第二百十四話 『オレが証拠だ』
アリエスの持っているチップを全部!?
「なっ……」
あまりに理不尽な要求に、思わず声が漏れる。
そんなの、フェアじゃないだろう。情報を得るための掛け金が、腕いっぱいのチップだなんて。もしも勝ったところで、目的の情報があるかどうかでさえ定かではないのに。
こんなものに、まともに取り合う必要なんてない。そんなこと、アリエスだって分かっていると思ったのだけれど――
「私は別に構わないよ。やってやろうじゃん」
なんと二つ返事に勝負を受けていた。いいのか、おい。止める暇もなく、その場に座り込むアリエス。ハロと紹介された生徒がニヤリと笑う。
勝負に賭けられるのはアリエスのチップ。別に俺が損をするわけじゃないけどさ……。後悔しても知らないからな……?
「道具は今出したこいつらを使う。それと“持ち札”として、チップを十枚出してもらうぜ。こいつの取り合いで勝敗を決めようじゃないか」
……アリエスとハロの一対一。
ザルを挟んで向かい合い、互いに十枚のチップを持つ。
「ルールは簡単、俺が振る賽の目を当てるだけだ。毎回交互に決めた金額だけ賭けていき、チップを失った方の負け。公平なルールだろう?」
『ヒヒヒッ』という怪しい笑い方とは裏腹に、ゲームの内容はシンプル。先程の丁半を、数回勝負にしたようなものだ。ただ――どこまで続くかは、アリエスの運と賭けチップの駆け引きによるのだろうけど。
「問題はないけど……チップを賭けるのは、サイコロを振った後にしてよね」
「些細な違いだ。ヒヒッ。それで何か変わるわけでもなし……」
――細かいルールの確認もこれ以上は無く、勝負は始まってしまう。
「それじゃあ――先手はお前に譲ってやるぜ」
手に取ったザルへ二つのサイコロを放り込み、カラカラと二度三度鳴らして床に伏せた。アリエスはこれに対して、チップを賭ける枚数を決めて、出た目の合計が奇数か偶数かを当てなければならない。
「……半に三枚」
しばらく考え込んで、ようやく呟く。
勝負の最中に口を挟むわけにもいかず、アリエス一人で考えて出したのが三枚。
流石のアリエスも、初めの勝負で十枚賭けの一発勝負に挑むつもりはないらしい。これぐらいなら、たとえ負けたとしても致命傷とまではいかないしな。様子見だったら、これぐらいが丁度いいのか。
「――勝負!」
結果は……
⚀ ⚀
「ヒヒッ、まずは俺の勝ちだな。そんじゃ、このチップは頂くぜ」
「……まだ七枚残ってるもんね」
涼しい顔で、持っていかれるチップを見送るアリエス。確かに勝負はこれで決まったわけじゃあないけれど、奪われた三枚の分だけ振りになったのは確かで。アリエスは残り七枚、向こうは残り十三枚。強いて言うなら、向こうが勝負を決めようと七枚賭けてくる可能性だってあるわけだ。
「次は俺が賭ける枚数を決める番――ヒヒッ、四枚だ。こいつも勝ちゃあ、残り三枚。吹いただけで飛ばされるような軽さになっちまうなぁ?」
ネチネチとした笑みを浮かべながら、チップを四枚出して。先程と同じようにサイコロの入ったザルを振る。……この余裕は持っているチップの差のためか? それとも――イカサマ……?
