第百六十七話 『面白い表現をするなぁ』
「嫌なんですっ!」
一際強く叫ぶその声に呼応するように、周囲の木々がざわりと震える。
まるでハナさんを中心にして、世界が変わっていくような。ここら一帯の空気を支配しているような、そんな不思議な気配がする。
「もうっ! 誰かが傷つくのは――!!」
詠唱もなにも無かった。しかし確実に、なにかの魔法が発動していた。ハナさんの足元に、薄緑色に輝く魔法陣が展開されて。それが急激に回転し始めたかと思うと、勢いよく広がっていく。
その場にいた全員が入るぐらいの、巨大な、巨大な魔法陣。
いったい何の魔法を――と口に出す前に効果は現れていた。
「……傷が――?」
「治癒魔法……」
ほんのりと身体の芯から温かくなってきて。皮膚に山程あった傷が少しずつ癒えていく。そしてどこか心の奥底が満たされていくような気がして。どうやら魔力まで回復しているようだった。
「自然の恵み、大地の活力を分けてもらってるてか……。まぁ、
これで仕切り直し、かと思いきや。
ハナさんの様子がなんだかおかしい。
「全員でかかってくるってか? 流石にこれ以上は待って――っ!」
魔法陣の回転が収まった次の瞬間、ミル姉さんの背後に生えていた木々が、極太の枝葉を彼女目掛けて叩きつけていた。あまりに強い力だったのか、ミシミシと枝が軋む音が聞こえる。
「こいつは……グロッグラーンのあたりで戦った時の……!」
「全員、巻き込まれないように下がって!!」
自然区の厳しい環境で成長した、逞しく強靭な木々だ。そんなのに囲まれている状況で、いったいどれだけの被害が出るか。
いの一番に、アリエスが全員に避難の指示を出していた。――ヒューゴの方は言わずもがな。危険を察知したのか、グレナカートたちも既にある程度下がっていた。
「――――」
あの時の比じゃなかった。まるで打楽器でも叩いているかのように、四方八方からミル姉さんを滅多打ちにする。殴打、連打、乱打。地面へ太い枝がボコスカと叩き込まれるのを、ただ遠目に見守るしかできない。
あれだけ広々と枝を伸ばした木々が、絶え間なく襲ってくるのだ。こんなもの、俺だって避けきれるか怪しい。この自然区の植物全てがハナさんの武器だと考えると、頼もしくもあって恐ろしくもあった。
――流石に止めるか? でも、どうやって……?
「そうだ……そうだよォ……!」
ミシミシという音の中に、バキリと野太い音が混じり、響く。徐々に叩きつけられている枝の数が減っていく。それは、見る見るうちに数本にまで減っていき――。
そうして、最後には攻撃が止むまでになって。
声のした段階で、やっぱりという気がした。
これでもまだ、ミル姉さんは立ち続けていた。
「潰すつもりで来いっ――!」
「いい加減にしてくださいっ! このままじゃあ――」
地面を蹴って跳ぶミル姉さん。速度は未だ衰えず。これにはハナさんも対応できない、と思いきや――次の瞬間には地面から幾本もの根が地盤ごと飛び出し、壁が造られた。そして再び植物による追撃。ミル姉さんが距離を詰めようとしても隙が無い。
にはるん先輩並の激しさだった。これだけの魔法を、まさかのハナさんが……。
ミル姉さんへと切り込んでいくことも、援護の魔法を撃つこともできない。
そんな自分たちの背後で――がさりと音がした。
「やあやあやあ、これでもかと騒いでるねぇ。ピクニック気分か? ん?」
「ヴァ……ヴァレリア先輩――!?」
「え、なんでもう――」
アナウンスがあって、どれくらいの時間があった? 早すぎだろ……!
相変わらず奇妙な形(不必要なぐらい面長)の兜と、軽めの鎧を身にまとっている。赤い髪とその
ただ少し違和感を覚えたのは、その鎧。なんだか傷やら血やらで酷く汚れており。普段のヴァレリア先輩からは、およそ似つかわしくない印象だった。
「まぁ、飛ばされたところが近かったんだろうにゃぁ。あっはっは」
『運が良かった』と笑う先輩。ここに来るまでに、なにがあったのだろう。他の生徒と戦っていたのか? いったい何人の生徒を脱落させた? そして――俺たちもその対象に違いない。
「……万全とはいかなくても、全員ハナさんに回復してもらってます。ハナさんはミル姉さんを抑えているとして、残りの七人で全力で止めますよ。いくら先輩でもこの状況では――」
「おいおい、
「……は?」
やれやれとため息を吐くヴァレリア先輩。
「あくまで私は“狩人”。――とは呼ばれたが、狩るのは参加者じゃない。この自然区の中にいる、危険な魔物の方だっていう話だ。納得したかね、ん?」
「な、なぁんだ……」
あれ……?
