第六十話 『なにも不思議なことはありません』

「あの“グレナカート”が……負けたんだよな……」


 学内でもトップクラスの才能、と謳われたエースの敗退。まさかの大番狂わせに、両者が退場し、次の試合の準備が始まっても会場内はどよめきに満ちていた。


「…………」


 自分を下した者が負ける、というのは少なからず衝撃を受けるということを、この時になって初めて知った。『自分も少しはやる方だ』という自惚れがどこかにあったのかもしれない。上には上がいる、そんな当たり前なことは分かっていた。


「惜しかった……と言えば嘘になるでしょう。今の勝負、基礎能力の点でリーオ君の方が一枚も二枚も上手でした」

「……今の俺たちじゃ、絶対に勝てそうにねぇぐらい凄かったよな……」


 同じ種族だからということもあってか、“グレナカート”という家を入学時から意識していたヒューゴが弱々しく呟く。そんな様子を見ながら、『いえ、必ずしもそうとは限りません』と、背もたれによっかかって短い腕を組むにはるん先輩。


「真正面から応じてしまえば厳しいでしょうが――幸いキリカのように“魔法を喰われる”ようなことはありませんからね。ま、やりようは幾らでもあります。例えば、圧倒的な量の炎で包んでしまうとか。どちらかといえば水の方が有効でしょうから、ボクならそちらを選びますが」


 先輩のその口調は、『案外、ヒューゴならば』と言っているようにもとれた。直接の殴り合いだと勝ち目はないのは、先程の試合を見ても一目瞭然である。だからといって、生半可な魔法では生成した武器で打ち消されてしまう。ならば『それすらも上回る規模の魔法ならば追いつかないのでは?』というのが先輩の案だった。


「ちなみに……魔法を発動する前に近づかれてしまった場合は?」

「…………」


 沈黙したまま、冷や汗をダラダラと流すにはるん先輩。


「……先輩?」


 どうやらその時点で負けが決まるらしい。打つ手ないんかい。


「そろそろ切り替えて。キリカの試合が始まるよ」

「――っ!」


『決っっっ勝っっっ戦っっっ!! これまで長く続いてきた大会も、泣いても笑ってもこれが最後! 勝利の女神はどちらに微笑むのか!? ここまで勝ち上がってきた二人の、入、場、ですっ!!』


『並み居る強豪たちを、持ち前の体術と自慢の魔法で次々と下していきました――きゃっ!? な、何するのっ!』

「まぁた暴走してるよ……」


 流石に決勝戦ともなると熱の入り方が違うのか、何から何までウェルミ先輩が進めるようで。ルルル先輩が読み上げる紙をひったくった音が聞こえた。


『凶悪な口で私の妖精ちゃんもあわや消化されてしまうところでした……! 魔法の副作用ですかね? いささか動きにくそうな体型になっておりますが……優勝までもを食い尽くすことができるか!? キリカ・ミーズィ!!』


 そそくさとステージ上へと上がり、肩や腕、脚のストレッチを軽くしているキリカ。ウェルミ先輩の言うように、先までの試合で魔法を食った影響なのか、ぽっちゃりというレベルではなく太っているような気がしないでもない。顔色はといえば――薄っすら上気している感じだろうか。


 ……まさか、入場口から歩いてきただけで息が上がってんじゃないよな?


「あんなんで大丈夫なのかよ……」


『強者は多くを語らない! ときに激しく、ときに穏やかに。

 状況に応じて形を変える、捉え所の無い武器さばきはまさに風!

 勝利のいただきまで上り詰めることができるか! リーオ・ガントォ!」

 

「……決勝戦ですから、キリカも出し惜しみをすることはないでしょう。なにより、優勝で得られるものが魅力的過ぎます。一つだけ注意事項があるとすれば……あんまり見てると夢に出ますよ」

「…………?」


『それでは決勝戦――試合、始め!』


「……は?」

「……え?」


 ――試合開始の合図。

 キリカの姿が消え、黒い影が奔ったかと思うと同時に、衝撃音が鳴り響いた。


「キリカちゃんが消えたぁ!?」

「まさかアイツリーオの攻撃が――」


「……いや、違う。


 既に二人は組み合っている。リーオ・ガントが双剣を生成して受け止めているのは、キリカの例のトラバサミのような口だった。キリカが元いた位置にあった石床が砕けて抉れている。……あそこから、地面を蹴って一瞬で移動したのか。


 リーオが持っていた剣を手放し、新たに生成した剣を振るうが――キリカは後ろに飛びのき、そして再び姿を消す。にはるん先輩のように姿を消す魔法を使っているわけではない。単純に移動速度が速すぎて、普通の人の目で捉えきれないだけなのだ。


