第31話 親分の最期

 投げ飛ばしたと言っても、伊藤さんと小屋までの距離はもう僅かだ。鉄製の槍は重く、ほぼ転がるようにして小屋に当たって止まった。


「グハハハ、懸命だな。ありゃお前さんにゃ重くて使えんだろうよ」


 折れた右手の指を半ば強引に元の方向に戻すと、今の一撃でほぼ力を使い果たした伊藤さんに歩み寄る。


(助けないと……)


 金田さんも、つーくんも、まだ動かない。

 殴りかかる体制に見えた親分に、伊藤さんが身を躱す体制に入ったが、親分はそこから右足を綺麗に振りぬいた。


 親分の蹴りに、伊藤さんは小屋のすぐ横まで弾かれて倒れる。


「さて、次はどいつだ?」


 親分が金田さんとつーくんを睨む。


「イテテ……アバラ折れたかな」


 左脇辺りを抑えながら、伊藤さんが立ちあがった。

 伊藤さんはもう、窓から見ている俺達の目の前だ。いつの間にか優理の隣で美紀さんも外の様子を見ていた。


「しぶとい野郎だ。まずはデカイの、お前からだ」


 立ち上がった伊藤さんに、親分がまた襲い掛かった。

 伊藤さんはどうにか躱すも、その背を小屋の壁に付ける状態まで追い詰められてしまったようだ。


 もう、俺達には伊藤さんの姿が見えない。窓の外、目の前にいる山賊の親分は、俺達を見てニヤリと笑った。


 その時、何故か両手にキッチングローブをハメた美紀さんが俺と優理を押しのけた。


「どいてっ!」


 親分が拾ったベンチの部材を片手に、伊藤さんに向けて大きく振りかぶった。


「先にあの世にいってろや、デカイの」



(ヤバイ!)



 その時。



「親分さん!」


 美紀さんが叫んだ。

 一瞬、親分がコッチを見る。


 美紀さんは、窓を利用して親分から見えない位置に、両手で鍋を抱えていた。


「これあげるっ!」


 鍋には濛々と湯気を立てる熱湯が入っていて、窓から身を乗り出す様に外の親分に向ってぶっかけたのだ。


 グツグツと煮え立った熱湯は、親分の顔面に直撃すると真っ白な湯気を発した。


「ぐうううああああっっ!」


 親分はたまらず叫び声をあげた。


 熱湯だ。

 転げまわって熱がると思ったけど、親分は軽く腰を折って後ずさりし、小屋から離れて顔面を抑えている。


 熱がっているだけで倒れる気配はない。


 さっき金田さんに『中で美紀さんを手伝え』と言われたのに、俺は見るのに夢中で何も手伝えていなかった。


 だが、状況はそれで十分だったようだ。


 俺達の視界の下から「アチチッ」と伊藤さんの声がした。


 その声の主はすぐに親分に向って駆け出す。


 いつの間に用意したのだろうか、小屋に備え付けてあった調理包丁を懐から取り出すと、走りながら安全ケースを取り外した。


「んぐぐうぐ」


 親分がどうにか目を開けた時には、既に遅かった。


 懐に飛び込んだ伊藤さんは、調理包丁で親分の喉を真一文字に切り裂く。

 熱湯を浴び、喉を切り裂かれた親分はそれでも倒れず、大量の血を流しながら伊藤さんの首を両手で掴んだ。


「グッ」


 伊藤さんは苦しげな表情になったが、右手に掴んだ調理包丁を親分の首元に突き立てる。


(これは……エグいな)


 少し離れた小屋まで、親分の血が吹き出す音が聞こえてきた。


 喉を切り裂かれていた親分は声を出す事もなく、そのまま直立の体勢で後ろに倒れた。伊藤さんは、倒れた親分の足元で尻もちを付き、全身血まみれになっている。


 その様子を見ていた優理は、腰を抜かしたようにその場に崩れ落ち、放心状態になった。


「優理を頼む」


 美紀さんは、そう言い残して外に出る。俺は優理を心配しながらも、不安そうにこちらを見ていた唯ちゃんに気付く。


「大丈夫、終わったよ。伊藤さんがやってくれた」


 唯ちゃんは黙って頷くと、また強く瑠依ちゃんを抱きしめた。

 改めて優理へ視線を送る。


「石島さん、私は大丈夫。ごめん、伊藤さんのトコに行ってあげて、私……足が動かない」


 絞り出したような声で、優理が伊藤さんの心配をしている。


「ああ、ちょっと行ってくるね」


 俺は優理の肩に軽く手を置いて励ますと、美紀さんを追うように外に出た。


 息絶えた親分の傍らに、伊藤さんがしゃがみ込んでいて、その横には金田さんとつーくんが立ち尽くしている。


 三人に会話は無かった。


 美紀さんも俺も、小屋と伊藤さん達との中間くらいの所で立ち止まり、それ以上近づくのを躊躇っている。


 しばらくして、金田さんが口を開いた。


「先輩、自分……」

「いいよ、いい、もう終わった」


 金田さんの言葉を遮るように言った伊藤さんは「ハズレたけどカッコよかったぜ?」と笑いながら立ち上がった。


 つーくんが一歩前にでる。


「伊藤さん、ありがとう御座います! あと、ほんと申し訳ありませんでした!」


 言いながら直角にお辞儀をした。


「なーに言ってんの、危なかったとこ助けられたよ。ナイスだったぜ剛左衛門」


 伊藤さんは言い終わると、美紀さんの方を見る。


「美紀ちゃん、この下の滝あるじゃん? あそこ行って水浴びしてくるわ」


 伊藤さんは、あえて明るくしているのだろう。全身血まみれの自分を滑稽な動きでアピールしていた。


「すいません、まだ水の補充が出来てなくて……」


 美紀さんはシャワーがまだ使えるようになっていない事を謝罪しているらしい。確かに、ここにいる全員の命を守ってくれたヒーローに、シャワーの一つも提供出来ないなんて、ひどい話だ。

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