第76話 敗者

◆◇◆◇◆


◇1567年 8月2日早朝

 美濃国

 郡上八幡城 本丸 遠藤家


 石島に対して送った降伏の使者が無事に戻ると、主だった家臣は皆、本丸の館に集められた。


「信じられん。この俺が恨みを抱かぬとでも思うておるのか」


 遠藤慶隆は、石島が提示した条件である『当主慶隆の切腹禁止』を理解しかねている。


「生きよと申すのであれば、これ幸い。いずれ期を見て郡上を取り返す事も出来ましょう」


 白髪が混ざり始めた中年の家臣そう言うと、遠藤は露骨に嫌な顔を向ける。どうもこの遠藤という若者は、感情が殆ど顔に出るらしい。


「そのほう、誠にそう思うておるのか? ならば今すぐに隠居したほうがよいぞ」

「んなっ!?」


 言われた家臣からしてみれば、「こんな若造に」という思いであるだろうが、そこは年の功。どうにか感情を押し殺し、顔を下げ、飛び出しかけた暴言を飲み込んだ。


 遠藤は、その反応を「反論出来ずに黙った」と受け取れてしまう思考を持ち合わせている。

 気を良くして言葉を続けた。


「稲葉山を織田上総介が包囲したという知らせが入っておる。恐らく美濃三人衆も既に織田方であろう。この郡上も近いうちに織田の支配下に入るのだ」


 そこまで言うと遠藤はその家臣だけでなく、集まった家臣達を見回すように言葉を繋げた。


「郡上の主に取って代ろうだの、郡上の主を討ち果たして新たな主になろうだの、そういう類の事はな……今後は全て織田に対して弓を引く事となる。やるならば稲葉山まで落とすつもりでやらねば、命が幾つあっても足りんぞ」


 遠藤の言葉通りそれが事実ではあるが、遠藤の家臣達にはいまいち浸透しきらない事実である。

 遠藤家の家臣団は、元は郡上で割拠していた好敵手同士である場合が多い。

 山岳地帯にその営みの本拠地を構えるが故、山間の小さな平地を巡って争い、先祖代々の土地を守るため争い、親の仇を討たんとして争い、その仕返しに争い。小さく狭い郡上の中で、この郡上だけが世界の全てかのように争いを続けてきた歴戦の勇士達である。


 それが数年前にようやく、遠藤の父の代になって纏まりを見せ始め、地方豪族としての遠藤氏となって多少の力を付けてきたにすぎない。

 すでに戦国大名化に成功している織田家の支配下に置かれる状況を、この家臣達に「想像しろ」と言うほうが困難であろう。


 その点、この若者は多少なりとも興味や関心を持ち、戦国大名として押しも押されぬ存在となった隣国の武田家や、近年急成長を遂げている織田家の事について、自分なりに調べていたのだ。


 美濃と国境を接する織田家と武田家の情報は、人々の暮らし程度の話であれば黙っていても舞い込んでくる。組織体制や統治の進め方についても、庶民が影響を受けやすい分野である為、調べようと思えばそれほど難しくなかった。


 武田と織田では、その両国の統治に大きな差がある。


(織田に下るのであれば、腹を括って徹しなければならん)


 遠藤はこの思いが強い。


「俺が腹を切ってだな、そのほう等が全員隠居して寺にでも入れば家族は助かるかもしれんぞ」


 織田信長は時折、徹底した行動に出る。武田信玄の苛烈さとはまた違う、実に合理的な方向へ迷うことなく徹底するのだ。

 遠藤はそれを知っていた。


「保身を考えての中途半端な覚悟ではな、領地は無論、命などあっという間に失う。そう心得ておけ、下るなら徹底して下らねばならんだ」


 まだ少年の域を脱しないながらも、当主としての潔さを持ち合わせている。


(少しでも心証を良くしておかねばならん)


 若い身でありながら既に覚悟を決めている遠藤の思考は、どうやって遠藤家を残すかという点に集中していた。そこを目指しておけば、最悪の場合でも親類縁者に危険が及ぶ事はないだろう。


「徹底するならば」


 別の家臣がすっと前に出ると、両手を付いて意見を述べた。


何故なにゆえ、石島に下るのです。織田に下るべきで御座いましょうや」


 この家臣にしてみれば、自信のある意見であった。

 自分達の好意を仇で返し、今この郡上の主になってしまうかもしれない敵に下るより、織田に下ったほうが郡上の安堵は得やすいはずだと言うのだ。


(戯けが……故に遠藤は滅ぶのじゃ)


