第三十二話 『なかなか良い先輩の下に付いているようですね』
「ん、んー。基礎はちゃんとできているようですね」
試しにひとつと、にはるん先輩に渡された魔法紙。描かれているのは、もちろん先輩の使っていた魔法の陣で。〈レント〉で魔力を流してみせたところで、悪くないとの評価を頂いていた。
「最初のころ、うちの先輩に“それだけ”をやらされましたから……」
それはもう、みっちりと。自分から教えを請いに行ったのだから、文句を言える立場ではないのだけれど――それにしても、地味な反復作業を延々とやらされるのは、苦行以外の何物でもなかった。
「いえいえ、大切なことですとも。何事も土台が整っていなければ発展させることはできません。この仕上がり様を見れば、それをしっかりと分かってるようで」
あれから授業も結構出たけど、そんなこと一言も言われてねぇぞ。あの先生、『生徒の学習度合いを観察~』とか言ってたくせに、全然仕事してねぇじゃねぇか。
「――
つぶらな瞳を細める、という器用なことをするにはるん先輩だけども……こちらとしては、その言葉に疑問符しか浮かばない。……良い先輩なのか?
ぼんやりと想像してみただけでも、怪しいお香をスーハーしてたり、ソファで横になって寝ていたり、半分寝ぼけた状態でグループ室にいる時の姿しか浮かんでこない。
――黄昏の中で、にやにやと笑いながら。
こちらを眺めて、そして
ヴァレリア・フェリウス先輩。
……まともに覚醒しているときなんて、一割もないんじゃなかろうか。ときどきカッコいい所もあるけれど、今回のように自分達を遠くから助けてはくれたけれど――やはり良い先輩とは言い難かった。
「ま、説明を記した紙も渡しておきますので、あとは反復練習ですよ。それともう一つ、こっちもお見せしておきましょう。ほいっと」
言うなり近くの壁を、手で持っていた杖でつつく先輩。
「っ!?」
カツンともコツンとも音はせず、物凄く鈍く重い音を立てて壁が凹んだため、前を歩いていた何人かが驚いてこちらを振り返る。
「なになにっ!? なんの音っ!?」
「新しい敵か!?」
「あぁお気になさらず。ちょっと実演中でして」
「せめて一言言ってからにしなよー。クソウサギー」
――容赦ねぇな、この人。
……フィー先輩からの罵声も飛んでいて。ぱっちりと開いた目といい、全開になっている額といい。とにかく明るい人だなとは思っていたけど、大事な部分まで突き抜けていた。
「このボクにそんな暴言を吐けるのは貴女ぐらいですよっ!!」
――憤りにピョンピョンと飛び跳ねて。気を取り直して、咳払い一つ。
「……オホンッ! いくら透明になって近づいたところで、相手に一撃入れなければ意味がありません。そこでこれです」
先輩が杖で再び壁を小突く。今度は固く、軽い音が鳴るのみだった。それでも、先輩が目の前でゆらゆらと揺らす杖の先が淡い光を伴っていて。
「魔法を撃っても効果的ですが、近接攻撃の方がそれだけ直前の対処が難しい。師匠に教えてもらったこれは、『打撃に魔力を乗せて相手に流し込むようにする』ってだけの基礎の応用なんですけども。すぐれた頭脳の反面、ボクは技術面についてはてんで下手くそなので、こっちの方が習得するのに苦労しました」
壁の凹みに沿うように、杖でぐるりとなぞっていく。
「――ただ、ボクがこれを全力で人に撃てば、身体がはじけ飛びます」
「…………」
……他のどんな魔法よりもエゲツないじゃねぇか。想像するのを
「まぁ、冗談ですけども」
「笑えない冗談だなおい!!」
とはいえ、これについては似たようなものを、昔――“前世”で聞いたことがあるような。
“気”だとか、
「――ふっ!」
……にはるん先輩の真似をして、魔力を通すことを意識しながら壁を叩いてみるも、ペチンと音がしただけだったけども。
「……こっちも要練習ですねぇ」
右へ左へと薄暗い中を進んでいくと、自分たちが降りた時に見たような、整備されたエリアに辿り着いた。その端では、ずっとそこで自分たちが来るのを待っていたのであろう、キリカ・ミーズィがいて――
「みんなー! こっちこっち! ここから上に出れそう!」
こちらの姿を見るなり、遠くで手を振りながら飛び跳ねる。
その足元には地上へと上がるリフトが広がっており、自分たちが乗ってもスペースの余りあるほど。……リフトにしては広すぎるとは思ったけど、恐らくイクス・マギアを搬出するためのものなのだろう。
「はぁ……いい運動になりました……はぁ……!」
はぁはぁ言っているのは、今の今まで本当に走っていたからだろうか。ただ飛び跳ねただけで、ここまで疲れることもないだろうし。……わりとこの状況では不審極まりないため、なんとも難儀な副作用だと思わざるを得ない。
「これまたゴチャゴチャとしてんだな……」
「うわぁ……!!“ロアー”じゃない、これ!?」
隅にはコンテナなども載せられており、打ち捨てられた
「“ロアー”?」
全体的に流線型のフォルムをもった、前後に引き伸ばされたボディ。前方には魔力を通すために設置されたパネルが、ちょうど左右の両手を置ける部分に二箇所。下部には前部後部と大きな球が一つずつ。
とても広い目でみれば、ボロボロの大型バイク……のようにも見えるけど。アリエスが跨った形を見るに、やはり乗り物の一種らしい。
「魔力を流し込めば浮くんだけど――」
「飛ぶのか!? これが!?」
優に二百キロを越えていそうな車体でも、浮かすことができるらしい。魔法に重さは関係ないのだろうか。……とはいっても、魔力を通しても反応がないようで。
「……流石に壊れてるよね」
「学園に戻りゃあ直せるダロ」
「飛んでるところ、私も見てみたいです!」
学園に戻れば部品はともかく設備はあると、ジード先輩が提案したため、
……このデカイのをどうすんだ?
