11.落日に笑う者

 自分を思いやっての言葉かはわからない。それでも惨めさが和らいだのは事実だった。

【虎】は完全に再生を終え、起き上がっていた。

 ぶるぶると巨体を震わせ、耳障りな叫び声を上げる。それだけでてらてらと光る黄色と黒の表皮に裂け目が走り、白濁した血液が噴き出した。

「いいか? ちゃんと見るのだぞ? 何故なら」

 轟音がルシアンの言葉を――土煙がその姿を消した。

 ほぼ一瞬で動いた【虎】の巨体が、ルシアンがそれまで立っていた場所に突っ込んだ。その前足が鈍い音ともに完全に潰れ、苦悶の叫びが辺りにこだまする。

 まぎれもない捨て身の一撃。

 重量に地面が砕け、メリーアンの足下にまで亀裂が達する。メリーアンは反射的に顔を庇いながら押し寄せる土煙めがけて叫んだ。

「旦那様ッ!」

「――一瞬で終わってしまうからな」

 ルシアンの嘲笑が頭上から響いた。

 直後、空中から豪雨の如く銃弾が降り注ぐ。

【虎】の表皮に無数の穴が穿たれ、白く濁った血液が噴き出した。

 しかし【虎】にはさして大きな損傷を与えているようには見えない。【虎】はどこかきょとんとした様子で頭部を揺らす。

 ルシアンは軽やかに地面に降り立ち、ゆるりと右手を【虎】に向けた。

忌法キホウ――《黒い鉄釘》コラプション・ネイル

 宣告とともに右手を握りしめる。

 その瞬間、果実が潰れるような音ともに【虎】の表皮が裂けた。そこから影から生まれ出でたような黒い棘が無数に飛び出し、その体を内部から串刺しにする。

「やはり銃は良いな」

 くるくるとカーネイジを手の中で回転させつつ、ルシアンは笑みを深める。

 その眼前で、【虎】にさらなる変異が起きていた。

 棘の周囲の組織がじわりと黒くなった。呪詛によって細胞が破壊され、【虎】の体が腐った果実のようにどろどろと溶けていく。

【虎】の断末魔の叫びに、ルシアンは満足げに赤い瞳を細めた。

「ちょっとした呪詛に便利だ。こうして触媒を直接撃ち込んでやれば、後は発動させるだけでいい。……実に良い。我輩の魔法に合っている」

 高位の魔術師は自らの技を追求し、『魔法』と呼ばれる独自の魔術体系を作り出す。

 ルシアンは自身が編み出したその魔法を『忌法』と呼んでいた。その本質は『侵蝕』と『殺戮』の言葉に集約されるとメリーアンは聞いている。

 それは闇のマナを操る魔術の究極系。

 すなわち相手を侵し、壊し、蝕み、殺す――徹底的に相手を蹂躙する事に特化した魔法。

 その術は、見るたび背筋に震えを起こす。

 けれども――メリーアンはぎゅっとエプロンの裾を握りながら、主人の姿を見る。

「良いか? こういう事だ。丁寧に手際よく徹底的に、だ」

 ルシアンはメリーアンを振り返った。

 手を広げ、崩れていく【虎】の姿を示しながら彼は語る。

「どんな相手にも容赦はするなよ。ちょっとした油断が、やがて刃となってお前を背後から刺す事になる。――こんな風に」

【虎】が最後の足掻きとばかりに、ルシアンの背中めがけて触手を突きだした。

 しかし、それはずばんと音を立てて切り落とされる。

「わかったな?」

 念押しするルシアンの右手には、いつの間にかバタフライナイフが握られていた。その鈍い金色のブレードは黒い霧にも似たマナに包まれている。

 崩壊する【虎】をその切っ先で示し、ルシアンは言葉を続けた。

「強者といえども油断してはならんのだ」

「畏まりました……」

「あとそんな仏頂面をするな。お前の数少ない取り柄の一つはまぁまぁ顔が良い事なのだぞ。せっかくの武器を自分で台無しにしてどうする」

「そ、そんな! きっと他にもたくさん良いところあります!」

「そうだ。そうやって元気に吠えてろ」

「吠えてません!」

 メリーアンは顔を真っ赤にしてキャンキャン反論する。

 ルシアンは肩をすくめると、バタフライナイフを軽く振った。するとブレードを包んでいた闇のマナが揺らぎ、空気に溶けるように消えていく。

「なら笑え。お前は勝者だぞ? だからお前は笑うべきだ。――こんな風に」

 薄い唇が吊り上がり、異様に鋭い歯がぎらりと淡い残光に煌めいた。

 紅玉の瞳が愉悦に細まる。白皙の美貌が不吉に歪む。

 宵闇の中、その身を影に包んだルシアンは笑う。紺と緋に彩られた世界で微笑するその姿は、紛れもなく魔性のものだった。

 ――かつて、ルシアンは『冥王』と呼ばれていたらしい。

 その名は金環教では恐怖とともに語られている。彼はあらゆる絵画に悪鬼あるいは毒龍として描かれ、口にすることさえ憚られる巨悪とされていた。

 ルシアンが昔、外の世界で一体何をしたのか。

 未熟な幽霊であるメリーアンはそこまでの事は知らない。

 けれども彼の確固たる強さと禍々しさに――ずっと、メリーアンは憧れている。

「……すごく嬉しそうですね、旦那様」

「嬉しいに決まっているだろう。我輩が勝ったのだぞ?」

「でも私は……笑えといわれても、とてもそんな気分にはなれませんよ。結局、今回も旦那様のお手を煩わせてしまいましたし……」

「そんな事はどうでも良い」

 ポケットから煙草と箱型ライターとを取り出し、ルシアンは肩をすくめた。

 煙草を咥え、その先端に火を灯す。

「どこでも、いつでも一緒だ。――過程がどれだけ惨めでも、最後に笑った奴が勝者だよ」

 どこか諭すような言葉とともに、宵闇に紫煙が溶けていった。

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