7.まじない小路の魔女

 翌日からメリーアンは早速行動することになった。

 まずはいつも通りの朝の行程。寝起きの悪いルシアンをベッドから追い立て、彼がシャワーを浴びている間に朝食を用意し、食べている間に外出の準備を整える。

「旦那様ー、屈んで下さいな。ネクタイを結べません」

 身なりを整える主人の側で、メリーアンはネクタイを手にあたふたする。

 昨夜出会ったヨハネスほどではないが、ルシアンも十分背が高い。おかげでネクタイを結んでやるのも上着を着せてやるのも一苦労だ。

 いつも通りうなじの辺りで結った髪を背中に流し、ルシアンは極めて簡潔に答えた。

「浮かべよ幽霊」

「あっはァー! 盲点! ――ではありませんよ! 私が幽体の状態で細かい作業をする事が苦手だと言うこと、旦那様はご存じでしょう!」

「部分的に実体化するとかやりようはあるだろう」

「それも苦手です! そもそも『肌』を作るだけでもわりと一苦労です」

「やらねばいつまでも苦手なままだぞ」

「で、でも……失敗したら、旦那様は機嫌を悪くするでしょう……」

「こら、始める前から自信を失ってどうする。つまり成功すれば問題ないだろう」

「なるほど! たしかに最初から成功すれば怒られない! なんて簡単な問題! 私は一体何に悩んでいたのかしら! では不肖メリーアン、行きます!」

「待て、なんだその気合いは。ただ浮かぶだけで良――」

 メリーアンは飛んだ。

 その体が不規則に幽体化と実体化を繰り返す。

 結果、メリーアンの体は凄まじい勢いで天井に突き刺さった。

 なにか物言いたげな沈黙を続けるメイドの足を見上げ、ルシアンは片手で口元を隠した。

「……見事な石頭だ」

「もっと私に言わなきゃいけないことありますよね、旦那様」

「ネクタイ落とせ。自分で結ぶ」

「とことんまで非を認めないつもりですね」

 そんなやり取りをしてからメリーアンは主人を見送る。

 自動車に乗り込むルシアンの側で、メリーアンはうやうやしく頭を下げた。

「いってらっしゃいませ! 後はこの『監獄館の猟犬』ことメリーアンにお任せを!」

「なんだその分不相応にもほどがある二つ名は。まずは『監獄館の番犬』から目指せ」

 そうして自動車は車庫から出て、廃墟の街並みに消えた。

 メリーアンはいつもルシアンがどこで何をしているのかは知らない。ただ相当な金持ちではあるので、何かしら非合法な事をしているのだろうと考えていた。

 屋敷中の掃除をあらかた終わらせ、夕食の準備を調える。

 そしてほとんどの仕事を完了させた後、メリーアンは作戦を練り始めた。

「――とはいえどこにいるんでしょう、ペット」

 ルシアンから渡された旧子爵の依頼状を手に、メリーアンは悩む。

 書簡によれば、逃げ出したペットは虎だという。

「……呪い関係なくこれは普通に危険ね。しかし虎ってどんな場所にいるんでしょう――暖炉の前? あ、これは猫か……」

 厨房のテーブルに突っ伏し、メリーアンは考え込む。

 しかし、いくら考えても虎の寄りつきそうな場所など想像がつかない。そもそもメリーアンはこの地上のどこに虎が生息しているのかもよくわからない。

 紅茶が冷え切るまでの間ひたすら悩んだ後、メリーアンはやがて結論を出した。

「……こういう時は、クラリッサに聞いてみましょう」

 基本的に魔女は勉強好きな種族で、知識に貪欲だ。そんな魔女の一人であるクラリッサはならば、きっとよい知恵を出すだろう。

 意を決したメリーアンは紅茶をぐいと飲み干した。

 幽霊には本来、飲食の必要はない。だが生きていた頃の名残りか、こうして何かを食べたり飲んだりすると活力が湧いてくるような気がした。

 空っぽのカップを洗い、メリーアンは裏口の扉をすり抜けて外に出た。

 向かう先は魔女街第三区――まじない小路こうじ

 魔女街の中でも特に色鮮やかな家々と、大量のカボチャが満ちた通りだ。

 たいていの魔女や、あるいは人間の魔術師は『咒屋まじないや』や『魔法雑貨』などの名称で店をやっている。これは言わば魔術関係のなんでも屋だ。

 このまじない小路にはこうした店が多く軒を連ね、常に活気に満ちている。

先住民スクレリングの護符はいかが! 純正品! 純正品だよ!」

「燻し立ての蜥蜴ー、燻し立ての蜥蜴ありますよー」

「煙水晶掴み放題! ガンガン掴んじゃって!」

 カラフルな店の狭間で飛び交う声を聞きつつ、メリーアンはクラリッサの店を目指す。

 店名は咒屋ファイアボール。

【火気厳禁】【爆発物注意】のシールが大量に貼られた扉がトレードマークだ。

 メリーアンは扉をすり抜けて中に入る。

 するとレジカウンターの外に出ていたクラリッサが振り返った。その手に大量の皿や、カラフルなホーローの鍋を抱えている。

