3.玉砕バレエ

「メリーアン……」

 どこか悔しげな表情で、クラリッサはメリーアンの名を呼ぶ。

「クラリッサも、わかっているから言ったんでしょう? これは私にしかできない。旦那様方は境界とアロブ=マブを抑えるので手一杯」

「今のあたしは下手な事をやったら辺り一面焼け野原……だけど……」

 言い淀み、クラリッサは迷うように視線をさまよわせる。

 メリーアンは優雅に微笑み、親友の肩をそっと叩いた。

「止めないで。私がやらなきゃいけないの」

「……わかった。じゃあ、あたしは誰か助けを呼んでくる。ここは第三区だし、魔女もたくさんいるから……」

「えぇ。お願いね、クラリッサ」

 二人はうなずき合うと、互いに背を向けて駆け出した。

 ルシアンの眷属は立ち上がり、戸惑ったようにメリーアンとクラリッサを見る。

 しかし、離れつつあるクラリッサの方を守護する事にしたらしい。すぐにクラリッサの去った方に駆け出し、闇へと姿を消した。

 一方のメリーアンはルシアンとヨハネスの傍をすり抜け、裂け目の正面に立つ。

 ルシアンが赤い瞳を大きく見開いた。

「――おい。何をしている、メリーアン?」

 ルシアンの声に、メリーアンは答えなかった。

 じっと裂け目の向こうにいるアロブ=マブを睨み、オールワーカーを構えた。

 アロブ=マブの動きがぴたりと止まった。

 誘うようにメリーアンはオールワーカーを揺らした。

 さらに幽体化し、鬼火を一気に五つ浮かべてみせた。くるくると舞う紫の鬼火がオールワーカーの刃に反射し、ちかちかと煌めいた。

【…………きらきらだあ】

 どこかうっとりとした声が響いた後、アロブ=マブの手が一つ、裂け目から離れた。

 直後、一気に三本の手がメリーアンに向かって迫ってきた。

「馬鹿っ――!」

 ルシアンの叫びを聞きつつ、メリーアンは重力を無視した動きで蛮神の腕を回避した。

 実体化していた方が霊的な攻撃には強い。

 しかし幽体化していた方が一度に使える鬼火の数は多く、さらに身軽に動ける。

 何より相手は蛮神。どちらの姿でも、さして危険に変わりは無い。

【ほしいほしいほしい! きらきらよこせ! きらきらよこせよおおおおおおお!】

 赤子の声で蛮神が叫び、がむしゃらに腕を振り回す。

「おいで、おいで」

 歌うようにメリーアンは呟き、半ば透き通った足で空を蹴った。

 音も無く、なんのしがらみにも囚われずにメリーアンは舞う。オールワーカーを閃かせ、バレエの如き優雅な動きで三本の手をかいくぐる。

 それに従うようにアロブ=マブの二本の手がメリーアンを狙った。

「下がれ、メリーアン! 何をしている!」

「無理です」

 叫ぶルシアンに、メリーアンはいつになく淡々と返した。

 優雅に見えて、実際のところメリーアンは極めて危ういところで剣舞を舞っていた。一瞬でも気を抜けば、蛮神の手はすぐにメリーアンを叩き潰してしまう。

「落ち着け、ルシアン。メイドのおかげで、奴の注意が境界から逸れた! 彼女が引きつけている今のうちに押し戻せば――!」

「命令を聞け! お前は我輩のメイドだろう!」

 ヨハネスの言葉も聞こえていない様子で、ルシアンは叫ぶ。

 その声に、メリーアンの口は無意識のうちに言葉を紡いでいた。

「……旦那様の、メイドだから」

「メリーアン……?」

 ぽつりと答えたメリーアンの名を、ルシアンは訝しげに呼んだ。

 メリーアンはアロブ=マブの攻撃をかいくぐりながら、どうにか振り返った。そして、困惑の表情を浮かべるルシアンに笑いかける。

「私、旦那様のメイドなのに……なんにも持ってない、なんにもできない」

 生前の記憶はなく、死の衝撃の影響で頭も少し劣化している。

 そして【虎】にとどめを刺したのはルシアンだった。ゲファンゲネに囚われた霊達の解放も、ルシアンがいなければできなかった。

 メイドなのに、主人がいなければ何も出来ない。

 メリーアン一人では、きっとこの暗黒の街に飲まれてしまう。

「何も求められていない……旦那様のメイドなのに」

『ルシアンに認められるかも』というアルカの言葉に心が揺れた。

『お前にそこまで求めていない』というルシアンの答えが深々と胸に突き刺さった。

「だから、私の全てを出し切らないと……」

 記憶もない。財産もない。器量もそこまで良くはない。

 それでも、尽くさなければ。

「そうしないと、私――旦那様のメイドにふさわしくないから……!」

「こ、の――馬鹿者がッ!」

 ルシアンのそんな声を、メリーアンは初めて聞いた。

 怒りをぶつけるようにルシアンが左腕を振るう。傷ついているはずのその腕は、性懲りもなく伸びてきていたアロブ=マブの手首にもろにぶつかった。

 爆音にも似た衝突音。黒い影が炸裂し、蛮神の腕が急速に腐敗してちぎれ飛んだ。

 片腕を失ったアロブ=マブが、取り込んだ子供らとともに絶叫する。

 そんな悪夢のような悲鳴の合奏の中でも、ルシアンの怒号ははっきりと聞こえた。

「誰がッ……誰がそんな事を求めた! 勝手に何を思い詰めている!」

「旦那、様……?」

 思わず、メリーアンはルシアンを見る。

 機嫌を害した時に主人が浮かべる、あの背筋の冷たくなるような笑顔はそこにない。

 赤い瞳を激情に燃やし、主人はまっすぐにメリーアンを睨み付けていた。その顔は激しい怒りのせいか青ざめ、握りしめた左拳は震えていた。

 見たことのない主人の怒りに、メリーアンは動揺した。

 そしてそのせいで、完全に蛮神から注意が逸れた。

「――メイド! 前!」

 切羽詰まったヨハネスの声に、メリーアンははっと前を見る。

「あっ――!」

 腕を一つ潰され、怒り狂ったのか。

 アロブ=マブが汚れた歯を剥き出し、メリーアンめがけて腕を思い切り叩き付けてくる。

 メリーアンはすんでのところで跳び、その直撃を回避した。

 ――確かに、避けたはずだった。

 アロブ=マブの指先は右の脇腹をかすって、背後の地面に突き刺さった。

 たったそれだけで、メリーアンの体の右側が消し飛んだ。

「え……?」

 目を見開くメリーアンの視界に、亀裂が走った。

 硝子片にも似た透明なかけらが月光に煌めき、闇を舞う。

 破壊された右半身から全身にひび割れが広がっていった。無数の亀裂が少女の柔肌に浮かび上がり、きしきしと嫌な音を立てて破片を零した。

「や、やだ……」

 かすれた声を漏らした喉にも、ピシリと大きな音を立てて亀裂が刻まれる。

 メリーアンはゆるゆると左手でそれを抑える。

 しかし、その左手が砕けた。そして地面へと舞い降りた瞬間、左足が砕け散った。

 体が砕ける痛みに耐えられず、メリーアンはその場に倒れ込んだ。

 大量の硝子細工を地面に叩き付けたような――そんな盛大な破壊音と共に。

 メリーアンの体は、粉微塵に砕け散った。

「あ……」

 ルシアンが赤い瞳を見開く。

 その右手が無意識に動き、メリーアンだった透明な破片の群れへと伸ばされた。

 その瞬間――ルシアンの掛けていた術が消失した。

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