第百三話 『その目は確かに憶えている』

「ルルル先輩!」

「アリエスさん!!」


 二人は一瞬のうちに、糸で雁字搦がんじがらめにされていた。


 倒れ込みはしなかったものの、口を塞がれ一切声を出すことができない。『信じられない』『何が起きているのか分からない』と、動揺と混乱に包まれていることをその目が訴えていた。


「糸を使う魔法……!」

「……テイル君、それは少し違う」


「糸は僕の身体そのもの――僕の目であり、僕の耳であり、そして全てだよ」


『これらもゴゥレムというより、僕の分身に近い』と言うなり、後ろの棚に飾られていたヌイグルミたちが突如動き始めた。次々に棚から飛び降り、机の上によじ登っていく。


「魔法じゃあ……ない?」


 ヌイグルミたちは器用に側転をしたり、組体操をしたり。更には二人を拘束している糸の一端を持って、ピョンピョンと縄跳びをし始める。自動でやっているとは考えにくい。どう見ても手動で操っている様な動きだった。


 この世界で、これを魔法と言わずになんと呼ぶのか。


「僕にも事情があるのさ。この学園で捜し物を見つける為に、手段を選ぶわけにはいかなかった。……それでも、今になるまで見つけることができなかったんだけどね」


 そこでちらりと、ヴァレリア先輩へと視線を移した。

『チッ』と舌打ちしながら、指名されたと言わんばかりに先輩が一歩前に出る。


「ヤーンだったな? 学園中に糸を張り巡らせてさぁ。どこにいてもチラチラと視界に入って、鬱陶うっとうしくって仕方がなかったんだよなぁ。避けて歩くのも一苦労だ」

「避けて……。まさか、“視えて”いたって?」


 よほど上手く隠していたつもりだったのか、信じられないと言わんばかりに目を見開く。


 ……そりゃあ、自分みたいに最大出力で探知魔法を使うやつもいないだろう。もちろん、どんな魔力も見える《特待生》がいることだって、想像しているわけがない。琥珀色に輝く、黄金瞳の存在なんて――


「……そうか、その目だ。。ようやく、君にこうして近づくことができたよ……!」


 ヴァレリア先輩に向けられた視線は、普段のヤーン先輩からは考えられないぐらい険しいものだった。


 やっぱり、狙いは先輩か。でも、どうして?


「はっ。私を探していたのか? 学園中に糸を張って? 熱烈なことだな」


「これは……最終手段さ。目的はこれで半分達成だ。ここまで来るのには、相当な時間を要したよ。僕は君を探すために学園中を回った。教員も生徒も、ある程度なら把握しているつもりだった。……けれど、それでもまだ全てじゃなかった」


 糸の張られている範囲も、そこまで広くなかったとヴァレリア先輩は言っていた。その糸をわざわざ避けて歩かれていたのだから、なおさら見つからないに決まってる。


「でも、運にも助けられた。今年になってから神がかって偶然が重なった。数年前から【真実の羽根】という場所ができたのも……都合が良かった。学園の情報を集めるのに、これ以上に最適なものはなかったよ」


「――――っ」


 ルルル先輩が責めるような目つきでヤーン先輩の方を見た。

 信頼に対する裏切り。最初から利用していたと、先輩は言ったのだ。

 そして、その視線から逃れるように顔を背けながらも、話を続けていく。


「《特待生》についても、噂ばかりで実際に目をすることは無かったからね。きな臭いところに糸を張るにしても、もう少しはっきりとした情報が欲しい。そう思っていたところで……テイル君、君たちは非常に優秀だった」


