第182話 策成る

◆◇◆◇◆


◇1570年9月22日

 摂津国 天王寺

 織田軍


 朝倉浅井の南下、比叡山延暦寺の挙兵。

 これによる宇佐山城付近で森可成、織田信治の戦死。


 近江の織田戦線は、唐突に危険水域まで敵の侵入を許す事となった。


 宇佐山城は森家の兵二千がどうにか奮戦し落城をまのがれたものの、宇佐山城一つでは京の防衛までには手が回らず、大津や山科への乱入を許し、方々に火を放たれる事態となった。


 森可成と織田信治の戦死の報を受けた南近江長光寺の柴田勝家は、朝倉勢が京へ向かう事を予見。直に手勢を率いて摂津へと向かい、織田信長にこの急報を知らせるべく強行軍を敷いた。

 その為この日、朝倉浅井の軍勢が大津山科へ火を放っていた頃には摂津に知らせが届き、織田信長はすぐさま行動に移った。


 殿しんがりに摂津三守護の一人、和田惟政。更に柴田勝家、金田正利を配すると、本隊を率いて急ぎ京へ舞い戻る。


 朝倉勢が京へ侵入する前に織田信長の本隊が到着した事で、京市中は戦火をまのがれた。


 更には宇佐山城が落ちなかった為に兵站確保が難しくなった朝倉勢は一度兵を下げざるを得ず、僧兵の手引きを以って比叡山延暦寺に立て籠もる形で形勢を膠着させた。


「毬栗めにくれてやれ」


 急遽駆けつけて比叡山の包囲に参加した美濃三人衆を含む濃尾の将兵が居並ぶ中、指名されて用を申しつけられた稲葉良道は、目の前に置かれた大量の黄金が入った袋をどうにか担ぎ上げた。


「畏まった」


 石島洋太郎長綱が率いる郡上八幡の兵千騎による見事な働きは、既に織田軍に知れ渡る事となっている。

 無謀にも堅田の地へと押し渡り、三万の軍勢を相手にしながら森可成と織田信治を救出し、敵にその首を取らせる事なく見事に連れ戻った。


 石島隊への追撃戦が長引いた影響もあって、朝倉勢は宇佐山城への総攻撃が遅れ、形勢の不利を悟って比叡山に立て籠もるに至っている。


 京に逃れた石島隊は僅か三百騎程度であり、その被害は甚大ではあるが、その過程で敵に与えた損失は千や二千では済まないであろう。


(見事な働きをしたものよ)


 稲葉良道は、自身の配下として与力されている須藤剛左衛門について、大身となりつつある石島家に帰す時期が来たかもしれない事を感じていた。


(この黄金だけではあるまい。いずれ何処かにご加増を賜ろう)


 既に伊賀一国を領有している石島長綱に、更に加増があるとすればそれはこの先、領国が増えた後の事になるのは間違いない。

 だがこの働きに対して、信長自身がいたく感心しているという事実がある以上、石島家は今後さらに大身となっていくであろう。


(返すのは惜しい、が。それが筋という物か)


 稲葉は、黄金を持って京へ向かう。

 京で待機を命じられた石島長綱へこの黄金を届けるのに、須藤を供として連れていく事にした。



◆◇◆◇◆


◇1570年9月25日

 遠江国 二俣城

 武田軍


「申し上げます。本日中にも織田は叡山を囲みましょう」


 信玄の元に、織田信長の動きが知らされる。


 武田家の諜報機関は、この一定時期に絞って織田信長本隊の動きを徹底的に把握する事に努めていた。尾張、美濃、そして摂津へと展開した武田家の諜報機関により、織田家本隊の動きは事細かに伝えられる。


「我等も動くとするか」


 貝のように城に籠ったきり身じろぎもしない徳川勢に対し、武田軍は総攻撃をかける手筈と整えていた。


「ハッ。鉄砲、大鉄砲、仕度整うて御座います」


 大鉄砲とは、文字通り一回り大きい鉄砲の事だ。弾丸に使用される鉛玉も大きく、城攻めの際にはその破壊力が如何なく発揮される事になる。


「明日の早朝から各城、総攻撃に入れ。織田の援軍が無いのであれば恐れる事はない」


 遠江の徳川方の城を囲む武田軍へ、其々に総攻撃の伝令が飛んだ。


 高天神城を囲む山県隊へも、明日の総攻撃を通達する使者が到着。それを受け、直に仕度に取り掛かる兵が慌ただしく動き回っていた。


「ヨシオ。明日は頼むぜ」

「んだな。任せろ」


 村上が準備してきた『真・信長包囲網』が始まろうとしている。


(ここまでは概ね史実通り。石島も期待通り、史実通りの馬鹿踊りだ)


 歴史の変革に挑む村上の目には、全てが思い描いた通りに進んでいるように見える。

 史実では駿河侵攻に手間取った武田家は、この時期に徳川を攻める事が出来ずにいた。織田家が苦しくなるこの時期こそ、歴史変革には理想的であると考えているのだ。


「なんで徳川が動かないのか気にはなるけどな。ま、遠江が手に入ればどうでもいい」


 村上の狙いは、東海道の武田領国化である。

 織田が健在であろうとなかろうと、武田家が東海道の支配に成功していしまえば、歴史変革など思いのままと踏んでいる。

 現段階での武田家の兵は総動員すれば十万に近いが、各地に敵を抱えている為にそれを一極運用する訳にもいかないのが悩みの種である。しかし、そこに東海道の兵を加えれば話は変わってくる。


(東の北条を抑えれば、南は海、東は北条。上洛に向けて軽く七万は動員できる)


 北に備えを残したとしても、一気に上洛して天下に号令を発するのに必要な兵を集める。それには東海道を領国化する事がなにより確実であると考えていた。


 その頃、徳川家康が守る曳馬城を包囲中の武田軍は、唯一例外として明日の総攻撃が行われない。

 この包囲軍は家康を浜松に封じ込めておく事が目的であり、曳馬城を力攻めにして落とす程の戦力を保持していないのである。


 その包囲軍が、昼過ぎになると急に騒がしくなった。

 海岸沿いに配置されていた隊から、伝令が飛びまわったのである。


「西の海から船団が寄せてくる」


 その数は遠めに見ても百は下らず、船種も多くの関船が見て取れ、どうやら安宅船まであるというのだ。


「直にお館様にお知らせせよ!」


 百足衆むかでしゅうと呼ばれる百足の旗指物を背負った武田家の伝令部隊が駆けた。二俣城を包囲中の武田信玄へこの知らせを届けるためである。



◇1570年9月25日

 遠江国 曳馬城

 徳川家


 同じ頃、曳馬城の櫓に登った徳川家康は、約束通りの船団来訪に胸をなでおろしていた。


(ようやく来たか。これで一安心よ)


 そのままそこで少しの思案を巡らせ、直に本多平八郎を呼び寄せた。


「平八郎、参りました」


 櫓の下から声をかける平八郎に対し、家康は見下ろす形で下知を飛ばす。


「平八郎よ。武田は退くぞ。追撃の仕度を致せ」

「武田が退く? ハッ。畏まった」


 主が何を根拠にそのような事を言い出したのかは不明であるが、とにかく追撃の仕度を整えるべく急いだ。


 櫓の上では、まだ海を眺めている家康の姿がある。


(思慮遠望とはこの事よ。伊藤修一郎長重、何処まで見通しておる)


 遠目に見えるその船団の中央。ようやく見え始めた安宅船。そこにいるであろう伊藤に対し、家康は強い警戒心を抱き始めていた。

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