信長包囲網
第172話 三好三人衆
◆◇◆◇◆
◇1570年7月20日
摂津国
前の月、六月に起きた池田家中での騒動は、織田家から派遣されていた金田正利の仲裁によって一応の収まりを見せていたが、この日ついに状況が一変した。
予てから摂津奪還を目論んでいた三好三人衆は、池田家一門である
両名は共謀する形で再び池田家中に内紛を起こし、ついに当主である池田勝正を追放する事に成功した。
知らせを受けた摂津代官金田正利は、京と岐阜へ急使を派遣。
直に摂津での戦仕度に取り掛かったが、池田家の内紛に合せて挙兵した三好三人衆に動揺した畿内では、織田の旗に多くの兵が集まる事はなかった。
最も迅速に対応したのは、大和切り取り次第として仕置きを任されていた松永久秀であったが、積極的に摂津へ兵を運ぶ事はせず、拠点信貴山城で軍備を整えると、七月二十七日に信貴山城を発って河内国へ入り、三好三人衆の影響力が河内に及ぶ事を阻止するに留まった。
この行動は摂津へ介入しない消極性と、三好三人衆の勢力拡大を先手を以って防ぐ積極性とが表裏一体であり、それは見る者の立場によって入れ替わる絶妙な一手であった。
池田家の内紛に乗じて摂津乱入に成功した三好三人衆は、足がかりとすべく拠点の構築を開始。大坂湾に面した河口に点在する中洲にあった野田砦を増改築。
この中洲は『島』と呼んでも過言ではない大きさの物で、平安期以前には『難波八十島』と呼ばれる程に入り組んだ中洲が点在しており、この周辺一帯が河口デルタ海岸であったと思われる。
その中洲を囲む河川を更に掘り、天然の水掘りを深くし、塀を立て、西は海、東と南北は深い河川に囲まれた天然の要塞を作り出した。
そして、野田城だけでは広大な中洲を維持する事が難しいと判断し、同中洲に新たに福島城を普請。同様に河川を深く掘り、塀や櫓を立てて要塞化を急いでいた。
八月二日。
京では、金田の急使を受けていた将軍足利義昭が状況の思わしくない摂津を憂い、ようやく各地に織田支援を要請。
如何に織田信長の増長を疎んでいるといえども、宿敵である三好三人衆が相手では見過ごすわけにもいかず、と言った所であろう。
特に信長から河内半国の安堵を受けていた畠山氏に対しては、和泉や紀伊まで広く影響力の及ぶ限り兵を集め、織田への協力をするよう御内書を送りつけている。
八月十七日。
金田を筆頭に摂津の織田方が防衛の仕度に取り掛かる一方、既に野田城、福島城の築城に目途を立てた三好三人衆は先手を打つべく行動を開始。
織田方の前線基地である古橋城を攻撃した。
松永久秀と共に織田方に付いてた
古橋城の城兵はほぼ全滅と言える程の被害を出すまで奮戦するも、織田方の後詰を待つ時間を稼げぬままに、僅か一日で最前線を失地した。
八月二十日。
摂津での状況悪化を懸念した織田信長は、この期に三好三人衆を畿内から駆逐する事を決意。各地へ出陣命令を下すと、自らも馬廻り衆三千騎を率い同日中に岐阜を発った。
■1570年8月21日
美濃国 郡上八幡城
石島家
まったく人使いが荒いにも程がある。
伊賀から戻って二か月と経っていないのに、もう出陣命令が下された。
愚痴を言いたくもなるが、やらない訳にはいかない。
「殿、御武運を」
「ああ、行ってくる!」
真新しい帷子に身を包み、陽との挨拶を済ませ、俺は急ぎ足で二ノ丸を出た。既に城下に集まった兵隊さんの整列が終わっている頃だ。
「殿、仕度が整い次第、直に出立致します!」
二ノ丸の外で待っていてくれた十三くんに隊の指揮を一任。プチ伊藤さんみたいな十三くんが同行してくれるのであれば、俺は総大将としてどっしりと構えていればよい。つまり、何もしなくてもいいので楽である。
「各隊、整いました!」
吉田くんの報告を受け、十三くんが号令を発する。
「全軍、関まで駆けよ!」
信長様はもう既に岐阜を出発している。あまりのんびりしていては怒られてしまう可能性も無くは無い。
なんせ俺は、織田家の中で唯一と言っていい国持ちの武将である。しいて言えば松永久秀さんも大和一国を言い渡されているらしいから唯一ではないのだが、松永さんはまだ大和を半分も切り取れていない。
そんな訳なので、織田家のやや重臣(?)として、ここは大急ぎで信長様の後を追う必要がある。無様な遅刻など許されるはずもないのだ。
それに、俺個人としても早く摂津へ到着したい想いでいる。
何故ならば、金田さんから「ピンチだぜ」的なお手紙を貰ったからだ。
先月、温泉で聞いた『志賀の陣』とやらが始まったのだろうか。よくわからないが、金田さんの書状には「正念場だ!」との記載もあった。これは気合を入れて損はないだろう。
三日後、京都に入った俺達は、そのまま京都の守備を命じられた。摂津へ行って金田さんを助けようと思っていたのだが、そうもいかなくなってしまった。
