幕間 ~午後:遅れて来た二人~
『殺めた』というハナさんの表現に、私の心臓が跳ねるのを感じた。
それは先程までの、自分の心の痛みを――知っていると言わんばかりの発言だったから。明確に、完全に。彼女は“こちら側”であると語っていた。
「この事を誰かに話すのは初めてです。……この場にはテイルさんもいます。でも、お二人なら……。ショックを受けずに聞いてもらえると思っていますから」
重々しく、そして悲痛な声音。
きっとそれは、ハナさんにとって嫌な記憶なんだと思う。
それでも、ここで話すのは――私に伝えたいことがあるから?
「
「…………」
本当ならば、顔を出して正面から受け止めるべきなのだけれど……。
ごめんなさい。どうしても身体を動かそうという気になれなかった。
「アリエスさんもヒューゴさんも、きっと最後まで聞いてくれるのだと思っています。それぐらい信頼できる仲間が私にもできたんです。……けど、まだ怖い。万が一、ひょっとして。もしかしたら、私が勝手にそう思っているだけで。本当のことを伝えると、嫌われてしまうんじゃないかって。怖がられてしまうんじゃないかって、そういう考えばかり浮かんでしまうんです」
だから同じ者どうしで吐き出せる機会があったのも理由の一つだと。ハナさんは力なく笑っていた。
それは恐怖との戦い。誰にだってあるものなのだと、彼女は言う。
私だって少なからず、同じことを考えていたのは間違いない。テイルさんやハナさんたちの目の前で、一人のヒトの命を奪った。
それは正当防衛であって、私がやらなければ他のヒトが犠牲になると分かっていても、後悔の念に
「――両親は魔物に襲われて亡くし、私は小さい頃から一人で暮らしていました。村の中ではなく、村の傍にある森の中。小屋で一人暮らしです。本来なら年齢が十になったばかりの子供が、森で一人だなんて自殺行為でしょうけど……。その頃から妖精さんに助けてもらいながら生活していましたから」
……あぁ、ハナさんも“そう”だった。
「私にはそれが普通のことだったんです。村に溶け込むという選択肢はありませんでした。魔法について詳しくない村の人たちは、私のことを怖がっていましたから」
周りと違うことで、迫害を受けて。
妖精はいれども、誰かを頼ることもできずに。
私よりも深い孤独の中で、ずっと暮らし続けていたのだろう。
「……野菜や薬草を作るだけの知識は、妖精さんに教えてもらったので困ることは無かったのですけれども……。私のことを……嫌っていたヒトは少なからずいて、そのヒトたちが森に火を点けて……」
話が進むにつれ、ところどころで言葉に詰まる。
「ハナさん……これ以上は、無理しないで……」
思わず声をかけてしまい、扉の向こうでハナさんがはっと息を呑んだ。
「……大丈夫です。ありがとうございます」
なんて優しい声なんだろう。人に危害を加えるなんて――そんなこととは程遠い存在に思えた彼女でさえ、暗い過去を抱えていた。彼女にさえ、“そういうこと”が降り掛かってくるのが、この世界の厳しさだった。
「殺めてしまったのは、その時でした。妖精さんたちが急に言うことを聞いてくれなくなって――……決して、私から危害を加えるつもりはなかったんです。……言い訳がましいですよね、こんな言い方」
詳しい内容は語られなかった。真実を知るのはこの場ではハナさんのみ。彼女が『事故だった』と言えば、そうなるのに。自分の持っている力が起こした結末なのだと、受け止めた結果が今の告白なんだろう。
「けれど、私の力でヒトを殺めてしまったのは事実。村の人たちからは疎まれ、恐れられ……私は逃げるように森の奥深くに飛び込んでいきました。そこで数年過ごして、魔法学園への入学を勧められて。……私はもう二度と、その村に帰ることはできません」
この世には、二度と取り戻せないものがあるのだと、ハナさんは言う。
生まれた場所を捨てるということは、とても悲しいことなのだと。
このままでは、私もそうなってしまうと心配してくれたらしい。
「この村の人たちが、怯えた目でアリューゼさんを見ていたのは分かりました。ですが、まだ完全に、駆逐すべき対象としては見てはいません。……私はその目を知っていますから、間違いないです」