「まさか学園まで押して帰るのか?」
「そんなわけないでしょ。まぁ、見てて」
言うなり、アリエスが手をあて魔力を流すと――トト先輩のゴゥレムのように、
魂使魔法によるものは立方体だったけども、機石魔法によるものは球体になるらしい。しかも、故障しているからこの大きさだが、これよりも更に小さくなるとか。
「それじゃあ、準備はいい? それでは上がります!」
「このまま外まで一直線ですねぇ」
音もなく、振動もなく。空がどんどんと近づいてくる。どうにも降りてきた時よりも時間がかかると思っていたら、にはるん先輩から、恐らく崖の上へと出るのだろうと説明された。
――そうして外へと出たのは数分後のこと。人工の、淡い白光を上書きしていくように。強烈な夕焼けが差し込み、自分たちを橙に染め上げていく。
「やーっと出れたぁ……!」
「みんなへとへとです……」
たった数時間の探索だった筈なのに――
最後に日光を浴びたのが、数日前のことだったんじゃないかと。そう思えるぐらいに濃い時間を、自分たちはなんとか乗り切ることができたのだった。
――あの忘れられない死闘から、数日後のグループ室。
「みんなからの熱いご支援を期待してます! 期待してまぁす!」
いつものように先輩はお香でハイになってるし、ヒューゴやハナさんは妖精とお話中。そんな中、アリエスが再び
……これが【知識の樹】の平常運転なのかと思うと、少し悲しくなってくるな。
「お前……こないだの依頼で、十分すぎるぐらい貰っただろうが」
「持って帰ったロアーの修理が、予想以上にお金がかかってねー」
一番重要な部分である機石はそのまま回収できたが、車体などを構成する部品や、各部位で動作する補助の機石については、新しく用意しなければならないらしい。
なにせ、一から作ろうとすると多大な資源と労力が必要で。その上、今では保存状態の良い物は、現存するものが限られているようで――
『あのぅ……学園長先生? 資料の他にも、壊れたロアーを持って帰ったんですけど……』
『あぁ、そちらについては好きにしてよろしいですよ。アリエス、貴方が有効活用した方が、そのロアーも喜ぶでしょう』
『ホントに!? やったぁ!!』
――というのが、依頼から帰った直後の話。
アリエスも流石に依頼で向かった以上、ネコババするのも気が引けたのか、キチンと伝えたのも驚いたけど――それよりも、そんなに貴重なものを簡単に渡していいものなのだろうか。
結局、掃除用
「……それに、なんだかさ――」
懐から取り出した硬貨入れを、胸元でギュッと握りしめて。
思うところがあるかのように、アリエスがぽつりと呟いた。
「“みんなのお金で”、勝ちたい気分なんだよね」
「――――」
その言葉に、ヒューゴもハナさんもぴたりと動きを止める。そして腕組みしている自分よりも先に動いたのは、ハナさんだった。
「もう、仕方ないですねぇ」
ごそりごそりと荷物を漁って。その中から取り出された銀貨が数枚。仕方がないので、テーブルの上のそれに、自分も同じぐらいの銀貨を乗せてやる。
「……無理な勝負はするなよ」
「俺は倍かけてやるぜっ! ドンと勝ってこいよ!」
最後にヒューゴから上乗せされたお金を懐に入れて。『まかせといて!』と意気揚々と部屋を飛び出すアリエス。
――今までの日常が、少しだけ色を変えたような気がした。
アリエスが帰ってきたのは、それから二、三時間ほど後のことで。
「あ、おかえりなさい。アリエスさん」
「どうだったよ。俺たちの絆の力! 見せつけてやったんだろ!?」
……なんだか、この段階で嫌な予感がするんだが。
なんで駆け寄ってくる二人に対して目を逸らす? おい、そのゆっくりと上げられた両手は何だ!? お手上げ? お手上げって意味なのか!?
「……負けちゃった」
苦笑いで許されると思ってんのかオイ!!
「お前ぇ!!」
口八丁手八丁。たこっぱちならぬヤケッパチ。
いくら脚が八本ある兵器を倒した実績があるとしても。
いくら想いを重ねたとしても。
必ず勝てる保証はないのが賭け事であると。
やっぱりギャンブラーなんて生き物は、手放しで信用してはならないのだと。
――今回の件で、そう肝に銘じたのだった。
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