14.痛みは愛、愛は痛み
気絶していたのはほんの一瞬のことだったと思う。
なのにいつの間にか雨が降り出していたので、メリーアンは激しく混乱した。
「……く、う……一体、なにが……?」
気づけば、クラリッサと折り重なるようにして倒れていた。構成霊素に著しいダメージを負ったのか、雨に打たれているだけでも全身に痛みを感じる。
「う……くっ……」
きしきしと音を立てる体に鞭を打ち、メリーアンは立ち上がった。
周囲には白い蒸気が立ちこめ、シューシューと蛇の威嚇音めいた音が響いていた。
その中に、メリーアンはアロイスの声を聞いた。
「苦痛は愛……愛は苦痛……神は痛みをもって私達を救う。炎と八つ裂きの苦痛により魔女という存在の罪業は贖われる……」
「……魔女は生まれた事そのものが罪って事。迷惑な教えだよね」
クラリッサがよろよろと立ち上がる。擦り傷や打撲を負っているようだが、メリーアンが護った甲斐もあり重傷は免れたようだ。
「さぁ――頭を垂れなさい。己の罪業を受け入れるのです」
前触れもなくアロイスの姿がかき消えた。
背筋にぞわりと寒気が走る。メリーアンはとっさにクラリッサの前に立つと、ありったけの範囲に衝撃波を放った。
構成霊素が軋みを上げたもののメリーアンは歯を食いしばる。
しかし、狙いはあたった。衝撃波にアロイスの体は大きく吹き飛ばされ、かろうじて焼失を免れていた廃屋に叩き込まれた。
アロイスのくぐもった苦痛の声が響いた。
油断なくその方向を睨みつつ、メリーアンは背後のクラリッサに鋭く声をかけた。
「クラリッサ! 怪我はない?」
「あたしは平気。でもメリーアン――」
「あ……は、あは、あははは、ははっ、は、ああっ! アア! 嗚呼!」
心配そうなクラリッサの声を遮り、アロイスの声が弾けた。
それは紛れもなく、笑い声だった。
ぞわぞわと構成霊素に震えが走る。引きつったようなアロイスの笑い声を耳にした瞬間、メリーアンは生理的な嫌悪感と恐怖を感じた。
「そう! これよ、苦痛よ!」
笑いながら、アロイスが瓦礫の中から立ち上がる。
右手や骨はあらぬ方向に折れ曲がり、上腕からは折れた骨が飛びだしていた。額が裂けたせいで顔面は血で真っ赤に染まっている。
「痛みよ! 痛みこそ愛! 愛は痛み! ああ、神は今確かに私の傍にいる! 私を愛してくださっている!」
アロイスはますます笑みを深めて、自らの折れた右腕を掴んだ。
みし、みち、と肉と骨が軋む。
「ひぎっ、ぐぁああ……っは、はは、はっ……!」
指や手首を無理やりに元の位置に戻しつつ、アロイスは恍惚の顔で笑い続けていた。
その様にメリーアンは言葉を失い、口元を覆った。
ジャードの時に感じたような吐き気がせり上がってくる。そして、あの時とはまた違った嫌悪感が構成霊素を震わせる。
「痛みを感じてないの……?」
クラリッサもまた、絶句していた。
「嗚呼、嗚呼――! 神の愛を感じるわ! さぁ――今こそ金環の奇跡を見せましょう!」
陶酔の表情でアロイスは血に濡れた両手を広げる。
途端、周囲のマナが激しく鳴動するのをメリーアンは感じた。
アロイスの背後にマナが集い、金の火花が無数に弾けた。それはやがて激しく輝く金の輪を無し、メリーアン達に向かって襲いかかった。
ストールをなびかせ、クラリッサがメリーアンの前に出る。
「
揃えた二本の指先でクラリッサが鋭く空を切った。
立て続けに空中に爆炎が咲き、アロイスの放った金の輪が尽く打ち消される。
しかしアロイスは笑ったまま、上腕から突き出た骨に触れた。まるでなにも感じていないかのように折れた断面に指先を走らせ、それをきつく握る。
「ぎ、ぐッ、きひっ、ひっ――ひっ、奇跡を!」
