第九十七話 『……少しお願いがあるの』
「――時に君たち。レース中に、なにかおかしなことはあったかい?」
部屋から出たところで、学園長に引き止められて。
唐突にそんなことを尋ねられた。
おかしなこと? 自分の常識に当てはめて考えてみると――
「なにかって、あの馬鹿でかい魚ぐらいですかね……」
普通に考えても、障害物としてはやりすぎな気がする。森の方でも魔物がいたりしたらしいけども、あんな即死もののトラップと比べれば可愛いものである。
周りが苦笑する中で、アリエスだけが『あっ』と声を上げた。
「そういえば、森林エリアで“なにか”に引っかかったって、上から落ちてきたタミルちゃんが言ってました」
「なにか……?」
観客席からじゃよく分からなかったけど、森の中でごたごたした雰囲気だったのは、どうやらそれが原因だったらしい。上から落下してきたタミルを拾い上げていたり、突如失速してリタイアした上級生に話しかけていたり。
「あと、同じように引っかかって落ちて、腕輪を無くしちゃった先輩もいたりしてさ。視界が悪かったせいか、凄い大変だったんだから」
「ふむ……なるほど。確かに、紛失したという報告がいくつかあってね」
リタイア時に確認したものの、どこかに隠し持っている様子もなく。誰も彼もが、森林エリア内でのトラブルの際に紛失したと言っていたらしい。中には、腕輪を無くしたままゴールした猛者もいるとか。
「あれにかけられた魔法は特殊なものだから、この学園の敷地内でしか使えない。しかし、そのままにしておくわけにもいかないだろう。何があるか分からないからね。大会の片付けが落ち着いた頃に、僕の方からもいろいろ探してみるつもりだけど――」
――とまで言ったところで、チラリとこちらを見る学園長。
それに気づいたルルル先輩が、勢いよく手を挙げる。
「はいはい! 私とテイルくんたちで調べておきましょう!」
「なっ――」
こちらとしては予想外だったのだが、学園長は最初からそのつもりだったようで。『よろしく頼むよ』と微笑んで、うんうんと頷きながら学園長室の中へと戻っていったのだった。
そうして外に残された自分たち。それぞれが顔を見合わせて。
『……よかったよね?』と、おずおずと先輩が尋ねる。
「そんな顔するぐらいなら、聞く前に引き受けないでください」
『はぁ……』と思わず大きなため息を吐いてしまう。とはいえ、アリエスが優勝して、こうして賞品も受け取ることができた以上はだ。特に“何かしなくては”ということも無くなってしまったわけで。
そうなれば、頼まれたことをやるのは、別にやぶさかでもない。
「……やりますけど」
『私も手伝います!』と宝石の入った箱を大事に抱えたまま、ぴょんぴょんとアリエスが跳ねる。両手がふさがった状態で、精一杯の自己主張だった。(ちなみにもう片方の宝石は、自分が抱えていた)
「なんたって、私も当事者だからね! 間近で見てるし、何か思い出すかも」
とかいって、うんうん唸るものの――そんなにホイホイと手がかりが掴めれば苦労はしない。見かねたルルル先輩が、『まずは無くした本人たちに、話を聞きに行ってみる?』と提案してくれた。
「きっと腕輪を無くした罰として、会場の片づけを手伝ってるはずだから」
「あー、いい案なんですけど――」
「今日は皆でそっちをお願いしていいですか?」
皆、というのはヒューゴ、ハナさん、ルルル先輩の三人のこと。
自分とアリエスはといえば、腕に大きな宝石を抱えているわけで。
「まずは“コレ”をなんとかしないと、だもんね」
流石にこれを抱えたままで行動するのは、精神的にも肉体的にもキツイ。万が一落としでもしたら、目も当てられないし。
というわけで、自分たちは一時的にだけれど、別行動を取ることにした。
「……これを? ……私に?」
大きな部屋にたった一つある玉座の上で、クロエは唖然としていた。
それも反応としては間違いじゃない。今まで見たこともないような大きさの宝石が、二つ目の前にゴロンと置かれているのだから。『いったい何の魔法だ』と目を疑いたくなるのも、無理もないことだと思う。
「あぁ、依頼の品。しっかり用意してきたぞ」
ようやく一番始めの目的を達成できるということで、アリエスと共に学園の裏側――今ではクロエのゴゥレム制作のための工房となっている、あの“チェス部屋”へと訪れたのだった。
そのさらさらとした長い金髪と、まるで夜闇のように黒いドレスを、ふわりと揺らしながら階段を下りてくる。
「まさか、ここまでの物を二つ揃えてくるだなんて……」
きっと、予想の
高級品も高級品。そこらで売っているようなものじゃない。
下手をすると、家宝になるような宝石を、きっちりと二つ。
我ながら――もとい我々ながら、完璧な仕事だったな。うん。
「片方を調達してくれたのは、このアリエスだぞ」
この後の流れのために、しっかりと紹介しておかないと。
自分の紹介を受けて、えっへんと胸を張るアリエス。
「頑張ったんだからね!」
自分一人じゃ、とてもじゃないがこうはいかなかった。
宝石一つ、満足に持って来れるか怪しかっただろう。
最初にシャンブレーでの依頼へ、無理に自分を引っ張っていったルルル先輩。そして、大会できっちりと優勝を掴んできたアリエス。それを達成するために、バックアップを惜しまなかった【知識の樹】のメンバー。
それに、遺跡から持ち帰った資料を解析してくれたキンジー先生や、前回の大会で優勝して、倉庫の中から賞品を選ばなかったキリカなど、様々な要因が絡まって生まれた結果である。
「…………」
『どうぞ受け取って』と優勝賞品を差し出され、宝石と自分たちとを交互に見比べて、なんと言って良いのか言葉を失っている様子だった。誰かからプレゼントを受け取る機会なんて無かったのだろうか。
……いや、単に重すぎるだけか。いろんな意味で。
返事を見守っている自分たちに向けて、辛うじてクロエの口から出た『あ、ありがと……』という言葉。それに対して、こちらも『あぁ』だとか『うん!』だとか、短く返事をする。
これだけの宝石を前にして、彼女はどんな思いを巡らせているのだろうか。
見たところ、ゴゥレム制作の方もまだまだ進んでいないようだし。
「どんなゴゥレムを作る予定なんだ?」
「それは……まだ決まってない。でも――」
もしかしたら、こうして物を持ってきたことで、焦らせる結果になっていたら?
