1-2-1 学生大会編 Ⅰ【成長】
第三十三話 『「そこまでにしておけ」と言ったはずだが』
「……ん? んんん?」
「…………」
――時はある日の昼下がり。ソファに腰掛けながら魔法の練習をしているところで、……座ったまま練習できるのっていいよな。とか呑気なことを考えていると――背後を横切ったヴァレリア先輩から怪訝な声が飛んでくる。
「テイルくん? なぁ、テイルくん。テイルくん?」
……俳句みたいに名前を呼ばれた。こんな世界にそんな雅なものがあるとは思えないし、わざとじゃないだろうけど。
「……な、なんです?」
逃げられないように首に腕を回され、恐る恐る何の用なのか尋ねてみる。
「――――」
おもむろに伸ばされた、先輩のその細い指先は――自分の右手に浮かんだ魔法陣を指していて。それはもちろん何を隠そう、にはるん先輩に教えてもらった、姿を消して幻影で囮を作り出す魔法のものである。
「その魔法、誰に教えてもらった?」
「ぎくぅッ」
なんと、『その組んでいる式の癖、お前のじゃないだろう?』と鋭いことを言い始めたのだった。いやいや、式の癖とかそんなの見ただけで分かるのかよ。
――とはいえ、誤魔化すとかえって面倒なことになりそうだし。そもそも誤魔化さないといけない理由なんて何一つないし。とりあえず、ざっくりと教えてもらった経緯をかいつまみながら説明することにした。
「えーっとですねぇ……――」
…………
「――で、私以外の先輩に教えを請うたと? いやぁ悪い子だねぇ、テイルくん。なぁ、テイルくん。そこんとこどうなんだい? えぇ? 何か私に対しての申し開きは? んー?」
「い、イダダダダダ痛い痛いっ」
依然として先輩の腕は首にかかったままで。無情にも空いた方の手が脳天をグリグリと責め立てていた。
「…………」
「た、たしかにっ! 先輩も、いろいろ教えてくれましたけど……!」
――殆ど基礎ばっかりだったじゃないかと。だからこそ、にはるん先輩からも『基礎はできている』と、お褒めの言葉を頂いたんだけども。
「……まぁ、“前に立てるリーダー”になるために、選んだ道がそうなのだとしたら、私は別に止めやしないけどな。ちゃんと使いこなせるよう頑張れ」
香がこちらにまで移りそうなぐらいに密着して。かけられたのは、責めるでもなく背中を押すような言葉。『中途半端だとかえって危険だからな』と締めて、腕から開放されたのだった。
「――使いこなせるように、か……」
授業のため教室で自分の席についたまま、魔法陣を出したり収めたり。流石にここで透明になっても、とは思う。にはるん先輩も、教えてくれたときに『基本的に奇襲の為のものなので、人前で使わない方がいい』とも言っていたし。
流石ににはるん先輩のようには行かないだろうけど……それでも大前提として、魔法を発動するまでのラグは、限りなくゼロに近づけておかなければならない。
――陣を出して。魔法を発動。どうしても必要な二
自身の魔力で陣を構築するため、わざわざ〈レント〉で魔力を通す必要もない。とはいえ複雑になればなるほど、完璧な陣を出すのが難しくなってくるわけだけど。いつでもどこでも、というのが最大の利点だろう。
「……それって、ニハル先輩に教えてもらった魔法?」
「……んん?」
声をかけられた方を見ると、キリカ・ミーズィが立っていた。同じ科で同じ授業を受けていたのにも関わらず、まともに話をしたのなんて今回が初めてかもしれない。
「――まだ、マトモに使ったことはないけどな」
「どれもすっごい複雑な魔法ばかりなんだよねー。先輩があんまり軽々使うものだから、時々勘違いしちゃうけど。やっぱり、魔法使いとしては学園一って言われてるだけあるよね」
聞けば、テイラー先生の薦めによって、同じグループである【黄金の夜明け】に所属することになったらしい。
「私は入学してから、テイラー先生に“これ”を教えて貰ったんだけど――先輩は魔法陣を見ただけで、どんな魔法か分かるんだよ」
「……ゔえ」
キリカが出した魔法陣には、まるで網目と見紛うほどに細かく式が刻まれていた。学園にきて数ヶ月――自分だって簡単な陣ならば、見るだけでだいたいどんな魔法なのか分かるようになってきたけど……こればっかりは本当に皆目見当も付かない。
キリカも『おかげでこれ以外の魔法が使えなくなっちゃったけど』と笑っていたけど、それはそれで
――そうして、ダラダラと話しを続けて。
「そろそろ始まる時間だし、私も席に戻るねー」
気がつけば、それほど練習をしていない内に時間が来てしまったらしい。キリカは一番前の列へと戻っていき、自分も先生が入ってくるのを待っていたのだけど――
「…………」
……いくら待っても先生が来ない。数分遅れるのはいつものことなので、各々が適当に時間を潰しながら待っているにしても、それでも今回は遅すぎた。様子がおかしいのではないかと、教室内がにわかにザワつき始めたところで――
「……どうした、お前ら」
――なぜか代わりに、ウィルベル先生。まるで通りがかったついでに、といった感じで。怪訝な表情を浮かべて、教室へと入ってきたのだった。
「テイラーの奴は来ないぞ? あの酔っぱらい、また問題を起こしたようでな――」
…………
――なんだかよく分からないけども。
一から十まで聞いてもなお、理解できないのだけども。
「……もう一度、言ってくれます?」
「酔った勢いで池の水を酒に変えて、そのまま全て飲み干してしまったらしい」
粗相の規模がデカすぎるだろ、この学園!