「でもこの訓練の前に『今回は助けてやれない』とか言ってませんでした?」
「まぁ……。そこは、なんだ。学園長との“ちょっとしたゲーム”のルールみたいなもんだ。私は直接的に手を出すことはできない。余程想定外のことが起きない限りは」
つまりは、『生徒が魔物と出会ってしまった場合は、各々の対処を見守る』と事前に学園長との間に決めてあったらしい。
「それに――ミルクレープがやり過ぎないように監視するつもりだったんだが……。こいつはもうあれだな。殆ど手遅れってやつだにゃあ。んふふふ……」
ミル姉さんも魔物と同じ扱いと考えると、この状況もヴァレリア先輩は手を出せないってことか……。いやいやいや。
「笑い事じゃないですって!!」
ミル姉さん一人のおかげで、【知識の樹】も【銀の星】も、壊滅レベルと言っても過言ではないほどのダメージを受けている。もう、訓練ってなんだっけ。最初からミル姉さんと戦わされていた方がマシだったんじゃないだろうか。
……結局のところ、この危機的状況は何一つ変わらない。
なんとかハナさんが魔法で抑えてはいるけれども……。
「チィ……。いいぜェ、見違えるような荒々しさじゃねェか! あらあら言ってたのが嘘みたいだなァ!! もっと見せてみろっ、本気の魔法をォ!!」
ミル姉さんの腕から何発も魔力弾が撃ち出されるも、土の壁が一瞬で現れて防いでいく。ハナさんの方は、もはや詠唱はおろか、視線を向けることすらしていない。まるで、彼女の意思とは関係ないままに、勝手に魔法が行使されているかのようだった。
妖精魔法ってのは、ここまでしてくれるもんなのか。
「……すっげぇ」
いつの間にか側に来ていたヒューゴが、感嘆の言葉を呟いていた。シエットとルナ――【銀の星】の面子は、あっちはあっちで集まっているらしい。
確かに、こんな怒涛の魔法を見たのは、今まででも数回程度だろう。まさか自分と同じ学年で、しかも同じグループの仲間が。ここまで凄い魔法使いだなんて。
出会った当初から、詠唱なしで妖精魔法を行使していたハナさん。未知数だった実力が、フルで発揮されているのが今の姿なのだろうか。同じ
ヒューゴが『いつかは俺も、あれぐらいの――』と言いかけたところで。
ヴァレリア先輩が先回りをするように、厳しい口調で呟く。
「――お前ら。あれに驚くのは自由だが、決して憧れるんじゃないぞ」
「あ、憧れるなって……?」
拍子抜けしたように尋ねるヒューゴ。隣にいたアリエスも、先輩の言った言葉の意味を理解しかねているようだった。
「“あれ”は、なろうと思ってなれるものじゃない。……慣れようと思っても、慣れるものじゃない。本人ですらどう扱えばいいのか分からない、爆弾みたいなもんだ」
その爆弾を持っているが故に、周りからは恐れられて。それでも、自分の意思で捨てることができなくて。そこまで聞いたら、自ずと理解できてしまう。自分には心当たりがあった。ハナさんに直接聞かされていたのだから。
「…………」
先輩の言葉に、全員が沈黙していた。
そんな自分たちを見るなり、先輩は手を叩き――
『ここで一つ、おさらいをしてみよう。私達、妖精魔法師の話だ』と言った。
「妖精魔法っていうのはだな。実に簡単に説明すると、自分の魔力を対価として、妖精の力を貸してもらって行使する魔法なんだ」
「……知ってますよ。だから詠唱という形で、使役している妖精と魔力のやりとりをして交渉するんでしょう?」
だから、他の魔法使いに比べれば、同じ魔力を消費したのだとしても威力の高い魔法を使えるのだ。その分、魔法を使えるかどうかは妖精の気分にもよるらしく、そこが一番のネックなんだとか。
「――あぁ。だから妖精魔術師は常に妖精と行動を共にしている。より早く、より短く自分の考えを伝えるために。妖精との相性――仲が良い方が得なんだ」
