第141話 伊勢平定
最初の激突を槍衾で凌いだ須藤隊は、不慣れな悪路で殿を務める形となっていた。
「ここで止まる! 迎え撃ってまた下がる!」
部下達は須藤の指示に良く従っていた。
このような血みどろの撤退戦では、大いに士気を低下せてしまう事も珍しくはないのだが、日頃からよく訓練されている須藤隊が逃散してしまう事はなかった。
土砂降りの中の撤退戦は、須藤本人に重傷を負わせる形となった。しかし、この夜襲に挑んだ三隊において、名のある将を一人も失う事なく撤退できた稲葉隊は運が良かったと言って良いだろう。
勿論、その立役者となった須藤剛左衛門はその武名を大いに知らしめた。重症を負って倒れていた陣所に、織田信長本人が訪れては、その場で感状を書き記して与えた程である。
翌九月九日。
須藤に感状を手渡した織田信長は、同行していた滝川一益に対し、敵大将北畠具教の邸宅を焼き払うように命令。
その日のうちに多気谷の御所を焼き払った滝川一益は、そのまま大河内城周辺の田畑を薙ぎ払い、大河内城を不毛な地に孤立する状況に追い詰めた。
織田軍の徹底した持久戦は、徐々にではあるが北畠勢を追いつめていく。
途中、舟木城を出た本田某等が織田軍に対して散発的な攻撃を仕掛け、その間にどうにか兵糧を運び込もうと試みたものの二重三重の包囲を突破する事は叶わず、大河内城は次第に餓死する者が出始めるまでに至った。
「丸坊主! 行って来い」
「ハッ!」
十月一日。
通常であれば稲の刈り入れが行われているこの時期、城側から降伏の意思が伝えられ、それを受ける使者として金田健二郎が選ばれた。
降伏の使者が城側から訪れたとはいえ、未だに数千騎の兵を共に城に篭る北畠勢は、やろうと思えば最後に一勝負仕掛ける事さえ可能である。
この様な状況下では、本来であれば降伏の条件が纏まるまで少なくとも数日、長ければ一月を要する。
しかし、織田信長はこの交渉を一日で終わらせるつもりでいた。その為の案を金田に持たせてある。
北畠側は、降伏に当たっては城にいる兵や将は勿論、北畠具教本人の安全、北畠家の所領安堵まで保障させるつもりでいた。
ここまで徹底抗戦した上でその条件を引き出せれば、実質勝ったようなものである。
北畠側がそこまで強気になれる原因は、織田信長の側にあった。それは織田信長も十分に承知している。
それは、つい前年に京都へ奉じた足利将軍義昭の存在である。
北畠家は伊勢の国司として幕府に寄与し、長きに渡って足利幕府を支え続けた名門である。その名門が、織田家との講和を足利将軍に泣きつけば、必ずや協力的な返答が得られるであろう。
織田信長によって京を得た将軍が、自分から手を差し伸べる訳にもいかないが、泣きつかれたとあっては違ってくる。
北畠家としては、最終的にはその手段を取るつもりでいる。
逆に織田信長としては、それは絶対に避けたい結末と言える。どれほど有利な条件で講和を締結しようとも、その講和の実権はそれを実現した足利義昭の物となってしまうからだ。
どうにかして織田家単独で北畠との講和を引きだしたい。その為に、織田信長は金田に条件を授けた。
織田信長の次男茶筅丸を北畠具教の養子とし、北畠家の本領を安堵。家中の者尽く責めを問わず、織田家の一門衆として働いてもらいたい。
これは北畠側が想定してい以上の条件であった。
本領安堵や安全確保は勿論、なんと信長の次男を人質として出すという条件まで付いてきたのである。
兵糧に貧窮し餓死者まで出していた北畠側は、この条件をもろ手を挙げて歓迎した。
「北畠具教様、我が方の条件全てを承諾の上、十月四日に大河内城を退去されるとの事で御座います!」
金田の報を受けた織田軍はその日のうちに包囲を緩め、約束の十月四日には大河内城から約三里の距離を明け渡し、北畠勢が安全に退去出来る事を示して見せた。
こうして北畠側は大河内城を明け渡し、籠城で奮戦した勇士達は其々の所領に戻る事を命じられた。
織田信長は伊勢攻略に障害となった阿坂城を初め、田丸城等いくつかの城の破却を命じ、北畠への茶筅丸嗣入の介添えに織田家一族である津田忠寛を置く。
更に、人が豊富な伊勢から、織田の領国である尾張、美濃、近江への人の往来を気にしていた織田信長は、旅人の悩みの種であった関所の撤廃を厳命。
伊勢を往来する人々から通行税を徴収する事を硬く禁じた。
■1569年10月5日
伊勢国
石島隊
木下さんの阿坂城攻略を見届けた俺達は、その後しばらく大河内城の包囲に参加。
落城後、織田信長様に付き添う感じで伊勢神宮を参拝。
伊勢への先鋒を務めた森さん、滝川さん、そして俺は、良い働きをしたとして信長様から立派な刀を賜った。
更に、森さんは東美濃方面で領地の加増を言い渡され、滝川さんも南伊勢方面の統治を担当する事になり、両名は着実に出世街道を進む感じである。
俺はと言うと「何か望みあるか?」と聞かれている。
この信長様からの質問に対する答えは決まっていた。
勿論、俺が考えた訳ではないのだが、今年の春から決めていた事である。多少の冒険だとしても、俺達も加増を貰えるような働きをしなくてはならないのだ。
俺は出来るだけ頭を下げ、床にくっつくすれすれの所で言葉を発した。
「恐れながら申し上げます。お借り致しております兵を以って、伊賀の攻略をお許し頂きたく!」
伊賀という場所がどんな場所なのか、俺は正直言って想像がつかない。
忍者だらけの場所なのだろうかと考えてはいるが、伊賀十二人衆と言われる人達によって合議制による政治が行われているという、聞いただけだと何やら近代的な取組をしている人達らしい。
伊賀国惣一揆と呼ばれる物だそうで、大和国方面から三好家による侵攻を何度も撃退してきた凄腕集団だそうだ。
そんな人達の所へ、俺は攻め込ませてくれてと頼んでいる事になる。
「毬栗、切り取り次第じゃ。好きにいたせ」
よく分からないが、好きにしていいらしい。
「ハッ!」
元気よく返事だけはしておいた。
直後、信長様は立ち上がって指示を飛ばした。
信長様は馬廻り衆を率いて京へ向かうとの事。
それ以外の将は全て「好きに致せ」との指令である。
普通に考えれば「帰ってよし」という事であるが、俺は伊賀攻略を許された立場なのでそちらへ向かう事になるだろう。
陣所に戻ると、信長様とのやり取りを伊藤さんに報告。
「切り取り次第って? ほんとに? やったじゃん殿!」
伊藤さんは俺の肩をバシバシと叩きながら嬉しそうにしている。
「切り取り次第って、どういう意味なんですか?」
さっぱり分からない。こんな時はもうストレートに聞くのが一番である。
「ま、簡単に言えば『褒美は切り取った土地』って事になるね。伊賀攻めの褒美は俺達が奪った土地。要するに伊賀を全部占領できれば、伊賀まるまる一国をくれるって事!」
「一国……まるまる?」
図らずも、急にスケールの大きな話になってしまった。
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