クロエを見ていると、そんな考えも少しは過ぎっていたのだけれど……。
「すっごいのを作れるのは確かね。この宝石の価値に負けないぐらいのものを、絶対に作ってみせるから。本当にありがとう」
そう言ってこちらを見上げた彼女の表情に、普段あまり見ることのない笑みがあった。……喜んでくれているのは間違いない様だ。それだけでも、十分なくらいだった。少なくとも、自分は、だけれども。
「あー……あのね? これを渡す代わりに、といってはなんなんだけど……少しお願いがあるの。聞いてもらっていい?」
「……なに?」
先程の笑顔が引っ込み、再び警戒の色を残しながら、アリエスの方へと向き直るクロエ。ただ、本人が依頼した以上のものを持って来られ、それで邪険に扱うのは失礼に値すると判断したのだろう。そこまで嫌悪している、というわけでもなかった。
……警戒するのも無理もないよなぁ。
流石に、このレベルの宝石を二つである。
自分だって、こんなものを渡された日には、対価として腕の一本や二本。最悪一生こき使われるんじゃないかと、変に
世の中、こんなうまい話があるのかと。
幸福がすぎると、時に人は疑い深くなってしまうものである。
しかしそれでも――
「私たちともね、友達になってほしいの」
一見採算の合わないことをするのが、このアリエスだった。
――直感か、もしかすると彼女だけに分かる何かがあるのか。
少なくともアリエスは『クロエと友達になりたい』からそうしたのだ。
「……へ?」
自分も事前に知っていただけに、クロエから出た間の抜けた声が、なおさらに間抜けに聞こえた。
「最初はあんまりいい出会いじゃなかったし。お互い事もよく知らないのに、いきなり友達になろうって言っても難しいよね。でも、テイルから貴方がゴゥレムを作るのに宝石が必要だって聞いたからさ。この依頼をきっかけに、仲良くできたらなって」
――金で友達を買ったと言うと、見も蓋もないけれど。
外目にも、本人の気持ちとしても、協力したいという意味合いの方が大きく。
そして、その気持ちを伝えることができたのならば。
受けた相手にとっては、そう悪い気持ちにはならない。
やはりアリエスにとっては、それだけの価値のあるものなのだろう。
「なんだったら、ゴゥレムを作るのも少しは手伝えるかもよ?」
『こう見えて、ちょっとは器用なんだから』と、ガッツポーズをするアリエス。
レース大会であれだけの事をして、ちょっとどころではない気がするけども。
「流石に……そこまでしてもらうのは……」
これだけ詰め寄られては、クロエでもそうそう突っぱねることもできないらしい。アリエスのそういった精神面での駆け引きというか、人心掌握術というか。なんだか賭け事で培ってきているようで、苦笑せざるを得ないけども。
「……ううん、また何かあれば依頼する――」
「いいのいいの、依頼だなんて堅苦しいこと。友達なんだからさ、ね?」
「――――」
「……? …………」
一通り悩んだ後に、こちらの様子を窺っていたので、観念しろと頷いておく。
アリエスのあの押しの強さを見ても、抵抗するだけ無駄って話だ。
「……分かったわ。その時は……お願い」
逃げ場の無くなったクロエも、困惑しながらも承諾して。
それからも、どんどんと畳み掛けていくアリエス。
「今日にでもさ、女子寮に遊びにこない? 私以外にも、ハナちゃんもシエットさんも、ルナちゃんもいるからさ。女の子同士で話すのも楽しいよ?」
女の園でガールズトークか……。俺とヒューゴは、とてもじゃないが参加できる気がしないな。まぁ、本人としては“表側”にも慣れていないわけじゃなさそうだし、気が向いたらでいいか。
「そ、そんなに沢山で集まって、なにするのよ……」
「それはねー。読んだ本の感想を話し合ったりとかさ、美味しいお菓子を食べたりとかさ。ぜったい楽し――」
「――お菓子っ!?」
……予想以上に食い気味な反応だった。
あぁ……あれか。思い出したのは、学生大会が終わったあとのこと。
打ち上げで余ったお菓子を差し入れたのが、どうやら効いているらしい。
「……この調子なら、上手くやれそうだな」
女子同士のコミュニケーションについては、心配する必要もなさそうだった。
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