最初の一回目で、まさかそんなことをする奴なんて、とは思うのだけれど。もちろん、自分だってそんな注意深くは見ていなかったし。たまたま一度負けたぐらいで相手のイカサマを疑うのも、疑心暗鬼に陥りすぎだろうか。
「ほらよ、そっちも賭ける時間だぜ」
カラカラと音を鳴らして振った後に、ザルを伏せる。ここからサイコロには一切触れることはない。今回は注意深く観察していたけれど、おかしな動きをしたようにも見えない。
ザルを持っていない方の手は、床に開いた状態で伏せられていた。細工は一切していない、というアピール。……サイコロを振り終わった後にどちらかに賭けているのだし、賽の目の操作はまずありえないか。
…………。
「……今回も半に賭ける」
少し考えた末に、ハロの出した同じ枚数――四枚のチップを賭けた。
「そうかい。開くぜ……勝負!」
⚃ ⚁
四、二と出ての六――偶数だった。
……二回連続でアリエスの負け。
先程賭けたチップも取られ、残りは三枚。
ハロの笑みが、一層強くなる。
「俺様が十七枚で、お前は三枚! ほらもう虫の息だぁ! 次から“潰しにいける”ぐらいの余裕が出てきたゾ。絶対絶命ってやつかぁ、ヒヒヒッ」
たった二回の勝負だけれども、ここまでストレートで負けている。
あれだけ自信たっぷりに
『味方がいる方が、私が“波”を感じやすいってだけだから』
アリエスの言っていた波というやつ。今は感じないのだろうか。先程の大人数に混ざってのときは、あれほど調子が良さそうだったのに。
「ほぉら、次の勝負だ。これでスパッと終わりにしても、俺は構わないぜ?」
『ヒヒッ』と声を上げながら、三度目の勝負。サイコロの入ったザルが伏せられた。どれだけ外から睨みつけたところで、中がどうなっているのかなんて見えるはずもなく。
――奇数か、偶数か。完全に運頼りの一か八か。
……そういえば、語源は丁半からなんだっけか。一は『丁』の上側、八は『半』の上側を逆さにしたものだとか。奇しくもこんな慣用句を使う羽目になるだなんてな。
「……丁に一枚」
「ヒヒッ、完全に弱気だなぁ! ま、残り一枚となっちゃあ仕方ねぇけど……」
――とは言いつつも、ハロの方も表情に真剣味が帯びてくる。流石にここまでくると、アリエスの方にも勝ちの気配が現れる気がして。
ザルの中の賽の目と、アリエスの判断と。
合致する確率なんて、決まっているはずなのに。
「――勝負!」
「…………」
頼む――と、心の中で願う。
⚀ ⚅
出目は一、六。――七で半。
「――――っ」
『イカサマだ!』と、思わず叫びかけるところだった。けれども、そんな証拠はどこにも見当たらず、見つけられず。アリエスの言葉を信じるならば、魔法を使ったわけでもない。――となると、完全にハロの方が運で勝っているというだけのことなのだろうか。
三回勝負をしたが、三回ともアリエスの負け。
ガリガリと削られたチップは、いまや残り二枚だけになっていた。
「……まだ、チップが無くなるまでは、終わりじゃない」
見ているだけでも、胃が痛くなってくるような戦況。それでも、勝負の当事者以外が口を挟むのはルール違反だと、この場所が物語っている。
圧倒的な差を見せつけるように、ハロがジャラジャラとチップを鳴らしながら笑う。抗議の声どころか、狼狽すらもしないアリエス。二人の勝負の行方を、ただ見守ることしかできなかった。
「ヒヒッ、そうだなぁ。賭けの勝敗ってのは、最後の最後までどっちに転ぶか分からねぇ。そう思ってないとやってられないもんなぁ。――が、俺はここで二枚賭けるだけでいい。十八枚のうちの二枚。お前がこれを外せば、俺様の勝ちだぜ」
勢いそのまま、全く澱みの無い動きで賽を振った。
一際の気合を乗せて、ザルが伏せられる。
――ドンッ。
「コイツで仕舞いだァ! さぁ賭けろ! 丁か、半か!!」
「――――」
アリエスの額に汗が滲んでいるのが見えた。
丁、丁、半――丁が二度来たのなら、次も半が来て欲しい。でも確率なんてのは、たった数度の試行で決まるものでもない。いくら悩んだところで、結果は変わりはしない。ダイスの女神なんて、きっといないのだろうから。開き直ったのか、アリエスが二枚のチップを叩きつけて宣言する。
「――丁に全てのチップを!!」
「よしきたオイこら、さぁ――!」
――呼吸を忘れて、その一瞬に集中する。
『勝負!!』
二人の声が重なり、バッと勢いよくザルが上げられた。
⚁ ⚅
「どぉおおぉ!? ニ……
勝った――!?