 遠藤は心底嘆き、悔しい思いでいる。


(伊藤とやらのような優れた家臣がおれば……)


 そんな事を思っていた遠藤は、質問をしてきた家臣を無意識に睨んでしまっていた。


「石島が織田上総介に対し『褒美に郡上を寄こせ』と申せばどうなる。石島は関の父上をこの郡上に引き付ける大功を上げたのだぞ」


 言いながら、自分の言葉を聞いても理解出来ないでいる家臣達に腹が立ってきた。


(阿呆どもめ……やはり、故に負けるか)


 説明が途中で嫌になったが、今後の処理次第では一縷の望みがあると信じている。


(遠藤家の存続と多少なりの領有を認めさせなければならん)


 家臣達の足並みが揃わなくては、思わぬ事態を招きかねない。


「おそらく石島は織田方の将なのだ。となれば、既に我らは織田に弓を引いた事になる」


 この事実を看破出来るような優れた家臣がいれば、もっと違った結果になっていたはずである。


「石島に下る事さえ出来ればよい。石島と我等が反目さえしていなければ必ず、必ずや郡上の統治に我等を登用するであろう」


 郡上全体の領主として石島が着任するか否かに関しては、遠藤には全く手の及ばない、どうにもならない話である。せめてその下に付いたとしても、この郡上八幡で暮す家族の身の上を粗末な物にならないようにしたい。


 若干十七歳の遠藤が、この潔さを持つには理由がある。


(お玉を守らねば……)


 遠藤が寵愛する妾、お玉が懐妊しているのだ。

 遠藤にとっては初の子となる。


 二人の弟はいずれ元服の時期を迎える。石島がこの二人の弟を重用してくれれば、お玉も、お玉が産む子も、粗末な暮らしにはならないだろう。


 この当時、占領した地に新たな領主を置く事もあるが、関係性さえ悪くなければ旧来の領主に継続して任せる事が多かった。それは統治を円滑に行い混乱を避けるためと、その土地の人間をすぐに戦力化するためである。


「石島と反目するような事になればそうはいかん。我等はことごとく討たれ、滅ぼされるだけじゃ」


 そうならない為に、この事態を作った石島に対して降伏するという無念の選択肢に全てを託すのだ。それでもまだ十七歳の遠藤にとって、石島に頭を下げるのは我慢がならない。


 本来であれば、差し違えてでも殺したい相手である。

 その感情を押し殺し、お玉と産まれてくる子のために。頭は下げたくないが、切腹して責任は取ろうと言うのだ。


(腹を切るなとは……この俺に頭を下げろと言う事か)


 遠藤にとっての最優先事項は、家臣達を含めた遠藤家の人間が、石島や姉小路とこれ以上の争いを起こさない事である。


(俺が生きようと死のうと、それはどうでもよい事)


 負けと決まればここから先はもう、どう負けるか、である。


 本丸館に集まった家臣達には、どうにかこの想いを汲み取ってもらいたかった。これから何日かけてでも説得していくより良い手立てがない。


 だが心配事は、ここに集まらなかった二人の人物である。


(新右衛門殿は何を考えておるのだ)


 新右衛門とは、郡上八幡城より北西、郡上全体の半分を占める一帯を預かる遠藤慶隆の従兄弟で、木越城主遠藤胤俊えんどうたねとしの存在である。


 慶隆が父の後を継ぐ前から斉藤家より郡上北西の支配を認められており、慶隆が後を継いだ後に一度争いに発展している。

 安藤守就と竹中重治が稲葉山城を強奪した際、混乱に乗じて南下し、郡上八幡城を攻めて慶隆を追い出した事があるのだ。


 その時は長井道利の仲裁で和睦に至り、郡上八幡城は慶隆に返還されたものの、今日に至るまでわだかまりが消えていない。事実、この事態に再三の援軍要請にも関わらず、返事の一つさえ寄こさないのである。


 そしてもう一人。

 先に寝返って敵方となった別府四郎の甥、鷲見弥平治の存在である。鷲見弥平治とは昨晩から連絡が取れない状況が続いていた。


 既に別府四郎を通じて石島方に寝返ったのではないかと噂が流れているが、はっきりとした事がわからない。

 実はこの鷲見弥平治、遠藤家一門の縁者で郡上八幡のあらゆる商家と縁が深く、財力がある。その鷲見が事を起こした場合、兵力が未知数なのだ。


(負けはよい。命も惜しうない。然れど……お玉は守らねばならん)


 遠藤家の身内から新たに織田に弓を引く存在が出現する事を、遠藤は心の底から恐れていた。

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