「今は学園長直々に説教中だ」
「そんな下らない理由で放ったらかしかよ……!」
先生は先生で『各々、空いた時間を好きに過ごせ』と言い残してさっさと帰っていってしまう。とはいえ、選択肢なんてそんなに用意されているわけでもなく。帰りたい奴はそのまま教室を出ていったし、中には残って自習を始める生徒もいた。
けれども――どこにも問題児というやつは、必ず存在するらしい。
「や、やめてよ……!」
本来授業が終わる時間の五分前、突然教室の後ろの方で引きつるように声が上がった。名前はハルシュ……ハルシュ・クロロだったはず。彼に絡んでいたのは――ヴァルター・エヴァンス。態度のデカい、自分が嫌いなタイプの奴だった。
「この間よぉ、授業で言ってたじゃん。魔法陣に流す魔力の量を調整できずに、全部注ぎ込んで気絶するってやつ。少し試してみようぜ? ちょうどいい魔法を知ってんだよ」
右手でハルシュの手首を掴んだまま、机の上にあった魔法陣の上に左手を乗せるヴァルター。……ハルシュの起動していた魔法陣なのだから、あのままでは発動できないはず。それなのに――
「まぁ、最初っから全開にするとつまらねぇからさ。まずはこんぐらいで――〈ブラス〉!」
「…………!?」
魔法陣からはバチバチと雷撃が迸っては消えていく。……陣の支配権を奪った? いや、それだと依然だして怯えた状態の、疲労の色を見せているハルシュに……。
…………? もしかして、ハルシュの魔力を使って発動させているのか?
「ちょ、ちょっと! 先生がいないからって――」
「……あぁ?」
「キャッ!」
魔法陣から迸っていた雷撃が、キリカの目前で弾ける。怪我は無かったものの、驚いて飛び退いた際に机で背中を打ちつけたようで、痛みに顔をしかめていた。
「……あんまり周りが煩いからよ、一気に全開まで行ってみるか」
がりがりと魔法陣に式を描き加えていく手は止まらない。……このままいくと、絶対にマズい。
自分も一度味わったことのある、あの強烈な虚脱感。そのままぶっ倒れてしまって、少なくとも数時間は身動きも取れなくなってしまう。
「……そこまでにしとけ」
グレナカートが静かに言うも、聞く耳をもつ気配がない。
「やってみないとわからない時は、まずは手短な道具で試すのが一番だろ? お坊ちゃまの言うことなんざ知ったことかよ!」
――――っ!
「――おい、いい加減にしろよ」
気が付いたら飛びだしていた。後ろに回り込み、ナイフは鞘に納めたまま首筋に当てて。前世の記憶か、今の記憶か。どちらにせよヴァルターの発言が、堪らなく
ようやく魔法陣からの迸りが止み、静寂とともに訪れた空気のひりつきを肌で感じ取る。
「テメェ……テイル・ブロンクスだったよな? いつからそこに居たのかは知らねぇけどよ……そいつぁ、俺に喧嘩売ってるってことでいいのか?」
ヴァルターのその目には、矛を収める気などさらさら無く。
やるか――と意識を集中させたその矢先。グレナカートが席を立った姿が、視界の端に一瞬見えた。見えた。――次には剣を抜いており、抜身の刃がヴァルターのすぐ目の前で寸止めされていた。その風圧に思わず目を
「『そこまでにしておけ』と言ったはずだが、聞こえなかったか?」
「――お前らぁ、授業が終わってんのにいつまでも教室にいるんじゃねぇ」
突然、割り込んだ大人の声。教室の入り口に立っていたのは、テイラー先生その人である。片手の酒瓶を煽りながら――って、アンタさっきまで酒飲んで怒られてたんじゃないのか。
「池の水を飲み干して問題になった人だっ!!」
「酒をそのままにしておくのか? その方が問題だろうが。違うか!?」
キリカに変なキレ方をしながら、すたすたと教壇へ上がる。
「で、だ。血気盛んなのは別に構わないけどな。授業の邪魔にならないところでやってくれ。そのために学内大会だなんて行事もあるんだからよ」
「……学内大会?」
その響きで大体察ったけど、ようは一対一の力比べのようなもので。その内容は四つの科からの希望者によるトーナメント戦。あくまでエキシビジョン、実力を見せ合うことを目的としているため、学年分けは無しだというから耳を疑った。
……ヴァレリア先輩、トト先輩、ニハル先輩――知っている先輩たちだけでも、全く敵う気がしないのに。
「一番成績が良かった奴が正義でいいじゃねぇか。ただし、この件に関してだけな」
「わ、私! 絶対に参加します!」
話によると優勝賞品も出るらしく、優勝なんて夢のまた夢。学年問わずで殆ど運のようなもの。それでヴァルターよりも上まで勝ち上がれって、この上なく公平性に欠けているような気がするんだが。
「……だとしても」
“この件に関してだけ”っつっても、はいそうですかと適当にやるわけにはいかない。……新しく得た魔法を試すには絶好の機会。全体的な底上げもしているし、あくまで切り札としてのものだけど。
どこまで行けるか――試してみたいというのが、本音だった。
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