第百四十一話 『飛び込むしかないだろ!』

「“赤い月”?」

「クロエが言ってたんだよ。次の満月は赤くなるって」


 みんなに月鳴石について話をする。

 過去に戻る噴水を調べるきっかけになったのは、クロエの為だということも。


「なんでそんな大事なこと、すぐ話さないの!」

「べ、別に隠すつもりはなかったさ」


 見通しが立ったら本人と一緒に確認すればいいかな、と思っていただけなわけで。なんだか言い訳がましいけれども、そう説明すると『はぁ……』と溜め息を吐かれた。 


「――とりあえず、今夜じゃないみたいね」

「それじゃあ、明日の朝から調べるとするか……」


 空を見上げたアリエスにつられ、自分も薄っすらと浮かぶ白い月を見る。自分の目には、ほぼ真円のようにも見えるけれど……。赤くなっていないということは、まだ満月の前日ですらないのだろう。


「ふああぁぁ……頭を使ったせいで眠いぜ」

「アンタはさっきまで寝てたからでしょ」

「まだ薄暗い時間ですのに……」


 今日はこれ以上収穫が見込めないということで、これで解散となった。






 ――翌日。


「おや、今日は四人で来たのかい」

「伝承について調べたいの。もうすぐ“赤い月”でしょ?」


 細かい事情は話さずに、新聞部の活動に関することで、調べものをする必要があるとだけ説明した。いつものように、棚がある場所を書いたメモを手渡される。


「――月が赤くなるのは今夜からだよ」

「え゛」


 あんまり時間がないどころの話じゃなかった。今日のうちになんとしてでも、有力な情報を掴んでおきたいのだけれど。


「もし奇跡を起こす力があるのなら。様々な偶然を束ねることができたのなら。その時は――時の神様にでも会えるかもしれないねぇ」

「時の……神様?」


 ヒューゴが適当に言っていたことだから、ばっさり切って捨てていたけれど……。まさか本当にいるのだろうか。会えるものなのか、神様とやらに。


 意味深な言葉をかけるだけかけて、他の生徒の対応へと向かうローザ女史。わざわざ引き止めて聞くわけにもいかず、メモを見ながら目的の本棚へと向かった。


 …………。


「――思っていたよりも沢山あるんですね……」

「世界規模で観測される事象だからかな」


 なんにせよ、探すのに苦労しなくて済むのはありがたい。


 そこから手分けして、虱潰しに情報を収集していく。真っ先にヒューゴが脱落したけども、そこは想定の範囲内だろう。区画と区画の間にあるテーブルに、沢山の本を広げて整理を始める。


「どの本もふんわりした内容でしか記されてないなぁ……」


 広げてあった本の一つを手に取り、アリエスが中身を読み上げる。


「――赤い月には不思議な力がある。世界中で魔力が活性化するのも、その一つ。様々な影響が出るが故に、人々は“魔の月”と恐れた。“血の夜”と呼ばれた年さえあった」

「血の夜……ですか……」


 やっぱり物騒だなぁ……。

 流石に化物が出てきたりなんて……しないよな?


 ――なぜ月が赤く染まるのか。世界中の魔力が濃くなるから赤くなるのか、月が赤くなるから魔力が濃くなるのかも不明。古くから、数多くの聡明な魔法使いが調べているが、一向に謎は解かれていないらしい。


「クロエは『月鳴石が使いものにならなくなった』って言ってたけど」


 普通の満月のときよりも、強い負荷がかかったからだとかなんとか。

 やっぱり魔力に関する何らかの影響が出ているんだろう。


「魔力が活性化するのなら、アーティファクトの起動にも関わってくる?」

「もしかしたら、噴水も“赤い月”の夜に……ってことだよね」


 起こる時期の周期は似ている。アリエスの聞いた伝説だって、もしかしたら月の影響で泉が赤く染まって……と考えれば、可能性が無いわけじゃない。


 ただ、分かったことはそんなものぐらいで。気がつけば、あっという間に数時間が経過して。手詰まりになったときには日が暮れ始めていた。


「時の神様についても、メモに書かれていたから調べてみたけど……。全然駄目。わかったのは“ロアノ”って名前ぐらいで、どんな神様なのかも、どうやったら会えるのかもサッパリ」


