第186話 陽の苦悩

■1572年1月

 美濃国 岐阜城

 石島家


 織田家領内では、各地で反織田勢力の洗い出しとその殲滅作戦が地道に行われている。


 信長様や伊藤さんが気にしている甲斐の武田信玄さんは、どうやらお体の具合が良くないらしい。村上さん達が関与しているのでどうなる事かと思ったが、やはり人間の寿命をコントロールするのは難しいのだろうか。


 信長様へ新年の参賀に訪れている岐阜城の俺の屋敷では、とても久しぶりに姦しい状態が華を咲かせている。残念ながら陽はやっぱり咳がひどく、郡上でお留守番なのが残念でならない。


 久しぶりの再会に喜びを隠そうともしない瑠依ちゃんや優理や唯ちゃんを余所に、何やら美紀さんが伊藤さんと深刻に話し込んでいた。


「殿、ちょっと」


 その伊藤さんから呼ばれ、俺は遅る遅る別室へと入る。美紀さんと伊藤さんと俺だけ、何だか空気が重い。俺は何かやらかしたのだろうか。


「美紀ちゃん、どうぞ」


 伊藤さんに促され、美紀さんがその美しく大きい瞳で俺をじっと見つめて口を開いた。


「結論から言います。殿、今日からお酒は控えて下さい。絶対に深酒しないと約束して下さい」


 確かに、年末はちょっと飲み過ぎた。


「あ、反省してますゴメンナサイ」


 正直に言うと年末でけではない、今までも度々、記憶をなくす程に酔っぱらってきた。

 美紀さんは軽くため息をつくと、意を決したかのように言葉を続ける。


「殿、陽さんに色々しゃべっちゃってますからね。陽さんとても思いつめてます。一昨日、出発の直前に相談されました」


 何の事かわからないが、これは効いておかなければヤバイという直感が働いた。


「く、詳しく教えてください。改めるべき事は必ず改めますから」


 俺は陽の身体をとても心配している。それなのに、俺に言えないような事で思いつめ、美紀さんに相談する程になっているなんて、夫として情けない限りだ。

 美紀さんは少し伊藤さんとアイコンタクトを取る様にしながら頷き合うと、困惑気味の俺に対して衝撃の事実を告げる。


「私達が未来から来た事、歴史の変革に挑む予定だった事、偶然の事故でそれが出来なくなった事。陽さんと殿の間に子供が出来ない事、私達が歳を取らない事、その他いろいろ全部ひっくるめて酔った勢いでお話しされているようです」


 やばい、それはやばい。陽は信じているのだろうか、何を思いつめているのだろう。


「それ、いつの話です?」


 俺は美紀さんの口から出てくる言葉に恐怖を感じる。だけどこれは聞いておかないと駄目だ。


「最初は郡上八幡に入った頃だそうです。その後、深酒をする度に色々と話したようですよ。陽さん、私達と一緒に過ごしてるけど、自分だけ仲間になれない事に悩んでいるんです。私達と同じ存在でない事を……胸が潰れる程苦しい想いで嘆いてるんです」


 そう語る美紀さんの両目が潤んでいる。きっと、陽がその胸の内を美紀さんにぶちまけたのだろう。その行動自体、陽にとってどれ程勇気のいる事だったか、想像するだけで涙が出そうになる。


「俺……どうしたらいいでしょうか」


 こんな時くらい、自分で考えろと思うが何も思い浮かばないのだから仕方がない。

 そんな俺の反応に、美紀さんは多少のイラつきを見せる。当然っちゃ当然だ。自分でも情けないと思うのに、美紀さんからしたらとんだクズ野郎だろう。

 そんなクズ野郎に美紀さんが言葉を続ける。


「しかもね、陽さんに『未来へ帰る時は一緒に連れて帰る』って言ったそうですよ。陽さん、その言葉を『信じている』と言っていたけど、それが出来ないだろうって感じてるんです」


