第54話 湯治場へ

■1567年 7月中旬

 飛騨国

 大原村 石島屋敷


 伊藤さんが桜洞に発ってから十五日が経ったこの日、十三くんと十五くんが大原の石島屋敷に戻ってきた。


「で? で? で? 行ってイイって? ね? ね? どうなの? どうなの?」


 二人が帰還の挨拶を俺に済ませると、待ちくたびれた瑠依ちゃんが食いつくように二人に質問を浴びせた。


「はい。美紀殿にお伺いを立て、宜しいようであればお末を含めて湯治場に参られよとの事です」

「お末ちゃんもいいんですか? やった!」


 笑顔で答えた十三くんに、優理が歓喜の声を上げる。


 お末ちゃんがうちで働くようになってからというもの、優理は本当によく可愛がっている。瑠依ちゃんからの好かれっぷりといい、元々年下の女の子が可愛くて仕方ないのだろう。

 瑠依ちゃんはもう既に、飛ぶように美紀さんの所へ行ってしまった。後を追うように、優理も席を立つと「おすえちゃ~~~ん!」と叫びながら炊事場に向う。


「大原に移り住む兵の住まいの手配と、お屋敷の守りは金田様と須藤様に。不詳、この十三と十五が道中の護衛を務めますので、殿もお急ぎご準備下さい」


 十三くんが言い終わって頭を下げると、十五くんも合わせるように頭を下げる。この二人の異変に、俺達は気付いていた。


 二人とも、広間に入る前に左腰に差してあった太刀を鞘ごと引き抜くと右手に持ち、座ると同時に自身の右側に置いたのだ。


「高そうな刀ですね」


 その刀から一番近い位置にいたつーくんが声をかけた。


 恐縮しながらの二人が言うには、姉小路頼綱さんに贈られた貰い物だとか。更に十三くんが畏まって「申し上げたき義が」と頭を下げる。


 俺が頷いて「どうぞどうぞ、遠慮せずに」と促すと、なんと名前を変えたのだと言い出した。


「これからは武士として、石島家の末席に加えて頂きます」


 そう平伏する二人の若武者が、とても心強く見えた。


 兄の十三くんは大原綱義おおはらつなよしと名乗り。

 弟の十五くんは大原綱忠おおはらつなただと名乗る。


「かっこいいじゃん!」


 俺は素直にそう思った。


「俺達もなんか名前考えないと駄目だなぁ」


 金田さんが何やらブツブツと一人で言いながら名前を考え始めた。一応、俺達は既にこの時代に合せた呼び名を持っている。


 つーくんは、須藤剛から須藤剛左衛門すどうごうざえもんに。


 金田さんは、金田健二から金田健二郎かねだけんじろうに。


 伊藤さんは、伊藤修一から伊藤修一郎いとうしゅういちろうに。


 俺はそのまま、石島洋太郎のままだ。


 ただ、金田さんが言う「名前」とは、男であれば大人になる儀式の元服の際に名乗るいみなの事らしい。

 その儀式は通常、十代の前半に済ませるそうで、俺達の年頃には持っていて当然の名前なのだ。


「すでに歴史上にいますからね、歴史上の人物から貰うのも気を付けないとかぶっちゃいますよね」


 つーくんは最初、有名な武将から貰うのを考え付いたらしいが、現存する武将と名前がかぶる可能性が高い。かぶった所で問題は無いのだが、流石に「信長」とかは気が引ける。


「大原兄弟の名前付けたの伊藤さんだし、伊藤さんに聞いてみたらいいんじゃないですか?」


 シンプルに考えるとそういう結論になる。金田さんもつーくんも異論無しだった。


 明朝、俺は十三くんと十五くんに護衛されながら、若干ハーレム状態で屋敷を発った。道中の話題は、未来から来た女の子達にとっては未知の世界である「温泉」で持ちきりだ。


 実はこの時代、お風呂が無い。

 正確には、湯船という物が存在しないのだ。


 風呂と言えば、蒸気で満たされた狭い部屋で体を温めるサウナのような物を指す。湯船やシャワーに慣れた俺達にはけっこう厳しい時代だ。

 俺達の屋敷にも、蒸気の風呂は存在する。お湯はもちろん沸かせるし、お湯で浸した布で体を拭く事もできるのだが、その程度と言えばそれまでだ。


 特に女の子達は三日に一度くらいはわざわざシャワーを浴びに簡易キャンプへ通っている。そんな女の子達にとって、温泉は魅力的な存在なのだろう。水の補充を心配する事無く、永遠に沸き続けるお湯が使い放題なのだ。


 桜洞の湯治場まで、ほぼ丸一日を要す。


 途中何度か休憩をはさみ、美紀さんが用意してくれた握り飯を食べながらの長旅になったのだが、意外な事にその遠さには誰も文句を付けなかった。


 一番疲れていたのは俺らしい。


 優理の身体能力は、今までも何度か垣間見てきた。瑠依ちゃんも結構な運動神経の持ち主だ。美紀さんも唯ちゃんも、歩けど歩けど疲れを見せない体力を持っていて、俺は自分が情けなくなる。