ヴァレリア先輩が、ヒューゴの方をちらりと見る。確かに、ヒューゴは暇な時間でも妖精と一緒に何かをしていたり、しきりに会話をしているようだった。知らない一面があったと、驚いていたこともあったな、確か。
「……だから、同じ魔法でも詠唱句の長さが変わるのか」
「そういうことだな」
結局は意思疎通がちゃんとできるかどうか。どれだけの信頼関係を築けているか、にもよるらしい。それは本人の性格と、妖精の性格が大きく関わる。打ち解けるのに時間のかかる妖精もいれば、初対面(?)でも手足のように動いてくれる妖精もいる。
「ま、わかりやすく例えるなら――初めて行く店で『肉はしっかり焼いて、野菜少なめで!』って注文するのと、行きつけの店で『いつもの!』って頼むぐらい違うな」
「わ、わかりやすい……?」
確かに後者の方がやり取りが少ないし、さっと出てくる印象ではあるけれど。
なんでそんな微妙な例えをしたのだろうか。
「その例えを使うなら――詠唱をしてない奴は?」
自分の使いたい魔法を、妖精がすぐさま発動させる。いつものハナさんがそうだったし、
「もう店に来ただけで料理が出てくるレベルだ」
「もはや常連のレベルを超えてるじゃねぇか!」
もはや店長と仲良しとか、そういう話なんじゃないだろうか。
その日の気分とかで出てくる料理が決まるのだろうか。
「……今のハナちゃんの状態はどういうことなの? 詠唱どころか本人の意志と関係なく魔法が発動しちゃってるけど……」
――そう。もはや暴走状態に近い。
ハナさんを守るために、妖精が勝手に魔法を使っているような……。
それにしても、出力がいままでと完全に桁違いだ。
「来る時間を見越して、既に料理を作っている状態だな!」
「お母さんかよ……!」
一気に家庭的になってしまった。
ふと思い出したのは、いつかの記憶。遠い、遠い前世の記憶。遊びに行って、日が落ちて。帰る頃には換気扇の排気口から、ほのかに香るいい匂い。勝手に料理が出てくる、と言ったら怒られるのだろう。……あれも愛情の形なんだろうから。
「――お母さんか。なるほどなるほど、面白い表現をするなぁ」
半分冗談のつもりだったのに。それでもヴァレリア先輩は『面白い表現だ』とくっくと笑った。何が面白いのだろう。アリエスもヒューゴも首を傾げた。
「あながちそれも間違いでもないかもな」
「…………?」
――その時だった。
ミル姉さんの放った攻撃が、ハナさんに掠ったのだ。
「やめてください! 私だって、これ以上戦いたくないんです! このままだと、溢れる魔力が止められない……! あの子が出てきてしまう――!」
ハナさんの悲鳴。自分でも止められない魔力に、怯えているような。
頭を抱えて、しゃがみこんだ、その時に――
「眩しっ!?」
「――うわっ!?」
足元の魔法陣がひときわ強く輝き、誰もが目を覆った次の瞬間だった。
「……珍しく、この子の感情がここまで昂っていると思えば――」
ハナさんの前に現れたのは――“何か”だった。
どんな種族か。名前は知らない。今までに見たことがない。
どこか妖精のようにも感じたけれども、大きさが明らかに違う。
「――この子を傷つけたのはお前か」
どちらかといえば虫サイズだった妖精に比べて、こちらは小さい子供ぐらいはある。ただ、それが普通の子供でないのは、うっすらと輝きながら宙に浮いていることから明らかである。
「……やっぱテメェ、普通の
……普通の妖精魔法師じゃない? ハナさんが?
だったら、なんだというのだろう。
それは今出てきた彼女――頭から一対の角が後ろに伸び、足の付け根からは尾が生えている――まるで人と竜が混ざったような姿をした“彼女”が関係しているのか。
何が起きたのか理解できていない一同と。
その中で事態の大きさを理解しているミル姉さん。
ヴァレリア先輩はといえば――『なるほど』と小さく呟くのみ。
「……精霊使い――
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