第十八話 『ようこそ、パンドラ・ガーデンの‟裏側”へ』

「あー!! いま嫌そうな顔したぁ!!」


 いま嫌そうな顔をした、というか現在進行形で嫌そうな顔をしてんだけどな。人目の付かないところで、危うく襲われかけてんだから。


 薄暗い中に浮かぶ、安定の金髪黒ドレス。――人気の無い、物置部屋に続く廊下に一人、紙袋を抱えて。半吸血鬼ハーフヴァンパイアの《特待生》であるクロエは、こちらへと歩いてくる。


「あれ? なんだか少しおっきくなってない?」

「……ふん」


 前回あれこれ言われたのが気にくわなかったのか、人目の付く場所ではいつもこうしているのか、見た目が少しだけ成長していて。今は実年齢相応の中学生サイズになっていた。


 ……たしかに、学園の中を歩くならこれぐらいが一番馴染み易いか。


「なんでこんなところに?」

「……たまには食堂の料理が食べたくなることもあるのよ」


 クロエが手に持つ紙袋から漂う香り。こいつは間違いない、今日の献立にあったサックサクのバターパンだ。あれだけ濃厚な味をしているのに、じっとり脂っこくないだなんて神の御業だと、驚愕に顎が外れかけたのは数時間前のこと。


「食堂で食えばいいじゃねぇか」

「倉庫飯か……」


「違うわァ!」


 怒りに声を荒げ、ドスドスと乱暴に踏み鳴らしながら、入口に立っていた自分の目の前にまでやってくる。……この先には埃っぽい物置部屋しかないのだけれど、それでも中に用があるようだった。身を引いて入り口を開けてやると、鼻息荒くしたまま中へと入っていく。


「……?」


 ――そのまま、迷うことなく鏡の方へと歩いて。


「ちょっと。そこに立ってると邪魔なんだけど?」

「ご、ごめんね……」


 いや、謝る必要ないんだぞハナさん! なんも悪い事してないだろ!


 小さいナリをしているくせに、態度だけはデカい。誰彼構わず高圧的な態度を取るクロエは、身体を縮こませながらおずおずと離れるハナさんに構わず、プリプリと怒ったような口調で呟く。

 

「ったく……入口の前に立たないよね」

「……入口? 鏡が?」


 もう一度よく見るも、壁に直接取りつけられている大きな姿見、ということ以外に、なんらおかしな部分はあるように思えない。


 鏡からは魔法の反応は無かったし。……もしかして、よっぽど高度な魔法によって隠蔽いんぺいされていたとか? やっぱり転移魔法でどこかに移動するための入り口だったのか?


「……持ってて」

「お、おう……」


 あごでこちらに指図して(それでわざわざ受け取りにいく自分も自分だけど)。荷物をこちらに押し付け、両手を空けたクロエは鏡に近づいていき――


「よい……しょっと」


 大きなその姿見の、額縁と鏡面の間に指をねじ込み、掛け声と共に横に滑らせた。……横に滑らせた!?


「……物理っ!!」

「あらら……魔法探知が効かないわけだね……」


 ‟ついたて”のように二つの空間を仕切っていただけで、その奥にはまた別の部屋が広がっていた。


 ――なんて古典的。なんて初歩的。そもそも魔法なんてかかってないのだから、反応するわけがない。魔法学園だからといって、不思議なことが魔法に関係あると思ったら大間違いだった。


 自分たちが呆然としているなかで、クロエが額縁に足をかけて


「何ぼーっとしてんの。入るの? 入らないの? 元に戻さないといけないんだから早くしてよ!」


 そうして、全員が鏡の向こう側へと入ったのを確認して、再び鏡を元の位置に戻して入り口を塞ぐ。やれやれと言わんばかりの表情で――歓迎の言葉を口にしたのだった。


「はぁ……。ようこそ、パンドラ・ガーデンの‟裏側”へ」






 少し薄暗いぐらいの照明、無機質な石造りの壁や床。鏡の奥にあった新たな空間は、学園の‟表側”と大して変わらない。


 ‟裏側”と言っていたから、もっとこう……スラム街的なモノを想像してしまっていたけど――そこは学園の一部なのだし、そんな突拍子もないような場所があるわけもないか。


「……いいのかよ」

「いちいち‟あの部屋”に来られても困るし」


 聞けばこのあたりが《特待生》の寮となっているようで。言われてみればどこか生活感があるような気がしないでもない。……今度からはこっちに来いってことか? 毎回鏡を通って?