 あーもう無理。これ無理なやつだ。同じ生き物として考えちゃいけないやつだ。ありえねぇ。ありえねぇよ。なんだあれ。蹴って飛び出した衝撃で地面が割れるって。漫画の世界だけかと思っていたわ。少年漫画じゃあるまいし、越えてはいけないラインってあるよな。見えなくなるほど素早く動くってなんだよ。俺でもできねぇよ。物理法則飛び越えてんじゃねえぞ。


「やっぱり、こうなりましたか……」

「……どういうことなんです? あの動き方、普通じゃない」


「どうするもなにも、あれもキリカの魔法ですよ。“食べて”、“吸収して”、“使う”。なにも不思議なことはありません。これまでの試合で得たエネルギー全部を、ここになって燃やしているに過ぎない」


 ……先輩が前の試合で『もう一段階ある』と言ったのは、そういうことか。


「普段でも、ごく僅かに使ってはいるのですけどね。流石にここまでなのは、滅多にありませんが――少しの間じっとしていてくださいよ」

「え……うわっ!?」


 にはるん先輩が魔法陣を出すと、淡い光が自分たちの目元をうっすらと覆う。


「……認知速度の範囲を押し上げましたので、観戦するには申し分ないでしょう」


 ――鮮明に見える。リーオの動きも、キリカの動きも。

 眼前で起きている出来事が、さっきよりもはっきりと。


「意味分かんねぇけど、メチャクチャ判るぜ……。この魔法……すげぇ……」

「テイルが普段見ているのも、こんな感じなの?」


「……いや、少し違う」


 自分の猫としての目のように、スローモーションに映るわけではない。目に映っている速度は変わらないはずなのに、何をしているのかがありありと見て取れる。そんな不思議な感覚だった。


 にはるん先輩の『範囲を押し上げた』の言葉の通り、自分にとっては“かろうじて”が“それなりに”に変わるような、そんな微々たる変化だったけども――アリエスたち“さっぱり見えなかった勢”からしてみれば、完全に別世界のように見えるらしい。


「こんな魔法も使えるんだ……」

「まったく、ボクを誰だと思ってるんですかね」


「試合中に使えば負け無しじゃないっすか」

「……脳が処理できても、身体がついていくことができない。あの感覚は、正直に言って苦痛で仕方ないですよ。あ、身体の強化をしても駄目なものは駄目なので。普通はそんな簡単なものじゃないんですからね」


 キリカが伸ばした拳――魔法の口を、リーオは魔法で生成した双剣で受け止めていた。あの速度で動けるキリカも以上だが、それを受け止めるリーオも十分に常軌じょうきいっしている。


「キリカの最大の幸運は、魔法と自分の能力がこれ以上ない程に噛み合っていることです。……自身のできることを理解した上で、やりたいことに全力を注いでいる者というのは、いやはや筆舌に尽くしがたい程に強い」


 食い千切られる度に、あらたな剣を生成するリーオ。失っては生み出し、失っては生み出し、その攻めの手は休まることがない。そしてその剣をいなしながら、的確に奪い取っていくキリカの動体視力、瞬発力。


 ――十? 二十? 三十?


 後出しジャンケンのようなやりとりを、この十数秒間で何度繰り返す。あそこに立っているのがキリカでなければ、その対象は何度魔法の剣による斬撃を受けているのだろう。


 そして、それはリーオの方も同様のことだった。


 よくよく観察して初めて分かるが……相手の急所を狙う時は、身体を誤って喰わないよう、意識して打撃のみに抑えている。それにしても、その一撃一撃がにはるん先輩の魔力を乗せた打撃並の威力を持っているだろうから、威力をよそにらしたりと、決してまともには受けていないのが分かる。


 リーオの剣の鋭さが抑えられているのか、それともキリカの魔法の腕が刃が通らない程硬いのか。互いに直撃を受けないよう弾きながら、なんとか避け続けていた。


(魔法の)剣と(魔法の)拳がぶつかり合う度に、魂が震える程の衝撃が、観客席にいるこちらまで伝わってくる。まるで波を起こすように、会場全体をかき回すように、歓声が次から次へと沸き起こる。


 攻撃か、それとも防御か。刹那の世界で瞬時に判断し、最善の選択肢を選んでいくその技量。この会場にいる大半の者が、どちらが優勢なのか、今どちらが攻めているのかも見えていないだろう。それでも、自身が応援している側に『勝利をもぎ取れ』と、熱の籠もったエールを送り続ける。


