第44話 対織田交渉 金田の覚悟
◆◇◆◇◆
◇1567年6月
尾張国
小牧山城 織田家
木下藤吉郎の活躍で墨俣の地に砦を築き、美濃攻略の足掛かりとしていた織田信長は、堅城稲葉山の攻略に頭を悩ませていた。
墨俣から稲葉山までは目と鼻の先と言っても過言ではなく、中美濃方面も信長の勢力圏内に入っている事から、残すは稲葉山城を起点とする西美濃だけである。
しかし稲葉山の周辺には美濃三人衆やその他重臣が治める地が手付かずで残っており、うかつに手を出せないままで歳月を重ねている。
小牧山城に本拠地を移し、いよいよ美濃への侵攻が間近に迫る中、織田信長の元へ珍客が現れていた。
その男は、頭を丸めて白装束を纏ってやって来たのだ。
「どこの誰じゃ、死ぬ気で来た戯けは」
ドカドカと必要以上の足音を立てて歩くのは、織田家筆頭家老の
「なんでも飛騨のウシジマとか、イシジマとか申しておりましたが……」
柴田勝家の横を歩くのは、
二人の男が大広間に到着すると、上段上座に鎮座している織田信長の目の前に、丸坊主の大男が白装束で平伏していた。
「ごめん」
柴田勝家は一声かけて広間に入る。
切れ長の目をギラリと光らせた織田信長が、柴田を見据えて口を開く。
「権六、遅い」
「申し訳ございませぬ」
一礼した柴田勝家は、重臣が居並ぶ席の最上座に着く。
丸坊主の男は、信長の言葉に緊張を隠せない様子であった。
「ははは、そう硬くなられるな。取って食うたりはせぬ」
丸坊主の男に声をかけたのは温和な表情の男で、
その丹羽長秀に、信長が声をかけた。
「五郎左」
言葉の少ない主の意図をくみ取る事、これは当時の織田家重臣にとっては戦働きよりも重要な事柄であった。
「ハッ」
丹羽長秀は信長に軽く頭を下げると、丸坊主の男に向きなおり言葉と発する。
「金田殿、お待たせ致しました。ご用件をお話しくだされ」
(うお、緊張するなあ)
金田は憧れの武将達に囲まれているのだ。
「上総介様にお目通りが叶い、恐悦至極に存じます!」
深々と頭を下げたまま、口上を述べる。
「恐れながら申し上げます。我が主、石島洋太郎、先日飛騨美濃国境の大原にて目出度くお家再興と相成り」
金田はそのまま一気に言葉を走らせた。
「美濃郡上は遠藤慶隆殿、飛騨桜洞は飛騨守護姉小路良頼殿、飛騨大野は内ヶ島氏理殿、其々より安堵の義を賜り、飛騨より郡上への関所、並びに大原一帯を預かり統べる事を承認頂きました」
一気に言い終えた金田は、平服したまま沈黙する。
織田信長は無言のまま、金田の丸坊主頭を凝視していた。
しばらくの沈黙の後、丹羽長秀が口を開く。
「大原など聞いたことも無い。周辺の諸勢力にしてみれば取るに足らぬという事であろう。金田殿、その程度の事を申しにわざわざ尾張まで参られた訳ではあるまい」
「ハッ」
一言返事を返すのみで、金田は平伏したまま無言でいる。
焦れた柴田勝家が声を荒げた。
「ええい、我らとて暇ではないのだ! 用件があるなばさっさと申せ!」
勝家の怒気に晒され、金田の体は緊張で硬くなった。
それでも金田は無言を貫く。
(先輩……もう駄目っす、言っちゃうかもっす)
金田は平伏したまま硬く目を閉じ、冷や汗が床に落ちる程に緊張している。
「チッ」
自分の怒気にも屈しない丸坊主に、柴田勝家は諦めるように小さく舌打ちした。その舌打ちを合図にするかのように、信長が口を開く。
「申せ」
「ハッ、恐れながら!」
金田は少し顔を上げ、言い間違いの無いようにしながらも、なるべく早口で言葉を並べる。
「織田家の美濃侵攻に合せ、我らは北より郡上へ侵入致します。手勢は少数ではありますが、既に姉小路良頼殿より、我らの初陣にはご嫡子頼綱殿を大将とするご助力を頂ける手筈となっております」
「ほう、飛騨守護とそこまで昵懇か」
ここでようやく、織田信長は興味を示すような素振りを見せ始めた。
(先輩、来ました、乗ってきたっす!)
