第百九十一話 『四十年ぶりなのね』

長閑のどかだな……」

「のどかだねー……」


 本当になにもねぇな、ボルダー!(自分が過ごしていたのもただの森だし、ヒトのことは言えたものじゃないけれど)


 もはや漁港というよりは、漁村の方が近くて。自分たちの乗って来た船が、桟橋に停泊している船の中では一番大きい、ということからも明らかだった。


 貨物の積み下ろしも殆どないようだし、貿易・流通といったものが殆ど行われていない印象。人の数もまばらだったりして、外から人が来ることなど全く想定していないようだった。


「私は馬車に乗せてくれる人を探してくるわ。後で呼びに行くから、それまでゆっくり村の中でも眺めていたら?」

「ゆっくり眺めていたらって言われても……」


 みんなも思っていたものよりも、ずっと閑散としていたことに突っ込む気すら失せていて。ココさんはといえば『これがここでの普通よ』と涼しい顔をしていたし、トト先輩も『ほれ見たことか』と一瞥してから、さっさと降りて行ってしまった。


「やぁ、トトちゃん。一年ぶりかね」

「……えぇ。少し用事ができて」


「故郷に帰ってくるのに理由なんているもんかね。そうだ、家の方に魚でも送っておくから、お父さんと食べておくれよ」

「ありがとうございます。父も喜びます」


 小さい島だからか、村の人たちはトト先輩の姿を見るなり、親しげに声をかけていた。先輩も、珍しいことに眉間に皺を寄せたりせずに、普通に受け答えをしていて。なんだか、新鮮な場面だった。


 故郷に帰るって、こういうことなんだろなぁ。と、ぼんやり考えたりもして。


 ……今の世界で、黒猫の亜人として生まれ育った自分では、まずあり得ない光景。なんだったら、前世の――男子高校生だった頃の自分でさえ、こういう経験をすることはまずなかったと思う。


 そういう意味では、こういう田舎も悪いもんじゃないような気もしていた。


「みんな、馬車の手配が済んだわよ!」


 思ってた以上に早いな……! やっぱり地元だから融通が利くのか。

 ――って、馬車は馬車でも……。


「荷車……」

「これはこれで味がある……かな」


「ここから一時間もかからないわ。特にこれといって悪路もないし、すぐにピーコートの村も見えてくるわよ。ありがとね、ヴィーニ」


 ココさんが、荷馬車の前方で手綱を握っているヒトに礼を言う――のはいいんだけども……。向こうはもう六十を過ぎたような初老の男性。ココさんのフランクな態度に気を悪くする様子も見せず、嬉しそうに『ほら、どうぞ乗ってくれ』と促してくれる。


 どうしてそんなに嬉しそうなんだろう、と思ったのだけれど、すぐに気づく。


「ココも、乗れるかい」


 わざわざ降りてきて、こちらにまで歩いてきたかと思うと、ココさんへと手を差し出して荷台へ上がる手助けをしていた。


 そうか――


「えぇ、ありがと。四十年ぶりなのね、貴方にこうして手を引かれるのは」

「結局はジルオールに取られちまったけどな。俺から見てもいい奴だった」


 ――ココさんは本来、この人と同い年ぐらいなんだよな。






「本当に……のどかだねー」


 結局、感想はどこまでいっても一つで。アリエスなんて、馬車の荷台から少しはみ出して、ボーっと景色を眺めている。右を見ても左を見ても建物といった建物もなく。ひたすらに緑が広がっているだけ。たまに遠目に畑が見えて、その脇に倉庫らしき納屋があったか。


 視界を遮るものも、木々と丘ぐらいなものだった。


 十分、二十分、三十分と揺られているうちに、小さな森が見え――その手前に、ぽつぽつと家が建っているのが見えてくる。村を守っているのが周りをぐるりと囲んだ柵のみというところからも、魔物の少ない平和な村なんだということが察せられる。


「あれが……ピーコートの村ですか?」


「そうよ。あれが私達の故郷――」


 心なしか嬉しそうにしているココさんと、辟易したように小さく溜め息を吐くトト先輩。二人の様子は対象的で。それでも、トト先輩も故郷が嫌いなわけではない、ということは薄々感じられる。


「ありがとうございました!」

「あぁ、ゆっくりしていきな。ココもトトちゃんも、今日一日ぐらいはゆっくりしていくんだろう? 帰りも乗せていってやろう」


「助かるわぁ。ヴィーニも、ご両親によろしく言っておいてね」

「あぁ、それじゃあな」


 村の入り口でヴィーニさんと分かれ、ココさんの先導でヴェルデの家へと案内をされる。村の大きさはそれほど大きくもなく。端から端まで歩いても、十分程度しかなさそうだった。