たった一回、たった二枚を回収しただけ。それでも、
「ヒ、ヒヒッ……。ま、まだまだ……! 二枚が四枚になったところで、俺様が勝ってることには変わりねぇ。こっちは十六枚もあるんだからなぁ!」
少しの焦燥を瞳に浮かべ、熱が込められる賽の振り。
再びドンッとザルが伏せられ――
「――丁か、半か!」
すぐさま次の勝負が始まる。『さぁ、どうだ』と言わんばかりに、ずずいと頭を押し出しながら。長い前髪の隙間から覗かせた、アリエスを睨みつけるその
「半に全部!!」
「――っ!?」
狂気というのならアリエスも負けてはいない。大きく張ったアリエスの声に、ハロが怯む。もちろん、俺だって唖然としていた。せっかく取り戻したチップを、そのまま全額投げてしまうだなんて。
さっきまでの劣勢を吹き飛ばすかのような一転攻勢――
「さぁ、勝負――!」
例の“流れ”という奴を掴んだのか。その表情は、自分の勝利を信じて疑わない、という強い意志の表れ。全額ぶっ込むという行為に出ている以上、虚勢なんかじゃない。
⚄ ⚁
ザルの中から露わになった賽の目は、アリエスの気迫に応えた。
五、二とくれば――七で奇数。
半に賭けたアリエスの勝利で、四枚が一気に八枚となる。
「やっと波に乗れたみたい」
ふぅ、と息を吐いた。これで……ほぼ振りだしに戻った状態だ。違う部分といえば、アリエスの気迫が最初よりも二割増しぐらいだということか。
「さぁ、次は……アンタが賭ける枚数を決める番。どうする?」
「ハッ! な、なにが『波に乗れた』だ……。まだ……まだチップの枚数じゃあ俺が勝ってるんだよ! そ、そんな勢い任せのハッタリが何度も通じるかってんだ!」
……声が震えてるぞ。
それになんだか負けフラグが濃厚な物言いだった。
「俺は八枚賭けるぞ……! ヒ、ヒヒッ……! たった二回生き永らえたからってなんだ! どのみち、ここで外せば終わりなんだから――」
そう言って、ハロがザルの中にサイコロを投げ込む。
――ここから右手を掲げて、振ろうとした時だった。
「……おい。そいつぁルール違反だぜ」
突如降って来た黒い影。ドシンという重い音と共に、ハロの背後に巨体が飛び込んできた。一瞬のうちに、掲げられた右手と頭を掴んだのは――水かきの張った大きな手。
突然のことに、アリエスの自分も目を丸くする。
「ベ、ベイ・ディケイズ……!」
それまでそれぞれの賭けに熱中していた周囲の視線が、一気に自分たちへと集まる。賭博場の主ともいえる生徒が、こうして飛び込んできたのだ。一目見て『何かあった』と分かるだろう。
掴まれているハロは、混乱したような表情で。ベイに掴まれて宙ぶらりんになったまま、不規則に荒い呼吸を続けていた。
「ベイ先輩……ルール違反って……?」
「見りゃあ分かるだろう。たった今、お前たちの目の前でイカサマが行われるところだった。ここじゃあ、それは
喉の奥底から出したような、低く凄みのある声だった。
迫力たっぷりのその声で出て来たのは、『イカサマ』という言葉。
イカサマを……? し、してたか……?
流石にそこまで注視していたわけじゃないけれど、変な動きはどこにもなかった。少なくとも、自分は見ていて気付かないレベルだった。仮に本当にイカサマをしていたのだとしても、なんでそれを――離れたところにいたコイツが分かったんだ?
「ま、待ってくれよ、先輩! そんな証拠はどこにも――っ!?」
突然のことに、そこにいた全員が息を呑んだ。
ざわりと揺れる、戦慄した空気。
「――――っ!? ちょ、ちょっと、何を――!」
ベイ先輩が、掴んでいたハロの頭をぐいと横に逸らし――その首元にがぶりと噛みついたのだ。あの鮫のような歯で、顎で。流石に喉の肉を食いちぎったり、骨をかみ砕いたりはしないものの――鋭い歯の先が食い込んだところから赤い血が一筋、流れだしていた。
「まだ理解してないらしいな、ハロ・ハロ。――俺が証拠だ」
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