「ああメリーアン、よく来たね。お買い物? それとも転職の相談?」

「どっちでもないわ。ちょっと貴女に聞きたい事が――あ、手伝った方が良い?」

「平気平気。とりあえず付いてきて。今、外でグーラシュ作ってるの」

 ガチャガチャと皿をならしながら、クラリッサはレジカウンター脇のドアを開けた。

 途端、鼻先にかすかに良い匂いが漂う。たいていの魔女の庭と同じように、ドアの先には小さな薬草園とカボチャ畑があった。

 裏庭の奥では、魔女達が大鍋をかき混ぜていた。

「戻ったよ!」

 クラリッサが声を掛けると、魔女達は一斉に振り返る。

 全員女性で、純血の魔女の特徴であるカラフルな目や髪の色をもっている。その顔つきや身に纏っている衣装を見る限り、クラリッサと同郷の魔女達のようだ。

「クラリッサ! 良いタイミングね、ちょうど煮えたとこよ!」

「あんれまぁお客さん連れてきたの?」

「え、えぇと……」

 あたふたしているうちにメリーアンは魔女達に歓迎され、気づけば牛肉とパプリカとで作った汁料理を満たした椀を持たされていた。

 真っ赤な汁料理をつつきつつ、メリーアンはクラリッサ達に事のあらましを説明する。

「――それでその、どこかで虎を見ませんでした?」

「虎ねぇ……さすがにあたしは見てないよ。みんなはどうなの?」

 クラリッサは魔女達を見回す。

 するとグーラシュを食べていた魔女達は皆顔を見合わせ、ぶるぶると首を振った。

「ないない! 虎とかさ、見てたら大騒ぎだよ!」

「護符として超強力じゃない! 頭一つでどれだけするやら」

「アタシ、肝臓の方が欲しいわァ! ――っていうかもう捕まってるんじゃないィ?」

「誰かこっそり捕まえて、もう市場に卸してるかも」

 観点が実に魔女だ。虎の持つ呪術的な価値をやいやいと言い合う魔女達に苦笑し、メリーアンはもりもりとグーラシュを食べる。

 すると、メリーアンの隣でカード遊びをしていた魔女が「そういえば」と声を上げた。

「虎のせいかどうかは知らないけどさー。最近第七区のガロウズって場所でなんか人がメッチャ死んでるみたい。ヤバイって話よ」

「人死にとかいつものことじゃない。特に第七区と言えば――」

 クラリッサの言葉に、ふわふわのピンクの髪をしたその魔女は首を振る。

「いやー、なんか喰われた感じらしいよ? 残った死体もほとんど潰れてたりで、ひどい状態なんだってさー」

「喰われた、ですか……」

 メリーアンは眉を寄せ、唇に指を当てて考え込む。

 その間に魔女達はピンク髪の魔女を巻き込み、またやいやいと議論を始めていた。

「タチの悪い魔物とかじゃなくて?」

「いや、魔物だったら丸ごといかない? 死体残んなくない?」

「え、ミィゴの法則ってあったじゃん。魔物は人間を襲うとき必ず脳みそから喰うとか」

「あれ否定されてなかったァ?」

「魔物によるんじゃない? 私の統計だと魔物は圧倒的にまず横隔膜らへんから――」

「……お肉食べてる時にそういう話はやめようね」

 クラリッサはやや唇の端を下げ、自分の椀に浮かぶ牛肉を軽くつついた。

 そんな彼女にメリーアンはたずねた。

「ねぇクラリッサ、ガロウズってどんな場所だったかしら?」

「ん……虎かどうかわからないけど、行くの?」

「えぇ。言って確かめてみようと思うわ。でも私、あまり第四区のラノワール棄領から出たことがないから地理に詳しくないのよ」

「ガロウズねぇ……治安はあんまり良くないよ。第七区だし」

「むしろ治安が良い地域って魔女街にあるのかしら」

「あるにはあるよ。まぁそういう所って、大抵なんか別の理由で危険なんだけど。――ホントに行くの? 一人で大丈夫?」

「大丈夫よ。私はちゃんと一人でやり遂げてみせるわ!」

 胸を張るメリーアンを、クラリッサは微妙な表情で見つめた。

「心配だなぁ……まぁ、とりあえず地図を書いてあげるよ。ただ本当に、ヤバイと思ったらすぐ逃げてね?」

「合点承知よ!」

 そうして、メリーアンからガロウズへの地図を手に入れた。

 心配そうなクラリッサと魔女達に手を振って、メリーアンは空を飛ぶ。

「えーと、まじない小路がここで、つまり今私は第三区のここらへんで……わかる、わかるわ。私は今ものすごく地図を理解できているわ」

 もらった地図をしきりにひっくり返しながら、メリーアンはぶつぶつと呟いた。

 その時、背後で魔女達の黄色い声が聞こえ、彼女は一瞬停止する。

「うっ……だめ、気になるけど……今は後!」

 誘惑を振り切り、メリーアンはやや速度を上げて飛行を再開する。

 目指すは魔女街第七区だ。

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