「ヴァレリア先輩もここで生活してんのか?」

「いや、先輩はあのグループ室で寝泊まりしてるらしいぞ」


「ヴァレリア?」

「名前は知らないんだっけ? 同じ《特待生》なのに」


 自分はあんだけ大仰に名乗り口上を述べておいて、人の名前は覚えてないのはどうなんだろうか。なんだったっけ、‟百騎兵団”とかなんとか。


「……別に《特待生》の全員と面識があるわけじゃないし」


 そう言って唇を尖らせるクロエ。


「誰とも話すのが嫌だから、寮から一歩も出ない生徒もいたらしいわ。もっとも、そうせざるを得なかった、というのが正しいのでしょうけど。人数が少ない上に、過去が過去だから」

「過去……」


 他者との繋がりを持てなかった者、拒む者、そうせざるを得なかった者。その中でも、“特別な力”を持っていたおかげで学園長に救い上げられた生徒。


 何人いるのかは分からないけれど、ここで生活している奴等の全員が、このクロエや先輩と同じような生い立ちをしていて、尚且つ‟何かが根本的に違う”。


「結局ここはどういう場所なの? クロエちゃん」

「……ちゃん付けは止めて。どういう場所って、そのまんまでしょう。パンドラ・ガーデンの裏側。学園であることには変わりはないわ。まぁ、《特待生》だから? 望めば個別で授業を受けられるし、学費は無料タダ


無料タダ……!!」


 ちくしょう! なんて甘美な響きなんだっ……!


「元々の素質をそのままにするか、それとも伸ばすか。後者は殆どゼロに等しいけどね。学園というより、家として考えている子もいるんじゃないかしら」


 ……だから先輩も『やぁやぁ我が家へようこそ! ささ、ゆっくり寛いでいってね!』みたいな雰囲気なのだろうか。というよりも、寛いでいるの範疇を本人が大きく逸脱してんだけど。


「……これ! 貰ってきたから、みんなで食べて!」


 そうして歩き続けて辿りついたのは、長机と椅子が並べられている大部屋で。言うなれば、簡素な食堂のようになっていた。


 だけれども、やはり‟裏側”なのか、閑散としていて。人はいたものの、奥の方に一人だけ、まるでゴゥレムのような大男がちょこんと座っているだけ。


 ……なぜか棺桶を背負って。


「……お前より吸血鬼っぽいのがいるな」

「どこがよ! 片方はトロールのハーフで、もう片方が人間よ」


「もう片方?」

「……棺桶の中身の方ね」


 中身がおるんかい。なんだか向こうは向こうで、こちらに気が付いて手を振ってるし。ハナさんなんて、手を振り返してるし。


「なん――」


 なんで、と聞こうとしたアリエスが、言葉の途中で口を噤む。さっきクロエが言っていたことを思い出したのだ。『そうせざるを得なかった』と。


「……さぁ、これ以上長居してもらっても困るわ。知りたいことは十分に知ったでしょう? 入口まで送るから帰ってちょうだい」






「あーあ、これだけ人目に付かないようにしている所なら、他の七不思議も見つかりそうだったのにな」


 ――物置部屋へと戻る道中で、残念そうにヒューゴが言うけれども、こっち側を探索するなんて命がいくつあっても足りないような気がする。


 ……クロエの『邪険な態度でアンタを扱うことはないと思う』という言葉を信じるならば、まだできないこともないだろうけど。


「‟未知倉庫”だっけ。学園長の蒐集物が集められてるっていう倉庫」


 自分もこれだけ噂になっているのだったら、一度ぐらいは拝んでみたいものだけど、クロエの口から出たのは呆気ない事実だった。


「生憎と私も長いことこの学園にいるけど、そんなもの見たことないわ」


 それがどれぐらい長いことなのか。学園の‟表側”すら全貌を掴めていないのに、このクロエが‟裏側”のどこまでを知っているのか。疑問はいくらでもあるが、自分たちなんてそれ以下なわけで。


「えぇ……」

「そんなぁ……」


「…………」


 落胆の声を上げるヒューゴとアリエスを横目に、クロエの口から洩れた『……案外、身近な場所にあったりするのかもね』という呟きを、自分は聞き逃すことはなかった。


「……それじゃあ、この入口のことは言わないでよ。あんた達だからそのまま入ったけど、他の奴だったら回り道して別の場所に行ってたんだから」

「へぇ、他にも入口があるんだ」


 ……まぁ、これだけ広い学園だし。もしかしたら、この学園にある鏡という鏡が入口になってるのかもしれないな。……かといって、フラフラと立ち寄ろうという気にもなかなかなれないけど。