信長様は明日にも摂津へ向かうらしく、最低限の守備隊だけを残して京を出発予定だとか。俺は守備隊として京都に残りつつ、どうせなので久しぶりの京都を満喫するつもりでいる。
(陽に何かお土産買って帰ろうっと)
一応は足利将軍家の本拠地ではあるが、京都市中の警備については織田家が一任されている。税の取り立てなんかも織田家の奉行さんが深く入り込んでいて、特にその責任者である村井さんあたりは日々大忙しだそうだ。
今回の合戦に、俺は郡上八幡の兵だけを率いて参戦している。
信長様は国持ちとなった伊藤さんと個別に色々とやり取りをしている。それは伊藤さんだけでなく、大和の松永さんもそうだし、摂津の金田さんもそうだ。
ただ、伊藤さんは一応は俺の部下という建前があり、信長様と伊藤さんのやり取りはその内容まで殆ど俺に報告が上がっている。
そして、俺を飛び越して伊藤さんとやり取りをしている信長様も俺に気遣いをしてくれていて、時折手紙が届く。
つい先日届いたお手紙は直筆の物で、今後も伊藤さんと一緒に織田家を支えて欲しいという内容のお手紙だった。
普段は言葉数の少ない信長様から、そんな胸熱なお手紙を貰うとなんだか照れくさく、同時にやる気が漲ってくる。
信長様も伊藤さん同様、人の心を掴むのが上手いのだろうか。普段の素気ない態度と、あの手紙のギャップは正にツンデレだ。
信長様は広い領国の隅々まで気にしているようで、今回は特に伊勢方面の不安定を危惧しているらしい。摂津で戦っているうちに伊勢で反乱でもあれば確かに一大事である。
伊藤さん率いる伊賀兵は、伊勢で不測の事態があった場合に備えて伊賀に待機という話になっているそうだ。
かといって、絶対に動いてはいけない、という訳でもない。
任意で動かしても構わない物ではあるが、伊藤さんからは「ちょっとやる事があるので今回は動かない」との知らせを受けている。
(あのハーレム極悪モテ親父め。ハーレム満喫で動けないのか)
まあたぶん、伊藤さんなりの何かがあるのだろう。しかし、伊賀の兵なしでは俺の兵なんて決して多くない。
それでも今回は正念場らしいので、頑張って千二百騎の大動員である。郡上八幡と、木越城の十三くんの兵、それから畑佐六右衛門さんを筆頭にした国人衆の皆さん。今回は石島家の総力戦である。
夜になって、畑佐六右衛門さんが本陣を訪ねてきた。
「殿、お目通りを願いたく」
用向きは既に十三くんから聞いている。
今回の合戦に、六右衛門さんはご長男を同行させているのだ。今年で十六歳になるとかで、遠藤義胤くんと同年であり、今回が初陣だそうだ。
その子が、六右衛門さんに連れられてやって来たのだ。
「先般お話いたしました、愚息に候」
愚息などと言うが、六右衛門さんの表情はとても嬉しそうである。
自慢の息子さんがついに大人として合戦デビューだ。俺の知っている親心ならば、殺し合いをする場所になど息子を出したくないのであろうが、この時代の男親という物は違うらしい。
立派な戦働きが出来てこそ一人前。早くそうなるように祈っているのだろう。
「お目通り叶い恐悦至極でございます。畑佐六右衛門が愚息、畑佐
よく日に焼けた色黒の少年だ。
くりっとした目はお父さん譲りだろうか。時代が時代であればそこそこなイケメンくんだろう。
「石島洋太郎です。御父上には大変お世話になっております」
義太郎くんの緊張しまくった挨拶に、何故か俺まで釣られて緊張してしまう。今回の合戦がどれくらい厳しい物になるかは分からないが、是非、無事に終えて貰いたいと願う。
「必ずや手柄を上げてご覧に入れます。お見知りおきの程を!」
気合十分だが、それは俺にとって懸念材料でしかない。
「義太郎くん、手柄はまず、生き残る事です。死んでしまっては何もなりません。しっかりと生き残り、これから長く石島家を支えて下さいね」
「ハッ! 勿体なきお言葉、恐悦至極!」
まるで覚えたての武士語を使っていた俺のように、たどたどしい物言いで元気よく挨拶を終えた義太郎くん。これから石島家を支える武将さんに成長していってくれるのが実に楽しみだと思った。
「まあそう気を貼らずに。明日は一緒に京都見物にでも行きましょう」
もし、俺がもっと活躍して領地を広げるような事になっていくのであれば、信頼できる有能な部下は多いほうが良い。現状はどうにか事足りているが、やっぱり不足気味だ。
十三くんには郡上の内政の管理で頼りっぱなしだし、十五くんには軍備の件で頼りっぱなしだ。それを補佐する遠藤くんも、吉田くんや粥川くんなんかも毎日忙しそうに働いている。
これ以上、新しい土地を管理する為の人材を裂いてしまっては、この俺が実務に携わらなくてはならなくなる。
決してやりたくない訳ではないが、この俺に細かい実務を任せるなんて、俺でも恐ろしくて出来ない。もっと有能な人にやってもらうべきなのだ。
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