「……調べて分からない以上は仕方ないさ。今日が駄目だったら、明日また全力で他の方法を探そう」


 これだと決めつけるのは早計かもしれない。

 自分たちに奇跡なんて起こせる筈が無いけれども、試してみるだけならタダだ。 






 ――そして決行の時間が来た。


 みんな寝静まった夜更けの晩。他の三人には先に噴水へと向かってもらい、自分はメインゲストを迎えに行く。この時間、クロエならまだ作業をしている筈だ。だって半吸血鬼ハーフヴァンパイアだし。


 薄暗い地下道を通って、いつもの大広間へと出た。

 予想通り、慌ただしくゴゥレムたちが動いている。


 指揮を取っているクロエは――いた。

 玉座の肘掛けにもたれ掛かり、心なしか不機嫌そうにしている。


「クロエ!」

「…………?」


 “赤い月”のピークは明日だとはいえ、今日のどれくらいまでが噴水に作用するのかも分からない。まずは全員で噴水に集合するのが先決だと思い、説明もろくにしないままクロエの手を取った。


「探してたんだ、ちょっと来てくれるか!」

「え!? え!? こんな夜更けになんなのよ!?」


 驚きつつも、立ち上がり自分に付いて来てくれる。


「駄目になった月鳴石――なんとかなるかもしれないんだ」

「月鳴石……? なんとかなるかもって……。肝心の石をあそこに置いて来たままなんだけど?」


「あぁ、別に持っていく必要はないから」

「……? ……!?」


 わりと素っ頓狂なことを言っているのは自覚している。クロエが混乱する気持ちも分からないわけじゃない。ただ、ここでいきなり『過去に戻るぞ』だなんて言って、変人扱いされるのも面倒だし。


「――連れてきたぞ!」


 “裏側”からクロエを連れ出し、中庭の噴水のもとへ。既に集合している三人は、まるで引き寄せられるかのように空を見上げていた。


 空に浮かぶは赤い月。魔性の色、魅惑の真円。

 まるでこの世のものとは思えない、薄紅色の満月。


「これが“赤い月の夜”なんだな……」

「あたりに少し赤みがかかって、少し怖いです……」


 ハナさんが怖がるのも分からないでもない。こうして月明かりの下に出て初めて感じる。魔力が活性しているのか、それとも亜人の体質なのか。身体の奥底が、先程からなんだかゾクゾクしていた。


「噴水の方はなんにも変化が無いみたいだけど、どうする?」


 噴水から吹き出し、溜まっている水は――やはり無色透明。

 赤い泉などの伝説の様には染まっていない。


 今はゆらゆらと夜闇を映し出し、黒いカンバスに赤々とした円が浮かんでいるだけ。これはこれで、魔性と呼んでも悪くはない気はするけど……。


「飛び込んでみりゃあ分かんだろっ!」

「きゃあっ!?」


 これでもかと水しぶきを上げて、ヒューゴが飛び込んだ。


「…………」

「……ヒューゴさん?」


 十秒、二十秒――三十秒経っても、なかなか浮かび上がって来ない。


 ……まさか成功したのか? と思った矢先に、これまた水しぶきを上げながら水面へと勢いよく顔を出してきた。どうやら底も浅いのに、無理をして潜り続けていたらしい。


「――ぷはぁ! どうだ? 戻ったか?」

「……そんなわけないでしょ。ほんと馬鹿なんだから」


 やっぱりそう簡単にはいかなかったか……。

 ずぶ濡れになって出てきたヒューゴを見て、呆れたようにため息を吐くクロエ。

 

「はぁ……。悪いけど私、水遊びに付き合うほど暇じゃないの」

「ちょ、ちょっと待って――……っ!?」


 クロエを引き止めようとしたアリエスだったが、不意に立ち止まり胸元からネックレスを取り出した。ガラスの円筒に入れられているのは、一つのサイコロで。


 それが今は、不自然に青白く光っていた。


「これは――サイコロが光ってる……!?」


「それって賭けで獲ったもんだったよな……? まだ持ってたのか」

「もちろんよ! 大事な御守りなんだから!」


 ちょっとした験担ぎのようなものだったらしい。

 ……でもそれがなんで光ってんだ?