「…………」


 ……全く嬉しくない。声音はこれまでと変わらないというのに、今では正反対の印象を受ける。依頼をこなしてくる度に、内心ほくそ笑んでいたのだろうか。


 学園の生徒に聞き込みをして。自分たちの足で入り口を見つけ出して。

 そして、クロエたち《特待生》の存在を知った。


 この学園での“冒険”ともいえる思い出が、踏みにじられていく。


「そうして学園の裏側に糸を伸ばして。それでもなお、自分の探している人物にたどり着くには一歩足りなかったんだけどね。……何年待っても、卒業した生徒の中にはいなかった。新しく入った生徒と区別するために、常に情報の収集は欠かさず行ったさ。でも見つからないんだ。幻を追っているんじゃないかと、気が狂いそうになった時もあった」


 自分たちに依頼をしたのは、ヤーン先輩ではなくルルル先輩だ。ルルル先輩は純粋に七不思議について調べていたのだろう。……七不思議もどきをヤーン先輩が用意したとするなら、それすら計画の内だったのかもしれない。


「本格的に動こうと決めたのは、学生大会の時だ。あの時は本当に驚いた。まさか、そこで君を見つけることができるとは、思ってもみなかったからね。顔は兜で隠していたけど、その赤い髪だって忘れられるものじゃない」


「“赤い髪”……」


 ヴァレリア先輩がグループ室から出た時のことを思い出す。


『私が赤い髪をしているからか?』


 “髪が赤い女子生徒が消えた”という事件に、先輩が巻き込まれそうになったんじゃない。


「どうやら、アリエスちゃんの知り合いの様だったからね。割に合わないとは分かっていたが、こちらから少し仕掛けさせてもらった。これも、確実に炙り出すには必要なことだった。……テイル君、危険に晒して済まなかったね」


「……俺よりも、ハルシュに謝るべきなんじゃないですか」

「そうだね。謝るさ。全部謝ろう。――全てが終わった後に」


 ヤーン先輩がそう言って身体から出したのは……本?


 黒い色をした革表紙の、見た目ボロボロの本だった。


 普通の本とは違う禍々しさを感じる。纏っている魔力の色が違う。どす黒い、ドブの様な色をした魔力を見るだけで、喉の奥から不快感が込み上げてくる。


「――――」


 もしもその本が、良くない魔法、禁術の魔導書だというのなら――

 そこから千切り取ったページを、ハルシュの服に忍ばせたのか……!


「お前……ただじゃ済まないのは分かっているな? そうかい。事情はともかく、終わらせるのには賛成だ。私に何の恨みがあるのかは知らんがな、さっさと片付けて寝たいんだよ、こっちは」


 口調はふざけているものの、空気が張りつめていくのが分かる。


「そうやって飄々ひょうひょうと……そんな君に僕は……」


 ヤーン先輩の方も、体中から出ている糸が量を増していた。

 ……これから、戦闘が始まる。


「僕の日常は、壊されてしまったというのに――!」


 それならば、自分は――?

 ヴァレリア先輩にだけ任せておくのか?

 間には、まだルルル先輩とアリエスがいるのに?


 ……いいや、できることがある筈だ。


「……ヒューゴ。ハナさん。聞こえるか」


 ヤーン先輩には聞こえない程の小さい声。前に立っているヴァレリア先輩にも聞こえないような音量で、後ろの二人へと声をかける。


「……おう」「はい……」


 顔は前を向いたままだ。

 ルルル先輩の方を見たままで、作戦を二人に伝える。


『コツは、いろんな人の思考の動きを知ることかな』


 ――目が合った。


 脳裏に浮かんだのは、シャンブレーでの先輩との会話。

 声は届かなくとも、


「ヴァレリア先輩がヤーン先輩の気を引いている間に、ルルル先輩とアリエスをこちらに引き剥がす。……タイミングを合わせて一気にやるぞ」


『こんな人だったら、きっとこう言うだろうって。事前に予測を立てるだけでも、何を話しているのか聞き取りやすくなるの』


 この一年、いろいろな依頼を通して接してきたし。数日とはいえ、寝食まで共にしたんだぞ。ルルル先輩だったら、俺が何を言うのかだって理解している筈だ。


「ヒューゴ、ヴァレリア先輩が廊下で使った魔法、お前でもできるか?」

「あ、あぁ。難しいだろうけど、やってやるぜ」


 先輩が使ってくれるのが一番なんだけど、一向に使う様子がない。

 調子が良くないって言ってたことが関係しているのか?


