリスに強い口調で言われて、圭吾は困ったようにアウリスを見やる。
もう勘弁してや、とでも言いたげだった。
「ええんや。それで」
「なんでだ!」
「だって、俺、この国が好きやもん。それで、他の奴らが、みんなが、この国に住むみんなが少しでも幸せになるんやったら。まぁ、ええかって。思うんや」
その境地に至るまで、十年以上の葛藤があったのは確かだが。今は……そう思う。そう、……思える。
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