 入り口そばの小さな畑を備えた家を通り過ぎ、用水路のような細い川を渡って、少し丘を登る。道すがらの脇に平屋建ての家が一つ、二つ。それらを抜けて開けた部分に出ると、小さな塀に囲まれた庭付きの家が見えた。今までの平屋建てとは違って二階建てになっているし、これは村長の家だろうか。


 まだ道は続いているが、ヒューゴたちは目を奪われていて。


「おっきな温室!」

「わぁ……。綺麗なお花がいっぱいですね!」

「というか、建物もでけぇ!」


 口々に驚きの言葉を発していた。先に挨拶でもするのか、トトさんもココさんも小さな門の前で立ち止まっていて。


『さ、中に入って』と言うものだから――


「……え、村長?」 思わず指をさして聞いてしまった。


「違うわよ」

「違うわね」


 ……ダブルで否定されてしまった。案内されたヴェルデの家――小さい村だからか、かなり目立っていた。ざっと見回してみても、これより大きい家はないんじゃなかろうか。温室抜きで考えても村一番って……。


「だって、こんなにデカい家に住んでいるのに……」


 村長が別にいるのだとしたら、面目丸つぶれである。


「代々この村で薬草を育てて薬を売っていたからね。多少は融通が利くのよ。昔からいたっていうだけで、それほど凄いことはしていないし」

「……私は、アンタが無茶を言って、家を建て直して温室も広げたって聞いたけど」


 あぁ、そんなところでも伝説っぷりを発揮していたのか。


「その方が合理的だったんだもの。おかげで栽培できる薬草の数も増やせたし、次期に関係なく安定して育てられるようにもなったわ。そうした結果、治療できる病気も増えたでしょう?」


「……救えなかった人もいるわ」


 それが――なんだかトト先輩にとって、特別な人であるかのように聞こえて。きっと、母親のことを言っているのだろうと、考えが及んだところで声がした。


「――トト。聞いていたより早かったじゃないか」

「父さん……」


 しかめっ面をした男性。トト先輩の父親であり、ココさんにとっては娘婿むすめむこにあたるヒトなんだろう。金髪の短い髪を後ろに流して、眼鏡をかけている。すらりとしていて、スーツか――もしくは白衣がよく似合いそうだった。


 別にマントも帽子も身に着けていない。いたって普通の男性。

 もしかしたら、魔法使いですらないのかもしれない。


 娘が魔法使いとして島を出た時、どう思ったのだろう。


「わざわざ出迎えてくれたのね、ハウレス」

「……娘が一年ぶりに帰ってきたんだ。出迎えぐらいする」


 そこには、『お前の為じゃない』といったニュアンスが含まれているような気がして。それもココさんは感じとっているのか。肩を軽く竦めただけで、中へと入っていった。


「ララのお墓に行く前に、荷物だけ置かせてもらおうかしら」


「……君たちも、わざわざ遠いところからよく来たね。さ、どうぞ上がってくれ」


 そうして、自分たちも家の中に通されて。玄関からすぐに居間へとなっており、脇の扉が一つ開きっぱなしになっているのが見えた。棚にたくさんの瓶が並んでいるので、最初は厨房かな、と思ったのだけれど――どうやらそこは、薬草の調合室らしくて。その窓の外には温室がばっちり見える。


 さっきまで作業をしていた感じからして、ハウレスさんが一人で薬の調合から販売までして家を守っているようだった。


『こっちよ』と二階に上がる階段へと案内されて、自分たちが通されたのはまるで書斎のようなココさんの部屋。広すぎず、狭すぎず。人一人が生活するには、申し分のない内装。ベッドが一つと、大きな机が一つ。真ん中に設置された机の両脇にずらりと並ぶように、一枚の壁が本棚で埋まっていた。


「すごい数の本……」


 ――でも、ところどころに埃が積もっていて。

 長い間、誰もこの部屋を利用していないのが見て取れた。


 あまり人の部屋を見ることがないのだけれど、これこそ魔法使いの部屋という感じ。ふと机の上に放置されていた本をちらりと見ると、そこにはココさんの名前があった。


 あれが話に聞いていたココさんの自伝だろうか。

 机の上には三冊ほど。棚の中にも似たような背表紙のものが二冊あった。


 ……わりと冊数があるんだな。学園の図書室にもあるのだろうか。


「おかしいわねぇ。私は読んだ本は棚にちゃんと戻す性格なのだけれど」


 ――とは言いながらも、誰が本をそこに置いたのか、だいたいの察しはついているらしい。ちらりとトト先輩の方を見るも、先輩は忌々しそうな顔をしていきながら部屋を出ていくところだった。


「……こんなところに長くいたくないし、父に話をしてくるわ」

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