「なっ……! ゆ、誘導尋問禁止!」


 しまったと言わんばかりに焦りながら、ビシリとアリエスを指さすクロエ。こういったところで、素が出るというか、いちいちやることが幼い。


「そっちが勝手に喋ったんじゃねぇか」

「~~~~!!」


 顔が真っ赤になるのは本日二度目だろうか。声にならない声を上げたあと、少し息切れしながらも啖呵を切り始めて。傍から見れば、寄ってたかってからかっているようにしか見えないだろう。……いや、実際にそんな感じなんだけど。


「分かってんの? 私たち《特待生》は目立ったところで得なんてないから、こうして引っ込んでるだけなんだから! その気になれば――」


「先輩に完膚かんぷなきまでに叩き潰されてなかったか」

「あの時の勝負だって、こっちが勝ってたんだしねぇ」


「あ、あの時は本気じゃなかっただけだし!!」

「あらあら」


 ハナさんでさえ、この状況に小さく笑うばかりで。そんなこともあり、入ってきた鏡の前につくなり、『はいもう出口だから、ばいばい! じゃあね、早く帰りなさいよ!』と早口にまくしたてるクロエ。


 自分たちを外へとぐいぐい押し出して。『べー!』と舌まで出して。割れるんじゃないかというぐらいの勢いで、鏡を締める様子を見てアリエスが楽しそうに笑っていた。


「騒がしかったけど、やっぱり可愛いねぇ。クロエちゃん」

「“鏡界線の影法師”も解決……でいいのでしょうか」

「そんじゃ、報告しに戻ろうぜ!」






「やぁ、おかえり。今回は上手くいったかな?」

「上手くいったかと言われれば……」


 結局のところ、‟鏡界線の影法師”の真相をまとめると――《特待生》の一人が入口である鏡を直し忘れ、気が付いて直そうとしたところで一般の生徒に姿を見られてしまった、というだけのことだった。


「どうする? あの入口のこと」

「クロエは黙っててくれって言ってたけど……」


 先輩たちには聞こえないように、小声でアリエスと会話する。依頼を達成したというのは、あくまでこちらから見てということで。先輩たちが依頼主である以上は、得た情報を話す必要がある。


 今回の件では、調査の目的だった鏡自体が“裏側”への入り口となっているために、どうしても隠しきれない部分になってしまう。


「入口? クロエ? 黙っててくれって、《特待生》の友達?」

「――っ!?」


 いつの間にか腕組みしていたルルル先輩が、まるで心を読んだかのように、ずばりと話の内容を言い当ててきた。


「聞こえてたんですか!?」


「いいや、唇の動きから」

「読唇術ぅ!?」


「こっちも魔法ですらないのかよ……!」


 ――結局、先輩の巧みな話術によって、あれよあれよと聞き出されて。【真実の羽根】のルルル先輩だからこそ、どこかでうっかり漏らしたりってのは無いとは思うけど。


「へぇ……ツェリテアの……」


 ツェリテアという名前について覚えがあるのか、興味津々になってはいたけれど。どちらにせよ《特待生》の話題であるおかげで、さも扱いにくいと苦笑いしていた。


「そっちも別件で取材とかしたいけど――やっぱり《特待生》だしなぁ」

「なんだか、殆どが《特待生》絡みな気がするんだけど……」


「いやいや、まだ残っている七不思議は山ほどあるんだし! これからもよろしく頼みます! ほんとお願い!」


 ……山ほど。本当に山ほど積み重なった紙の束に、もはや感動すら覚える。もしかして、この学園生活中には消化できないんじゃないだろうか。


「学園のいろんな場所で、不思議なことが起きているんですのね」

「またゴゥレムと戦ったりできねぇかなぁ!」


 ――それでも、自分の学費に繋がる大事な依頼なわけで。


「んー、いいなぁー!」


 次はこれだ、次はあれだと今後の予定を立てていく自分達を眺めながら。ルルル先輩が楽しさに身体を震わせていた。


「後輩がいるのって! こうやってさ、和気藹々わきあいあいとしたり、先輩風吹かせたりするのって一種の憧れがあるよね」


「そんなに喜んでもらえるなら……」

「別に断る理由もないしなぁ」


『そんな後輩の学費の為に! 先輩奮発しちゃうね!』と言いながら、ウキウキと報酬を差しだすルルル先輩。


 ……あれ? 先輩に学費のこと言ったっけ?


「……なんで知ってるんですか?」

「そりゃあ……ねぇ?」


 ルルル先輩が視線を向けた先では――案の定と言うべきか。

 黄色いクマのヌイグルミが手を振っていた。

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