第142話 伊賀へ

■1569年10月11日 夜

 伊勢国 津

 石島隊


 信長様の許しを得て伊賀へ向かう俺達は、今日は津という場所で野営陣で一泊でする事になった。


「いやぁ、腕が鳴るな洋太郎!」


 何故か陣所にいる九郎様と酒を酌み交わしている訳だが、石島隊は現状【隊】と言えるほど可愛い物ではなくなっている。


「戦わずして勝てる事が理想ですけどね、どうなりますか」


 戦わずに勝てるかもしれない程、俺達は大軍勢で伊賀を威圧している。

 石島家として借り受けた手勢だけでは心もとなかったので有難い話ではあるが、その規模は俺達の想像を遥かに凌駕する物になってしまった。


 信長様からの帰国命令が「好きにいたせ」なんて緩い物だった所為で、伊賀へ向かう俺達に気を使う武将さんが続出したのだ。

 九郎様のように軍勢丸ごと残って参加してくれている人もいるし、兵糧物資を置いていってくれた人、武器弾薬を置いて行ってくれた人もいる。


 特に、手勢をいくらか残していく人が多く、俺の指揮権の元に展開している織田軍は現段階で二万騎を超える。

 主だった将兵を上げるとこんな感じになる。

 もちろん、伊藤さんからの報告にあった人達だ。


 織田家 織田九郎信治

     金田健二郎

     坂井政尚

     蜂屋頼隆

     斎藤利治


 柴田家 毛受勝助


 丹羽家 青木所右衛門

     大屋甚六


 森家  各務清右衛門


 稲葉家 須藤剛左衛門

     那波直治


 木下家 木下小一郎

     宮田喜八


 更に、現段階では合流していないが、滝川一益さんが同調する形で伊賀へ兵を進めると申し出てくれた。この行動は単純な援軍ではなく、降伏したばかりの北畠勢を軍事的指揮下に置くのに都合が良いからだそうだ。

 滝川一益さんは北畠勢を中心に伊勢の兵五千を準備している。


 これだけではない。


 伊藤さんと金田さんの活躍により、北伊勢地方の諸勢力は極めて協力的である。


 ここで織田家に対して協力的な姿勢を見せる事で、今後の自分達が安泰であろうと思っているはずだし、織田家一門衆となった伊藤さんに少しでも良い印象を植え付けたいという感情もあるだろう。


 北伊勢地方から鈴鹿峠を越えて伊賀に入る準備を整えている軍勢が、既に二千騎を越えているという報告が入っている。


「九郎様、お目にかけたき者が」


 伊藤さんが小さく会釈して九郎様を促すと、九郎様は快く頷いて伊藤さんが連れてきた人物と向き合った。その光景に、俺はなんだか少しニヤニヤしてしまう。


 その人物がたどたどしい武士語で堅苦しい挨拶を始めた途端、九郎様が大きな声でその挨拶を遮った。


「そう堅苦しい挨拶をなされるな、須藤剛左衛門殿と言えばその武勇を知らぬ者などこの織田家にはおらんぞ! 左腕の傷は良いのか? 会えて嬉しいのは此方のほうぞ、兄上が大層感心されたと聞いておる。須藤殿、何を小さくなっておるんじゃささ、こちらへ来て座られよ」


