第百五十三話 『皆さんの力に』

「おー、まさかミルクレープを……」


【知識の樹】の部屋に戻ってさっそく報告。いつも気怠げにしているヴァレリア先輩でさえ、ミル姉さんを仮にも破ったという話に驚きの表情を見せた。


「――とはいえ、まだまだ奥の手を隠してる感じだったけどなぁ」

「一応は合格貰ったんだからいいんじゃない」


「やるようになったじゃないか、なぁ。んふふふ……。それじゃあ、すぐ近くに控えている本番でも大丈夫だよにゃあ」


 数歩歩いただけでソファに倒れ込み、ごろんごろんと転がっていた。


「そもそも、先輩は今回の訓練に参加してくれないんですか?」

「……? おいおいおいおい。定員は四人までなんだから、お前たちが出るに決まってるだろう? それともサボろうとしてんのかにゃあ?」


『許さないぞぉ、そんな怠慢はぁぁぁ』と絡んでくる。ヴァレリア先輩にだけは言われたくない言葉だった。……ただ確かに、先輩が入ったら誰かが外れないといけないわけで――その場合はヒューゴになるかなぁ……とか身も蓋もないことを考えたり。


「それに去年の“あれ”が特別で、もともとは参加する気もないんだ」

「…………?」


 なにか事情があるのか、と思いきや。


「私が出ると結果なんて分かりきってるからなぁ!」

「はぁ……左様ですか」


 強いのは分かるけど、この性格に難ありなのはなぁ……。


「ま、お前たちが思いっきり楽しんでくりゃそれでいいさ」


 そう言って、仰向けで『スゥー……ハァー』とまたお香を吸い始めた。話したいことは話し終えたと言わんばかりに、自分の世界に入ってしまった先輩。こうなると、まともに会話しようとするだけ無駄だろう。


「――さて、先輩はもう放置するとして……」

「なんだよー! 構ってくれたっていいじゃないかぁぁぁ!」


 無視だ、無視無視。世の中で、駄々っ子と酔っ払いは無視するのが無難だと誰かが言っていた気がする。……お香でハイになっちゃってる人も言わずもがな。


「その訓練の日まで、まだ少しあるけど……どうする?」


 何はともあれ、当面の目的を達成することができたわけだし。四人でまた何かをするのか、それぞれ好きに過ごすのか。全員に意見を聞いてみると、いの一番にアリエスが手を挙げる。


「はいはい! 私は機石バイクロアーの整備があるので無理です!」

「そういえば、思いっきりミル姉さんに投げ飛ばされて傷だらけになってたな」


 普段から熱心に整備しているだけあって、ボディは常にピカピカに磨かれている印象が強い。専用の道具もそろえているみたいだし、休日に洗車するお父さんみたいだな。


「傷だらけに……! すいません、アリエスさん……」

「な、なーんでハナちゃんが謝るのよ。いいのいいの! こんな傷なんて、簡単に直せちゃうんだから――」


 ――そう、心の傷よりは遥かに簡単に……。とまでは言ってないけど、愛車よりも勝ちを優先したのは、そういうことなわけで。自分の為にこれだけ必死になってくれる人がいる、というのはきっと幸せなことなのだと思う。


「ま、俺たちが強いのは分かったんだし! ゆっくりしてようぜ。な!」

「そう……ですね」


 能天気なヒューゴに半ば押されるようにハナさんも頷く。あんまり過信し過ぎるのもどうかとは思うけれど、ミル姉さんに勝ったのは事実だし、水を差すようなことを言うつもりもない。できれば調子の良いままで臨みたいしなぁ。

 

「――まぁ、俺もぶらぶらしてくるか……」






 とはいえ、遊びに出ているわけじゃない。


 ……正直、ミル姉さんとの戦いでは、不満な点もいくつかあったわけで。


 勝ったのも正面きっての正攻法というよりは、半ば不意打ち気味だったこともある。それと全く関係がないわけじゃないけれど、ミル姉さんを相手にする上で浮かび上がった問題点――困ったことに、新技の〈クラック〉が使えなかったことである。


 呪文を詠唱するわけではない。魔法陣ももちろん出て来ない。

 魔法を奪おうにも、奪えるもの自体がないのだから。


 結局は地力が足りないんだよなぁ。今回の戦いを見ただけでも、まだまだ埋められない差があることは明白。新しい魔法を覚えるよりは、やはり肉体面をどうにかするしかないだろう。この身体の運用方法を。


「…………」


 亜人の目、亜人の耳、亜人の手足。今は隠しているけれども、全力で戦う時は頼りにするしかない。持って生まれた、この身体能力を。


 自分の延長線上として浮かんできたイメージは……兄、そして父だった。単純な近接戦闘だけだったら、まだ兄には敵わないだろう。魔法で不意を突けたから、逆転できたようなものだし。……父については、比べること自体が論外だ。


 ――やるべきか。なぞるように、真似ていくように。

 それで強くなったとして、それは正しいやり方なのかどうか。


 少しずつ魔法を覚えて。自分なりにアレンジを加えてはいるものの――亜人デミグランデの一族として生まれた以上は……。


 追いたくない背中を、いつの間にか追っていた。

 逃げたくても逃げられない。逃げたつもりでも、逃げ切れてはいない。

 解放された今でも、完全に赤の他人とはなりきれていないやるせなさ。


「こんなことに頭を悩ませているのは、俺だけだろうなぁ」


 人は誰しも悩みを抱えているとはいうけれど……。きっと――ヒューゴとも、アリエスとも、ハナさんとも違う。もちろん、ヴァレリア先輩とも。


 ……自分の起源ルーツともなる、誰かとのしがらみ。追いたくないけど、追っているような――。この感情との付き合い方を、向き合い方を誰か知っていないだろうか。そんな稀有な関係を持っている人なんて、自分以外にこの学園に――