「僕には敬愛する“先生”がいた……! “先生”が全て与えてくれた!」


 ――とにかく。ヤーン先輩が動き出す前に、二人を戦闘範囲から除けておかないと。流れ弾が当たるかもしれないし、人質があるせいで先輩が全力で戦えないかもしれない。


「よし、それじゃあ、熱風を飛ばして部屋中の糸を焼いてくれ。それで二人は開放される筈だ。ハナさんの方は――……あー……」


 ……まてよ。室内だから、土や植物の妖精魔法は効果が薄いんじゃないか。

 植物なんて、特に先輩の炎魔法で焼かれるだろうから効果が薄い。


 あぁ! こんなことなら、なにができるのか聞いておけばよかった!


「あの……」


 ハナさんに出す指示を決めあぐねていると、遠慮がちに向こうから提案される。


「先輩の体勢を崩す程度でしたら……なんとか……」

「――あ、あぁ。それで頼む」


 他人に危害を加えることすらも抵抗のあるハナさんも、既に決意を固めている様だった。拘束してくれとまでは言わない。体勢を崩してくれるだけでも十分だ。


 ――あとは、俺の力でなんとかしてみせる。


「三秒後に俺が飛び出す。行くぞ――」


 身体の後ろに隠す形で、指で『三』と合図する。


「それを君が――」

『三、二、一……!』


 ゼロの合図で飛び出し、ヴァレリア先輩の横を抜けるようにして前に出て、そのまま机へと飛び上がった。得体の知れないヌイグルミたちを、ナイフで細切れにする。


「ヴァン・イグノート・イン・グリード!!」


 ――ヒューゴの詠唱!


 ヴァレリア先輩は詠唱ナシで使っていたけども、アイツはそうもいかないか。どちらにしろ、同じ魔法が出るのなら問題はない。すぐにあの熱風が広がり、二人を捕らえていた糸だけを焼き切る筈――って、あっつぅっ!?


「きゃっ!?」


 予想していた熱気の温度が高い。肌の方は少し驚く程度で済んだが、毛先が少し焦げてしまったんじゃないだろうか。後ろから小さく『やべっ!』とヒューゴの声が聞こえた。


 このやろう……!

 土壇場で調整をしくじりやがったな……!


 ……それでも、なんとか目的である二人を捕らえていた糸は焼ききれていた。

 机へ飛び上がった勢いそのままに、ヤーン先輩とアリエスの間に入る。


 ルルル先輩は作戦の内容を理解している筈。

 きっと、ヒューゴたちの方へと自分で飛び込んでいく。


 となると、自分のするべきことはアリエスの安全を確保すること。ヤーン先輩に接近して意識をこちらへと引きつけることも考えはしたが、不用意に近づき過ぎるのも危険だ。


「――テイルっ!」

「アリエス、走れ! ルルル先輩もっ!!」


 肩をトンと押し、ヴァレリア先輩の後ろまで逃がす。


 ヤーン先輩の足元の床はヒビ割れ、少しだけ隆起していた。ハナさんの魔法によって、バランスを崩されていたのだろう。先輩からの反撃に備えて、ナイフを構えていたのだけれど――


「なっ――」


 目の前の事態に息を呑んだ。

 いつの間にか、先輩の身体にまで炎が燃え移っている。


 尋常じゃない火力。制服が燃えるにしても、ここまで早く燃え広がるわけがない。ヒューゴの魔法の調整がおかしかったからか? それとも、身体にも糸を纏っていたのか?


 流石に、全身大やけどになるのはやり過ぎだ。

 これだけのことをしたのは確かだけれど、奇跡的に誰も傷ついてはいない。


 急いで火を消さないと――と、前へ出ようとしたその時。


「先輩……その腕……!?」


 ――ぼとりと、ヤーン先輩の左腕が

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