 ――対して、見えている者たちといえば。


「――――」


 ただただ唖然としていた。目は見開き、釘付けに。口は半開き。たまに唾をのみ込むぐらいで、言葉は一言も発せられない。まるで、目の前で起こっている出来事が壊れてしまわないように、慎重に見守っているかのようだった。


 双剣から長剣、長剣から槍、槍から根、棍から両節棍ヌンチャク、はたまた連接棍フレイルと、代わる代わる手を変え品を変え戦うリーオ。その全てを、キリカは一撃のもとに叩き壊し、噛み砕く。


 ――止まらない。手を止めた瞬間に負け、と言わんばかりに二人の動きが止まらない。まるで予め決められた動きのように、それこそ息を合わせて踊っているかのように。微塵も無駄のない、乱れの無いやりとりが続いていく。


 ……そう、自分たちは見惚れていたのだ。


 たとえ、これの延長戦が命のやりとりだったとしても。ここまで“完成された”ものがあるのだろうかと。原石とは磨かれて輝くもの、とよく聞くが――まさに美しい宝石を見たときのような、感嘆のため息が漏れ出ていた。


 いくら続いてもいい。いくら見ていても、決して飽きることはない。そんなことさえ頭に浮かび始めたあたりで――その戦いの終わりが、とうとう訪れる。


「キリカが動いたっ!?」

「隙があったか、今!?」


 大きく、それでいてすばやく一歩を踏み出し、地面へと叩きつける。ステージ上の端から端まで亀裂が奔り、大きな凹みを作ったと同時に――その踏みしめた足と共に出された肘が、リーオの身体へと食い込み宙へと浮かせた。


『――入った! 決定的な一打!』

震脚しんきゃくからの頂肘ちょうちゅう……!」


 ……だったよな? 中国の拳法でみたことがあるぞ。


 きっと名前は違うだろうけど、動きはまんま同じだし。更に今のキリカは、魔法で速度も力も常人とかけ離れた状態になっているわけで。特大の大砲をぶっ放したかのような轟音と衝撃からでも、その威力が伺い知れる。


『――あ、え!?』


 結論、リーオの身体は場外へと吹っ飛ばされた。まるで重力を無視しているかのように、真っ直ぐに、ひたすら真っ直ぐに。途中、監督役の先生達の魔法なのか、ぼんやりと現れた膜をいくつも突き破って壁に叩きつけられた。


『えっと……これは……』


「……おい。壁が凹んでるぜ」

「床もですね……」

「どんな威力してんだ……」


 あまりの衝撃に五体バラバラになるんじゃないかと冷や汗ものだったけれど、先生達が咄嗟とっさに衝撃を和らげたのが功を奏したのだろう。いや、それでも大出血を起こしていてもおかしくないと思うんだが……。鍛錬のし過ぎで身体が人一倍丈夫だったりするのだろうか。


『……け、決着ぅ! キリカ・ミーズィの鋭い一撃が、リーオ・ガントに突き刺さったぁぁぁぁぁぁ!! 両者一歩も譲らぬ戦いを制したのは、キリカ・ミーズィ!! キリカ・ミーズィです!! ――キリカ・ミーズィの優勝です!!』


 試合の状況が全く把握できず、実況として殆ど動けていなかったウェルミ先輩が、勝者であるキリカの名を連呼する。


「やったぁ!! キリカちゃん、優勝だって!」


「……やりましたか。ま、当然でしょう」

「百点満点だナ」

「――ふぅ。心臓が口から飛び出るかと思った」


 先輩ズがそれぞれ『やれやれ』と呟きながら席を立つ。閉会式が行われる前に、キリカを労いに行くらしい。


 こんなもの最初から分かっていたと恨みがましそうに呟いたのは、にはるん先輩。純粋によくやったと称賛を口にしたのは、ジード先輩。冗談めかして笑っていたのは、フィーリ先輩。


「さて、行きますか。……次回では、タミルが頑張る番ですよ」


 三者三様、それぞれが別々の反応をしていたけれども、その表情にはどれも安心の色が見えていて。どことなく、先輩後輩の信頼関係みたいなものが滲み出ていたような気がした。


『それではステージを片付けた後に閉会式がありますので! 少ししてから観客の皆様も下へと降りてくださいますよう! それでは、今大会の優勝者に今一度大きな拍手と歓声を!』


 息も絶え絶え、汗だくになりながら両手を上げたキリカに対して。

 ひときわ大きな歓声が、会場内で木霊こだましていた。

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