「……いたな、一人だけ……」


 きっと凄い嫌な顔をされるだろうけど、一応聞くだけ聞いてみるか。






 ――――。


「――分かったような、分からないような……」


 結論から言うと、自分が訪れたのはトト先輩のいる工房だった。ただ、ココさんの名前が出たあたりから露骨に機嫌が悪くなりだしたので、実験材料にされる前に逃げ出してきたのだけれど。


 それからは、食堂でキリカたちと他愛の無い雑談をしてきたり。受けるつもりのない依頼掲示板を眺めてみたり。なにか天啓でも降りてくるかと期待してみたけど、そんな都合のいい話もあるはずがない。


「やっぱり、今は何も考えずに身体を動かすだけか」


 ……数時間前に戦ったばかりだけども、ミル姉さんにもいろいろ聞いてみようか。どんな絡まれ方をするかと想像するのも嫌だけど、少し気になることもあるし。


『……ムーンショット……』

『……なんだろうな。記憶にねぇのに、勝手に口から出てきやがった』


 その単語は自分にとっては何の意味もないけれど、珍しくミル姉さんが何やら考えていたのは事実。攻略のヒントにでもなれば、と思ったのだけれど――


「……あれ、いないぞ」


 いつもだったら、ミル姉さんがそこにいるはずなのに。未だボロボロになったままの闘技場はもぬけの殻だった。どこかに出かけているのだろうか。


 ……なんとなく、自然区の方へと向かってみた。ちょっと入り口まで様子を見るだけ。なにも無ければ、そこで引き返すつもりだったのだけれど――


「――おぉい! 気ィ抜いてんじゃねぇぞォ!!」


 途中で、微かに届いてきた怒号。ミル姉さんの声だった。

 いつもの怒鳴り声――誰かといるのか?


 新しい挑戦者が来たのだとしても、元気が良すぎるんじゃなかろうか。逆をかえせば、あれだけ頑張って勝利したのに、大したダメージは残っていないと言われているようで……。


 自分達以外にもミル姉さんに挑む物好きがいるんだなぁと、声をした方へと向かってみると――


「――――っ」


「テメェは貧弱なんだからよォ! 一対一に持ち込まれたら足を止めてる暇なんてねぇぞ! 魔法もできるだけ常に使い続けろ、できるよなァ!」

「はいっ」


 ――それは、一人でミル姉さんと戦うハナさんの姿だった。


 今日最後に姿を見たのはいつだっただろう。昼過ぎだっただろうか。アリエスは? ヒューゴは? いったい何時いつ分かれ、ここに来たのだろうか。


 服はボロボロとまではいかないが、砂などでだいぶ汚れていた。はぁはぁと、肩で息をして。……いったい何時間、ここでこうして特訓をしていたのだろうか。


「ここなら全力を出せるんだろ!? 見せてみろ、ハナ・トルタ!! 防御と攻撃を同時にやってみせるぐらいじゃねぇと全然足りねぇんだよォ!!」

「――はいっ!!」


 ハナさんを中心にして、魔法陣が広がっていく。己の力しか頼れない状況。攻撃でも、防御でも――どちらかといえば受動的だったハナさんが、自ら変わろうとしている瞬間だった。


 ハナさんが植物の蔦を掴めば、まるでターザンのように木々の間を高速で移動して。木々の一本が、大きく枝をしならせミル姉さんの爪を受け止めたかと思うと、バネのように勢いよく葉の生い茂る枝を叩きつけた。


「ちったぁ、マシになってんじゃねェか! だが――」


 午前での経験もあり、ミル姉さんも警戒しているのが分かる。木々の間に絡まる蔦を切り払いながら追い、地上にいる時は常に足元に注意をしていた。けれど、やはり実力の差というものは大きい。


「うぅっ」


 植物を手足のように操り戦おうとするも、まだ完全には慣れていないのだろう。時折り戦闘のスピードについていけず、ミル姉さんに吹っ飛ばされて地面を転がる場面もあった。


「オラァ、戦場じゃあ悠長に寝てる暇なんてねぇぞ!」


「――――っ」


 助けに入ろうかと一瞬迷った。……けど、それはハナさんが望んでいることなのだろうか? そうじゃないだろう。ここまでして。そうまでして、一人で頑張っているのは。


「これで終わりにするか? あ゛ぁ?」


 きっとマイナスな感情に背中を押されてやっているんじゃない、ということだけは分かる。これはハナさんなりの、“戦う準備”というやつだ。


「まだ……まだやれますっ! 私だって、皆さんの力に――!」

「――よォし、いい面構えになってんじゃねェか」


 ――――。


「……凄いな、ハナさんは」


 自分達が思っていたよりも、もっと。遥かに。


 傷つくようなことばかりだけれど、そこから何度でも立ち上がって。それは一人では為し得なかったことかもしれない。誰かの助けがあってのことかもしれない。けれど――やっぱり最後に自分を奮い立たせるのは、己の心なのだ。


 ……自分も、やれるだけのことはやってみよう。


 そう思いながら、まだまだ戦い続ける様子の二人をそのままにして。

 自然区を後にしたのだった。

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