第164話 姉川の戦い 弐

◆◇◆◇◆


◇1570年6月28日

 近江国 北近江 姉川

 織田軍 坂井隊


「申し上げます! 尚恒様、敵将今村氏直を討ち取ったとの事!」


 織田の反撃が始まってしばらくすると、坂井政尚の元に嬉しい知らせが届いた。自慢の息子が討ち取ったのは、浅井家で軍事に従事する名のある将で、この手柄は実に見事な物である。


「やりおる、我等も負けておれん、後に続くぞ!」

『応!!』


 坂井尚恒の奮戦に、坂井隊は大いに活気づき、尚恒に続いて次々と姉川へと降り立っては浅井勢を蹴散らした。



 ――同刻、柴田隊。


「馬廻り衆ばかりに手柄を取られて良い物か! 我等も行くぞ!」


 坂井尚恒の活躍が柴田隊にも伝えられ、それに奮起した柴田勝家が渡河を下知。坂井隊が渡河を開始した地点よりいくぶん東側の浅瀬で渡河を開始した。

 それを防ぐべく、浅井側は鉄砲を撃ちかけてはいるが、纏まった数に満たない鉄砲の射撃程度では、柴田隊の足を止めるには至らない。


「押し渡れぇ! 敵本陣に槍を突き入れるぞ! 渡れぇ!」


 織田家随一と言われる猛将が渡河を開始した事で、織田勢は一斉に攻撃を強める。各所で渡河が試みられ、既に前線がばらつき始めていた浅井勢は大いに隊を乱した。

 特に浅井側の被害が大きいのは、率いる将を失った中央である。


「悔しいが此度の手柄は馬廻り衆よ」


 柴田の目には、坂井親子が奮戦している中央付近の戦果が目覚ましく映る。これに勝る手柄を上げるのは難しいかもしれないと思い始めていた。



 ――同刻、木下隊。


 木下隊はどうにか目的の地点へと兵を押し入れる事に成功。既に坂井隊が放棄した本陣前の陣所を間借りすると、すぐさま兵を展開し隊列を整えようとしていた。


「半兵衛! これでええんじゃな!」


 半ば自棄になっている秀吉に、竹中は笑顔を返す。


(ええい、こうなりゃ自棄くそじゃ!)


 竹中の笑顔に、秀吉はようやく覚悟が決まった。


「者共! 敵の猛攻があるからな、覚悟しておけよ。絶対にここで食い止めるんじゃ!」

「応!」

「応!」


 浅井本陣と織田本陣の中間地点。先程まで坂井隊が展開していた地点に、木下隊が防御陣を引いて敵を待った。



 ――同刻、坂井隊。


「なに? 藤吉郎め、気でも狂うたか」


 織田の先頭を切って浅井勢を追い散らし、姉川を渡河しかけていた坂井政尚の元に木下隊の布陣が知らされた。

 状況は完全に押し込んでおり、今更後方の備えなどどうにも理解しがたい。


(藤吉郎め、よもや裏切った訳ではあるまいな)


 坂井は一瞬、木下隊がこのまま織田本陣に斬り込む可能性を思い浮かべたが、それは直後に舞い込んだ知らせによって振り払われる。


「申し上げます。浅井本隊、野村を出て姉川へ向かっております! 間もなく此方へ参るかと!」

「なに? ここからまだやる気か」



 ――バリバリバリバリ



 ここへ来て、ようやく纏まった一斉射撃が鳴り響く。


 浅井本隊が姉川に押し寄せ、渡河しようとしていた織田勢に散々撃ちかけているのである。


「伝令、尚恒に伝えよ! 渡河を止め、直に戻れ!」

「ハッ」


 政尚は姉川から上がると、息を切らして小高い地点に駆け登った。


 見渡す限りの織田勢は、特に苦戦を強いられる風でもない。

 ただ、つい先ほど自分が渡河しようと試みていた箇所だけが、黒々と浅井の新手によって埋め尽くされている。


(一点突破か)


 政尚は危機を感じ取り、自分達の後方に布陣した木下隊の神業ともいえる行動に舌を巻いた。


(藤吉郎、やりおる)


 自分達も直に守りを固めなければならない。

 坂井は高所を降りると自隊を叱咤、渡河してくる浅井を迎え撃つべく兵を纏めた。


「申し上げます! 尚恒様、討死!」

「なっ……なんじゃ! もう一度申せ!」

「ハッ、尚恒様、討死!」


 声を詰まらせた伝令自身、既に助からないであろう刀傷を受けている。主の死を伝えると、そのまま絶命して政尚の足元に倒れ伏した。



■1570年6月28日

 近江国 北近江

 横山城包囲軍 石島隊


「付いて来てください!」


 そう言い残して踵を返すつーくんを追う。

 横山城に接近した俺達は、このまま包囲に加わるのではなく、稲葉さんの隊と共に織田本隊の救援に向かう事になった。

 ここまでの道中はそれ程急いだわけではない。兵の疲労もそれほど濃くはないだろう。


 ただ、不安がある。


左京進さきょうのしん! 十五くんがいないから頼むよ!」

「ハッ!」


 十五くんを佐和山城の備えに残してしまったので、前線の指揮官が不足なのだ。

 連れてくるという選択肢もあるにはあったが、疲れ切った十五くんを前線へ投入するのは危険すぎる。


「殿、某が前線へ参ります」

「はい、お願いします。左京進を助けてやって下さい!」


 たぶん心強いはずだ。伊賀兵の侍大将として、伊藤さんが俺に預けてくれた百地三太夫さん、楓ちゃんのお兄さんが勇ましく頼もしい。


 石島隊はそのまま休むことなく稲葉さんの部隊を追い、姉川の激戦地帯へ向けて進む。最前線の指揮は吉田左京進くんと百地三太夫さんにお任せするしかない。


(結局決戦に参加か)


 なるべく兵を失わないようにしたい。どうせ俺が参加しなくても勝てる戦であるならば、無駄死にというヤツになるかもしれないのだ。


(でも、全力でやるのも大事なんだよな)


 そうは言ってもやると決まった以上、手抜きなんかしたら信長様の鉄槌が下りかねない。ここはもう腹を括ってやるしかないか。

 つーくんもいるのだ。稲葉隊の支援であれば、公私共に十分遣り甲斐がある。


 そんな事を考えながら馬に跨って進むと、次第に戦場が近くなり、銃声や馬の嘶き、人々の悲鳴に包まれているエリアに入った。


「伝令! 申し上げます! 稲葉隊、これより乱戦地帯を迂回して渡河、敵の側面を突き崩します。石島様もご同行を!」

「承知、同行させて頂きます!」

「ハッ!」


 稲葉さんからの伝令に応え、俺は隊を稲葉隊に寄せるようにしながら姉川に急接近していた。

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