 ついに、美紀さんの両目から涙がこぼれた。


「私、自分がヒストリーに参加するなんて想像もしていなかった。だからヒストリーで出会った人達と接点を持つ事の覚悟なんて、これっぽっちもしていなかった。そんな私自身、本当にどうしようもないバカだと思うけど、石島さんはもっとバカだよ。大馬鹿だよ!」


 止めどなく溢れる美紀さんの涙に触発されて、俺の両目からも涙が止まらなくなっている。


 陽だけじゃない。


 十三くん、十五くんをはじめとする石島家の家臣団。お栄ちゃん、お末ちゃんを含めた石島家の侍女さん達。それから、陽と、伊藤さんの奥さんの香さんも、楓ちゃんも。いつかはお別れなのだ。


 すすり泣く美紀さんと、鼻水を垂らし放題の俺。

 真冬の岐阜は寒いので、鼻水が凍ってしまわないか心配なのだが、今はそれどころではない。


 今更気付いたが、襖の向こう側で瑠依ちゃんが泣き始めたようだ。盗み聞きとは感心しないが、もう聞かれている事を気にしても仕方がない。それは伊藤さんも美紀さんも気付いているようだが、咎めるような事はせずにそのままにしておいた。


「伊藤ざん、オデ……」


 沢山の仲間の死を乗り越え、九郎様の死を乗り越え、どうにかやってきた俺の心の堤防が決壊した。何をどうしたらいいのかさっぱり分からないし、そしてに何より、お別れの時を想像したらただひたすらに「怖い」の一言だ。


「美紀ちゃん、殿、俺達はさ」


 伊藤さんは泣いていない。きっとこの人は、そこら辺の覚悟ってやつも最初のほうに済ませてしまっているのだろう。


「俺達は……さ、感謝するしか出来ないよ。どうにもならない事はどうにもならない。だから感謝するしか出来ない。でもその前に、俺は守りたい存在がある。それは優理や、美紀ちゃんや、瑠依も唯も」


 伊藤さんはそこまで言うと立ち上がり、瑠依ちゃんがいるであろう部屋の襖を開けた。そこには、必死に涙を堪えている優理と唯ちゃんと、涙を流し放題でどうにか嗚咽を堪えている瑠依ちゃんの姿がある。

 女の子達に優しい笑みを向けた伊藤さんは、先程までいた席へゆっくりと戻り、ひとつ大きなため息をついた。


「んでね。俺はさ、君達四人と、香をはじめとするその他の女の子については明確な線引きで区別しているよ。どんなに非道だと言われようと、どんなに薄情だと言われようと、君達を優先して守る覚悟を決めてある。だからね」


 俺の視界が涙で歪んでいるからなのか、伊藤さんの瞳も潤んでいるように見える。


「絶対、悲しませちゃいけない。いつか、犠牲にしてしまうかもしれない人達を、その瞬間まで絶対に悲しませちゃいけない。感謝し続けないといけない。大切にしないと駄目なんだと思う」


 なんて残酷な覚悟だろうか。俺は確かに、陽が大事だし感謝しているが、優理達のために陽を裏切れるのだろうか。

 その逆もしかり、陽を優先し、優理達を見捨てられるだろうか。


 どちらも自信がない。 

 若干放心状態の俺の脳天に、伊藤さんのチョップが炸裂した。


「イテっ!?」


 涙を流し、鼻水を垂らしていた俺は両手で頭を押さえながら伊藤さんを見上げた。既に立ち上がっていた伊藤さんは、ちょっと怖い顔で俺を睨む。


「陽ちゃんを悲しませるなよな。次やったら本気で殴るかんね」


 そこまで言った伊藤さんは『ちょっと頭冷やしてくるわ』と言い残し、雪の降る岐阜の町へと姿を消して行った。


 ただでさえ、明日には死んでしまうかもしれない死と隣り合わせのこの時代。特に身近に接する人達に、俺はどれだけ感謝の念を抱けているだろうか。


 陽の事は好きだし、たぶん『愛』という感情で心から大切だと思っている。


(感謝……か)


 また一つ課題が出来てしまった。

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