「サポート部の訓練は厳しいんですよ? これくらいどうってことないです」


 夕方、到着する手前で唯ちゃんが天使のスマイルで俺を励ましてくれた。


 大原兄弟の案内で着いた湯治場は、賑やかでいくつかの店が並んでおり、優理と瑠依ちゃんは目をキラキラさせながら「明日行ってみよう!」と相談をしている。


「優理と瑠依で遊びに行っちゃうのか、唯は殿とデートでしょ? そしたら私は伊藤さんとデートかな」

「え~! 駄目です! 美紀ねぇは瑠依ちゃんとです!」

「え? 優理先輩一人で遊ぶんですか? だったら私は美紀ねぇと伊藤さんと三人で遊びます」

「ちょ、なにそれ! 違うよ違う、私が伊藤さんとデートだってば!」


(相変わらず羨ましい限りで……)


 俺は苦笑しながらそのやり取りを眺めていた。気付くと、唯ちゃんが少し恥ずかしそうにコッチを見ていたので、あまり期待させても悪いから言っておく事にした。


「ごめんね、俺は多分、遊んでる余裕ないと思う。伊藤さんもだと思うけどね」


 唯ちゃんは小さく頷いて笑顔を見せてくれた。


「分かってますよ。大切なお仕事があるんですよね。皆それくらい分かってますから気にしないで下さい」


 とても優しい笑顔だった。


 いったい何時から、唯ちゃんは俺にこんな視線を向けるようになったのだろう。今の会話の流れも、小中学生の頃に経験した事がある女子っぽい流れだ。


 唯ちゃんは俺の事が好きなのだろうか。

 優理と比較しちゃうと失礼だけど、唯ちゃんは唯ちゃんでとても可愛いし、清楚で大人しくて、秀才っぽくて、いい。


 そんな邪な発想を糧に疲労と戦い、ついに桜洞とやらに到着した。


 伊藤さんが借りているお屋敷が見えてくると、十五くんが走って伊藤さんに知らせに行った。もう日は完全に傾き、少し薄暗い程になっている。


「おっじゃましまーす」


 瑠依ちゃんの大きな声を、伊藤さんとお栄ちゃんが笑顔で出迎えてくれた。


「長旅お疲れ様~」


 全くもってどうしようもない話なのだが、伊藤さんの姿を見ただけなのに、なんだか胸に熱い物が込み上げてくる。


(俺がこんなんだからなぁ……)


 予想通り、優理と瑠依ちゃんは熱い物が胸にとどまらず、両目から込み上げている。


(大げさなんだよな……俺も含めてだけど)


 約二週間離れていただけなのにコレじゃ、この先もっと離れる期間が出来たら大変だ。想像が付く、大泣きするだろう。


 伊藤さんとお栄ちゃんが用意してくれた三つの桶には水が張られていて、そこで足を洗って屋敷にあがった。既に夕餉の仕度が出来ており、全員でお栄ちゃんの手料理を御馳走になる。


「やっぱりお栄ちゃんの味付けが最高!」


 美紀さんは満足そうに料理を口に運んでいる。他の皆もお栄ちゃんの作る料理が一番好きだ。


「殿、一献」


 伊藤さんがニコニコしながら俺にお酒を勧めてくれた。

 夕餉も終わり、俺は日本酒を飲んだせいもあって、完全にオネムモードに突入してしまった。


「殿はお疲れのようですから、お栄、寝所の仕度を」

「畏まりました」


 伊藤さんに促され、お栄ちゃんは一礼すると別室に向う。


「元気な人は温泉を案内しよっか? 入りたくてウズウズしてるっしょ? 俺も今日まだ入ってないし、気分転換に一風呂浴びてくるしさ」


 伊藤さんの言葉に、女の子はウンウンと頷き、目をキラキラさせている。


 大原兄弟が「殿の護衛に残ります」とだけ言うと、伊藤さんはそれに頷いていた。


「姉様はゆかれるのですか?」


 伊藤さんに対してまだ緊張気味のお末ちゃんが、十五くんに問いかける。


「ああ、伊藤様の湯殿のお世話は栄が務めておる。末もご同行させてもらって湯殿の作法を教わってきなさい」

「はい!」


 表情が明るくなったお末ちゃん、まだ十歳ながらすでに国民的美少女コンテストに出てもおかしくないレベルだ。


(うん、絶対に美人姉妹になるわ)


 つーくんの言っていた事は間違いない。お栄ちゃんもお末ちゃんも、絶対に美人姉妹になる。


(この時代じゃ美人って言われないんだろうなぁ)


 山賊達の感覚では、優理と美紀さんは大層な不細工らしいから、この時代と俺達の時代との間にある美的感覚のズレはかなりの物だろう。

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