第181話 志賀の陣 六

 森さんの隊と九郎様の隊でまだ戦える人については、そのまま負傷兵を運搬する係になってもらう事にした。


 その人達を守りながら、俺達は京を目指す。

 既に日は完全に落ち、暗闇の中を撤退を開始。


 闇夜に松明が浮かび上がり、敵の包囲の厳しさが見て取れるのだが、十三くんの進言は大当たり。あまり多くの敵兵に遭遇する事なく、順調に湖岸を南下していた。


 しかし、俺達が湖岸を南下している事を察知したのであろう。大津まではまだ距離がある中間地点で、浅井さんの精鋭部隊に捕捉されてしまったようだ。

 敵の激しい追撃に、遠藤義胤くんが負傷。命に関わる程の怪我ではないが戦線離脱と言える。


 立て続けに、畑佐義太郎くんの負傷が報告された。左肩に銃撃を受けたらしく、俺の近くに運び込まれて簡単な手当を受けている。


「殿、申し訳ございませぬ」


 痛みをこらえながら、まだ少年と言える年頃の義太郎くんが本当に悔しそうな表情を浮かべていた。


「何言ってるの。最初に言ったじゃない。生きて帰る事が何よりの武功だって!」


 十五くんと吉田くんが前方の敵を討ち散らして退路を作り、その間は畑佐さん達が後方を支える。この繰り返しで徐々に大津に向ってはいるが、時間が経てば経つほどに敵の追撃が激しくなっているのが分かる。


「殿!」


 そんな苦しい撤退戦の真っ最中。義太郎くんを心配したのか畑佐六右衛門さんが全身返り血だらけでやって来た。


「畑佐さん」


 よく見ると、背中には数本の矢が突き立っている。甲冑を着ているとはいえ、背中が無事なわけがない。


「殿、この畑佐六右衛門、一族郎党を率いて殿しんがりを務めさせていただく!」

「畑佐殿!」


 直に振り返って戻ろうとする畑佐さんを、十三くんが呼び止めた。


「十三殿、義太郎の事。宜しくお頼み申す!」


 振り返った畑佐さんの両目には、漢の覚悟がくっきりと見て取れる。行かせたくないが、この状況では殿を置くのが理想だろう。


「畑佐殿、お頼み申す!」


 十三くんが一礼し、畑佐さんが殿を務める事を承諾。畑佐さんは「共に行く」と言い出した義太郎くんを殴り飛ばす勢いで跳ね除けると、俺に向かい直した。


「義太郎、殿をお守りせよ。殿、義太郎の事、お頼み申す」


 親子の別れ。

 俺の我儘で、畑佐さんを死なせる事になりそうだ。

 畑佐さんは再び背を向け、何も言わずに走り去った。



◇1570年9月19日 深夜

 近江国 大津付近

 織田軍 畑佐六右衛門隊


 主君に挨拶を済ませた畑佐六右衛門は、自隊へ戻るや否や一つの命令を下した。


「跡継ぎのいない者は義太郎と共に京へ向かえ。残りの者は俺と共に死に花を咲かせてくれようぞ」


 その命令に、一人の男が笑い声を上げた。

 この男、身の上は郡上木越付近の農家の者で、畑佐家の武役に答え続けて長い年月が経つ。歳は今年で四十を超えるが、未だ家を継ぐ子に恵まれていない。


「何を申されるかと思えば、そのような小さな事を気になさる主であったかな」


 ひとしきり笑ってこう言い出すと、更に言葉を続けた。


「例え儂が死んだとて、妻や母の面倒など石島の殿様がしっかりと見てくれるであろうよ。我が主もそのような御人にお仕えしておる影響で、人の良さがうつったらしい。ハッハッハ」


 畑佐隊はどっと笑いに包まれた。


「そうじゃそうじゃ。そのような事、気になされるような主ではなかったぞ。さあ、『皆で死のう』と申されよ」

「そうじゃ。そうじゃそうじゃ、ハッハッハ」

「共に参らん」

「応!」


 闇夜に集まる畑佐隊は、一塊となって互いの覚悟を伝染させていく。


「ちっ……後悔しても知らんぞ!」


 畑佐隊の後方から、再度体勢を立て直した浅井勢と思われる一隊が接近してくる。距離はまだあるが、そうのんびりもしていられない状況である事は間違いない。

 当然その事は、畑佐隊の誰もが分かっていた。ここで踏みとどまるのであれば、行く先は京でも、岐阜でも、郡上八幡でも、生まれ育った郡上木越でもない。


「後悔など、するならとっくにしておる。六右衛門様こそ、我等を見くびらんで頂きたいもんじゃ」


 再び口を開いた農家の男は、周囲を見回すようにしながら言葉を続ける。


「地獄でもひと暴れ致すのでしょう。当然、手勢が必要になるでしょうからな。御供致します」

「御供!」

「応、御供!」


 その声に覚悟が腹に落ちた畑佐六右衛門は、小さく笑うと槍を握る手に力を入れた。


「よかろう。者共、存分に暴れ、あの世で今宵の武勇を語らいあおうではないか」

『応!』


 直に隊を横に展開し、迫りくる浅井勢に備えを取る。その中央に仁王立ちとなった畑佐六右衛門は、今更ながらに良き家来衆に囲まれている事を知った。


(この者達とであれば、地獄でも楽しくやれそうじゃ)


 ギラリと光る両の目には、浅井勢ではなく、迫りくる地獄の鬼共を見ている気がした。


(義太郎、畑佐の家を頼むぞ。伊藤様、約束通り、ご恩は武功にてお返しさせて頂く!)


 大きく息を吸った六右衛門は、闇夜に向って大音声を発した。


「者共! 死ねや!」

『応!!』


 死兵となった畑佐六右衛門隊と、それを追撃する浅井の精鋭が激突。


 闇夜の無数の血しぶきが舞った。

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