金田は気合いを入れるかのように、床を突く拳に力を入れる。
「ハッ。上総之介様同様、亡き道三公への想いがあり、我らの申し出には快く。飛騨守護殿の援兵を以て我らは大原より南下し郡上を牽制致し、更には、美濃三人衆が織田方に御味方となれば稲葉山城は裸も同然かと!」
亡き道三という言葉に眉を動かした信長は、更に美濃三人衆という言葉を聞いた瞬間に表情は一遍させ、目を細めて金田を値踏みする。
「誰の策ぞ」
(予想通りっちゃ予想通りだけど、短いなぁこの人の言葉は……しくじるなよ俺)
信長の返答は金田の範疇ではあったが、白装束を纏っての使者となれば、一歩間違えればその場で切り殺されても文句は言えない。
「我が主を支える重臣がおりますれば」
「うぬではないな」
「ハッ」
短いやり取りの後、信長は少し考えるように思案を巡らすと、自らの膝をぱちりと叩き、一言だけ問いかける。
「いつじゃ」
(いつ……なんのいつだよ、くそう)
金田は思案に時間が掛る事を恐れている。それは信長が最も嫌う事だと、金田が思っているからだ。
その時、柴田勝家が半身乗り出して声を上げた。
「お待ちくだされ!」
(柴田さんナイス! ちょっと時間稼いで!)
金田にとっては助け舟となった。
信長は返事をしないものの、鋭い眼光を柴田勝家に向けた。その柴田が金田を睨み据えるようにして言葉を放つ。
「そのような美味い話、安易に信じてはなりませんぞ!」
「ふん、美味い話なものか」
信長はそう言い捨てると、珍しく長い言葉を発した。
「協力する見返りに郡上を寄こせと申すのであろう。大きく出たものよ……よいわ、くれてやる」
(お、ちょっと先輩! きたっす!)
金田は歓喜の雄叫びをあげたい心境を必死で堪えている。
美濃攻略に力を貸すから郡上の支配を認めて欲しい。という事であれば、単に織田家にとって美味い話という訳ではなくなる。
「ならば納得で御座る」
柴田勝家は乗り出した半身を戻しながら「それ相応の働きがあればな」と付け足すと、そのまま口を閉じた。
「して」
信長は再度、金田に向って短い言葉を発し、そのままじっと金田を見つめる。
(して……って、さっきの『いつじゃ』の続きか)
金田は意を決して返答した。
「ハッ、夏頃には!」
「頃とはいつじゃ」
金田の言葉に対する信長の返答は早い。
迅速と言えるほどの速度で言葉を突き返してくる。
「ハッ。七月下旬には」
金田の言葉受け、信長はスッと立ち上がると甲高い声で一人の男を呼びつけた。
「禿鼠!」
「ハッ!」
信長の声に素早く反応したのは、居並ぶ家臣団の中では下座の方にいる小柄な男、名を木下藤吉郎という。
「美濃三人衆の件、七月中にどうにかいたせ」
「ハッ、しからばゴメン!」
木下藤吉郎は返答するなり、駆け足で走り去っていく。その姿を目で追う事なく、続けて滝川一益へ檄を飛ばした。
「一益、北勢を抑えておけ」
「ハッ、これにて蟹江に戻りまする!」
滝川一益は「ごめん」と居並ぶ重臣に声をかけ、足早に広間を出た。
信長はそのまま広間の中央付近まで歩き、金田のすぐ目の前で足を止めた。
(ぐああ、緊張するなあ)
「五郎左、抱えよ」
「ハッ、いかほどで」
ほんの一瞬の空白を経て、信長の口が開く。
「五百貫」
信長の言葉に、家臣団がざわついた。
しかし、信長の決定に文句を言うような者は一人もいない。
「五百貫にて、承知致しました。住まいは小牧山でよろしいですな」
信長は丹羽長秀の言葉に無言で小さく頷くと、その場を去ろうとする。
「お待ちください!」
声を上げたのは金田である。
「人質とあらば、某が務める事に何ら不服は御座りませぬ。然れど、お召し抱え頂くとあれば首尾良く美濃攻略が相成った後、稲葉山にてお願い申し上げます!」
金田は床に頭を付けて懇願した。
「ほう、立身の機会を逃すか」
真上に近い位置から坊主頭を見下ろす信長は、この男を少しばかり買被っていたかもしれないと思い始めていた。
「然にあらず。織田家はまだまだ大きくなると思うておりますれば、今しばらく主に義理立て致した後、稲葉山にてお仕えしても立身の機会は無数にあるかと!」
「ふん、織田は大きゅうなるか」
期待が裏切られた訳ではないと感じた信長は、異質な者に見える目の前の坊主頭の男を、手元に置きたいという欲求がますます強くなっている自分に気付く。
「なります。なって頂かなくては困ります!」
金田は必死だった。
仕官の誘いを断っているのだ、この場で斬られてもおかしくない。
「ハッハッハッハ! 困るか、そうか、ハッハッハ!」
信長は大きな口を開けて派手に笑うと「五郎左、今のは無じゃ」と言い捨てて広間を出て行った。
取り残された金田に、丹羽長秀が優しい目で声をかける。
「金田殿、好きにせよという事です。今宵はお泊りになられるのが宜しいとは思いますが、明日には出立頂いて結構で御座いますぞ」
「あ、有難うございます!」
金田は深々と丹羽長秀に平伏した。
「知らせは密にな、それがしが受ける。心得られよ」
「ハッ!」
金田は居並ぶ重臣達に深々と礼をし、退出していった。
「確かにあの男の申す通りに事が運べば、稲葉山は裸も同然だな」
金田の去った後、丹羽長秀の言葉に数名の重臣が頷いていた。
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