「なんで光ってんだ?」

「そ、そんなの私にも分からないわよ!」


「お、おい……」


 今度はなんだよ……。


「噴水の水が……月と同じ色に変わってます……!」

「そんな馬鹿な……」


 いくらなんでも有り得ないだろう。空に浮かんでいる月が、まるで水面全体を覆っているかのようだった。距離からしても、先程見たとおりの小さな円が浮かんでいるのが関の山だったはずだ。


「そ、空――空を見てっ!?」

「な、なにが起こってるの……!?」


「な……なんだこりゃあ……!」


 月が――近い。押しつぶされそうなほどの圧力。

 表面のクレーターさえもが事細かに見えるぐらいに、月が迫っていた。


 こいつはいったい全体どういう仕組だ?

 一瞬で移動した? もしくは、そう見えるようになっただけ?


 どちらにしろ、自分の中の常識では有り得ない現象。完全に予想外の出来事に、さっきまでは何となく感じていた恐怖が、明らかな形を持って背筋を撫でる。


「ど、どうするのよ……」

「ここまで来たんだ。もう……飛び込むしかないだろ!」


「待ってたぜっ! 噴水よ――俺を試験の前の日まで飛ばしてくれぇ!」


 ヒューゴが飛び込んだにもかかわらず、水しぶきが上がらなかった。……先程とは確実に何かが変わっている。確実に、何かが起きている。


 ……これはもう、続くしかないだろ!


「クロエも行くぞ!」

「わ、私は何一つ了承してないんだけど――きゃああああああ!?」






 ――体中を襲う、どこかへと飛ばされるような感覚。


 始めは一面赤色に染まっていた。何もない空間を、ただひたすらに進んでいく。落ちているのか、昇っているのか。それすらもさっぱり分からない。


「――――!」


 声を上げようにも口が開かなかった。


 突然に、ぶつりと視界が切り替わり――次第に目まぐるしく風景が変化していく。様々な写真を、動画を、連続で見せられているかのようだった。


 噴水のある中庭。学園の天辺。渡り廊下からの眺め。

 薄暗い石造りの部屋。その中央には――門の扉だけがぽつりと浮かんでた。


 屋内、屋外関係なく、縦横無尽に視点が移動する。


 さらに風景が切り替わる。切り替わる。切り替わる。学園の中の様々な場所、様々な時間が映し出されていく。その速度が段々と増していき、限界が訪れる。目まぐるしい速度で、フラッシュを高速で焚かれたような白い光が身を包んで――


「……終わった……のか?」


 そうして気が付くと――自分を含め全員が、冷たい床に倒れていた。大理石で作られたかのような、白い石造りの床である。今の自分から見える範囲では、驚くことに。そのところどころに“窓”が浮かんでいるだけで、空間が膨大に広がっているようにも思えた。


 異常な現象。異常な風景。そして――場違いな音。

 ――軽やかに奏でられるピアノの音だった。


「う……」


 フラフラする頭を押さえながら立ち上がる。少し周りを見回してみれば、他のみんなも同じようにゆっくりと身体を起こしている最中。


「――全員揃ってるか?」

「うぅ、なんなのよ全く……」


「みんなぁ……生きてる?」

「大丈夫みたいです……」

「……ここはどこだよ?」


 クロエも、アリエスもハナさんもヒューゴも。誰も怪我をしている様子もない。


 噴水に飛び込んだ全員が、同じ場所に飛ばされている。まずは俺たちが置かれている状況を把握――する前に……変化が起きた。


「音が……止まった……?」


 ……どうやらコチラへ挨拶するのが先らしい。

 ここには、自分たち以外に誰かいる。……ピアノを弾いていた誰かが。


 音の出処はそれほど遠くなかった。視線を向ければ、そこにいた。真っ白い大きなピアノに身体が隠れていたものの、よく見れば椅子に腰掛けている少年がいた。


「――――ふぅ」


 少年は落ち着いた様子で椅子から降り、ゆっくりとこちらへと歩いてくる。

 その一挙一動を見ても、敵意があるようには見えない。


 …………。


「(どうするの、リーダー)」

「(……こっちからは動かない方がいいだろ)」


 言葉は通じるのか。意思疎通はできるのか。

 突然に飛び込んでしまった形だけども、別に襲いにきたわけじゃない。


 向こうがどう出るのか様子を窺っていると――少年はにこやかに微笑み、開口一番に衝撃的な事実を自分達に突き付けたのだった。


「やぁ、歓迎するよ。ようこそ

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