 早口でまくし立てられたつーくんは、左腕を首からぶら下げた状態のまま引きずられるようにして俺の目の前まで連れてこられてしまった。


「石島の殿、よろしいのですか?」


 つーくんに改まってそんな言い方をされるとむず痒い。


「何言ってんのさ、言いも悪いもないでしょ。怪我が問題ないなら飲もう!」


 九月初旬に夜襲失敗で大けがをしたつーくんだが、この一か月まるまる殆ど寝て過ごしたそうだ。


 信長様の主治医に見てもらう機会もあったそうで、傷の回復具合は良好らしい。伊藤さんもそうだが、俺達はどうやら傷の治りが良いのかもしれない。


「修一郎殿も此方で共に飲もうぞ。俺は修一郎殿の話が聴きとうて聴きとうてたまらんのじゃ」


 若干よっぱらいの九郎様が徳利を振り回しながら伊藤さんを呼ぶが、伊藤さんは「今しばらく」と笑顔でかわしている。どうやら誰かを待っているようなのだ。


 しばらくして金田さんも陣を訪れて来て合流。

 九郎様は金田さんの話も聞きたかったらしく、それはもうマシンガンのように質問をぶつけていた。


「そうは言うが健二郎、その方、摂津の豪族から娘を押し付けられたそうではないか。どうじゃ、良かった? ん?」


 九郎様の欠点は、そっちの話題になると急に下衆になる事だ。


「九郎様、そんな露骨な聞き方はちょっと」


 金田さんは前かがみになって顔を寄せると、俺達も自然に前かがみになる。俺、九郎様、つーくんと顔を近づけた金田さんは小声で呟いた。


「よかったっす。そりゃもう若い子四人も貰っちゃいましたからね、毎晩とっかひっかえでウハウハです」

「え~!?」

「ギャハハ、金田先輩ご盛んっ」

「おう、健二郎め、やりおるわい」


 こんな話題の最中、伊藤さんは待ち人が来たようでいつの間にか姿が見えなくなっていた。


 翌朝。

 織田軍二万の先鋒には、軍議で立候補のあった斎藤利治さんと木下小一郎さんが選ばれた。そしてこの両名に付き添う形で、伊藤さんが郡上の兵三百騎を率いて動向する。


 木下隊五百。

 斎藤隊一千。

 石島隊三百。


 合計一千八百騎という小勢ではあるが、伊賀へ入る狭い山道を通る上ではちょうどよい人数だとか。


 斎藤利治さんという方は、稲葉さんの所にお勤めしている斎藤利三さんとは全く無関係な人だそうで、どうやら織田信長様の義理の弟にあたる人だとか。


 要するに、信長様の奥様の弟さんである。

 伊藤さん達が先頭を進み、その後を見慣れない一団が進む。俺達織田家の面々はその一団に目を点にしていた。

 軍議の席で伊藤さんから発表があったので頭では理解していたのだが、実際に見ているとなんだか妙な気分になる。


 伊藤さんが昨晩待っていたのは、この一団であった。


 派手な出で立ちで賑やかな祭囃子を奏でる集団や、どう見ても商人さんだとわかる大量の荷物を運搬する人達。農耕具を大量に搬送している人達。

 どっからどう見ても、これから戦をしに行く集団には見えない一行が先鋒隊の後に続く。


 軍議の席で伊藤さんが発表したのが、今回の戦の目的である。


「今回の戦は敵の首を取るのではなく、敵の胃袋を取る所からはじめます」


 伊藤さんが発した一言は、同席していた一同の目を点にした。


「伊藤殿、腹を抉って胃袋を取り出せと申されるのか?」


 そんな質問が飛び出したが、もちろんそうではない。

 伊藤さんは今回は敵を倒し首を取る戦ではなく、伊賀の人々の心を取る戦であるとした。その詳細は良く分からないが、首を取らないという意味は、こちらからは戦を仕掛けないという事であった。


 それはこの戦に参加した面々にしてみれば一大事で、せっかく来たのに手柄を上げる機会が無いという事になる。

 それでは困るという事で、せめて楽しい時間にしようという伊藤さんの計らいで、お芝居をする人や、だんご屋やらソバ屋やら、祭りをする人やら大工やら農家の人やら、とにかく民族大移動のように伊賀に入り、楽しく過ごしましょうというのだ。


 全く意味不明だし、多くの反対意見が出されると思っていた。

 ところが、反対意見が全く出なかったのである。


 理由は単純で、多くの将はそれぞれの主君から伊藤さんのやり方を見てこいといった類の指令を受けていたからだ。


 信長様が態々養女を取ってまでして一門に迎え入れた人物、郡上攻防戦や北伊勢調略で抜群の働きを見せた人物、その伊藤修一郎長重なる人物が何をするのか、一部始終を見てくる事が仕事になっている人もいるだろう。


 そして何より、前代未聞のやり用に興味を持っている人が多いようだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る