アロイスはうっとりと目を細め、空を仰ぐ。
その背後で盛大な爆発が起きた。まるで空間が燃え上がったかのように火花が咲き乱れ、視界を埋め尽くすほどの金の輪が花開いていく。
悪夢のような光景を前に、少女達は一瞬言葉を失った。
雨音が妙に大きく聞こえた。その永遠のような数秒間で、メリーアンはようやく気づく。
「痛みを感じてないんじゃない……」
痛みを力に変えている。
それに気づいた瞬間、凍り付いた時は動き出した。マナで形成された金の輪が激しく明滅しながら、どっと押し寄せてきた。
「《
「
今までよりも遥かに強力な爆炎と念力壁が少女達の前に立つ。
メリーアンの念力壁が大多数の輪を受け止め、零れた輪をクラリッサが相殺した。
しかし、それは最初の数秒間のことだった。
息も吐かせぬ勢いで撃ち込まれる金の輪はどれもが必殺の威力を秘めていた。それは念力壁にまたたく間に亀裂を生じさせ――やがて粉砕した。
「うわっ……!」
「くっ――
二人に襲いかかった金の輪がクラリッサの爆炎によって防がれる。
至近距離で爆風が弾け、メリーアンとクラリッサの体は軽く吹き飛ばされた。
キンッと小さな金属音が聞こえた気がした。
白煙が視界を覆う中、メリーアンはどうにか体勢を立て直した。アロイスのいた方向を睨み、追撃に備えて左半身に鬼火を燃やす。
風がうねる。煙が晴れ、メリーアンの目にクラリッサとアロイスが映った。
狂ったように笑うアロイスが黄金の剣を振るい、クラリッサへと迫る。対するクラリッサは右耳を押さえたまま、何故か動こうとしない。
アロイスの攻撃がどこかで掠ったのか、その右頬から赤い血が滴っていた。
「クラリッサ――!」
考える間もなく体が動いた。
メリーアンは叫ぶのと同時にクラリッサの前に一気に飛んだ。オールワーカーを振るい、アロイスの刃を防ごうとする。
「だめ! だめ! メリーアン、離れて――ッ!」
クラリッサの悲鳴。それが聞こえた瞬間、右手の指先に強烈な熱を感じた。
直後、メリーアンの右腕が爆炎に包まれた。
魔女街第七区――孟極楼。
「ぐっ――!」
突然ルシアンが大きく体を震わせ、右手を押さえた。
キセルの火皿に刻み煙草を詰めていた琥珀豹が顔を上げ、怪訝そうな顔をする。
「どうしたの?」
「いや、これは……」
ルシアンは赤い瞳を大きく見開き、右手を見つめた。
痛みはない。ただ肘から指先にかけて微かな痺れが走り、細かく痙攣している。ルシアンは小さく舌打ちすると、震える右手をきつく握りしめた。
「――急ぎの用事が出来た。すぐ戻る」
「急ぎって何が――ちょっと!」
琥珀豹に答えず、ルシアンは大股で部屋を横切った。
窓を大きく開け放す。炙った肉と煙のにおい、剣舞を披露する男達のかけ声、楼閣を照らす紅灯の光り――猫目街の夜が、一気にルシアンの前に押し寄せてきた。
欄干に足をかけると、冷たい夜風が黒髪をなびかせた。
「――行くぞ」
欄干を蹴り、ルシアンは楼閣の林立する夜空へと躍り出る。
琥珀豹は慌てて窓へと駆け寄った。
しかしすでに、ルシアンの姿は窓の向こうから消えていた。
「……少しは落ち着いたと思ったのだけれど。まだまだやんちゃねぇ」
言葉こそ呆れた様子だったが、琥珀豹の唇には優しげな笑みが浮かんでいた。
琥珀豹はふっとため息を吐くと、窓から離れた。
その目が、ふと寝台へと向けられる。先ほどまで二人が戯れていたそこには、ルシアンの着ていた黒いスーツのジャケットが脱いだままの状態で放置されていた。
「……あら。上着、忘れちゃってるじゃなぁい」
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