直接に何かをされた、ということは今までなかった。というのも、神父様が村の人たちに注意してくれていたからだった。……少なくとも、私は守られていた。
「――本当に怖い。人の悪意が怖い。敵意が怖いんです。周りのみんなが敵になって。私をどうにかしようとして。私がどうにかしてしまうのが怖い。アリューゼさんは優しい人です。私と同じ道を辿って欲しくはないんです」
自分の身に危険が降り掛かった時、妖精の力を制御できないから。
だから人の敵意が怖いんですと、震える声で話していた。
――ここまでが、ハナさんの伝えたかったことだったらしい。最後に『聞いてくださってありがとうございます』と扉越しに言われ、このまま去らせるわけにはいかないと、自分も返事をした。
「……もちろんです。どんなことをされても、私が育った村の人たちです。酷いことを言われて、悲しい気持ちになったことはありますけど……。だからといって、恨むようなことはありません」
そうだ。私はグロッグラーンのシスターなのだから。
この剣が住民に向くことなんて、あってはならないし絶対に無い。
「……明日。明日なら、きっと顔を合わせることができると思います」
「――よかった……! それじゃあ、また明日来ますね!」
最後に、『ありがとう』と互いに言葉を交わして。
ドアにもたれながら、聞こえなくなっていく足音に耳を傾けていた。
お昼にハナさんが来てくれて、ずいぶんと気が楽になった気がした。夜まで溜まっていた家事を済ませ、久々にまともな食事をして、幾分か活力を取り戻せたような。
「もうすっかり夜じゃない」
「村を出た時には日が落ち始めていたってのに、馬鹿じゃないの」
「……誰?」
突然に聞き慣れない声がしたのは、そんな日の夜のこと――
「もっと早く済む予定だったのに、がっかりね」
「三遍死ね!」
どちらも女の人の声だった。若い女の子が二人組でこんな所に?
「もしもし? 誰か住んでるかしら」
その足音が少しずつこちらへと近づいてきて、扉を軽くノックしてきた。
……どうしよう。出て相手をした方がいいのかな。
声の感じからして、村を襲いに来た野盗のようには思えないけど。
「……私が空から確認した方が早いわ」
「そうねぇ、テイル君たちはもう着いてるだろうし。暗くても分かるでしょ」
「……テイルさん?」
彼女たちの口から出たのは、私と仲良くしてくれた男の子の名前だった。テイルさんの知り合い……彼女も依頼で来た旅の人なんだろうか。
ただでさえ、神父様が傷つかれて大騒ぎになったのだ。もし住民の誰かが、彼女たちの姿を見たら――今度はハナさんやテイルさん達に批難の目が向けられてしまう。
「あ、あの――」
扉を少しだけ開けて、様子を
一人は大きな鳥(?)に乗って今にも空へと飛び上がりそうで。
もう一人は扉の前にいたせいで、目が合ってしまった。
「……あら、いるじゃない。可愛い子が」
「テイルさんの……お知り合いの方ですか?」
「おやまぁ。数日しかいない筈なのに、名前まで憶えられて……」
「あの、この村の問題を解決して頂いたので……」
なんだかあらぬ誤解を受けそうなので、反論しておく。
同年代、というよりは保護者のような余裕が、そこはかとなく滲み出ていた。
「あら、そう。自己紹介がまだだったわね、私はココ・ヴェルデ。あっちは私の孫のトト。私たち、この村の教会から依頼を受けて魔法学園から来たの」
依頼。魔法学園。確かに始めて出会った時に、魔法を使っていたっけ。
そうか……ハナさんも、他の生徒に混ざって学園に通ってるんだ。
「問題がもう解決しちゃったなら急ぐ必要もないわね。中に入れてもらえるかしら? ――トト、戻ってきなさい!」
「えっと……お孫さん? お二人ともそっくりですけど――」
近くに並ぶとはっきりと分かる。同じぐらいの身長、緑色の癖っ毛。孫と言ったのが自分の聞き間違えじゃないか、と思うぐらいに二人は似ていた。
姉妹――いや、双子と言っても信じたと思う。けれど……。
「どこがよっ!」
「っ!?」
……トトさんはそれが気に入らないようだった。
「ご、ごめんなさい……」
「そんなに噛みつかないの、行儀が悪いわね」
ココさんに注意されて、『フン』と不機嫌そうに下がるトトさん。
悪い人には見えないんだけども、気難しいところがあるらしい。
どうぞ入ってください、と家へと案内したのだけれど――
「あら、あなたのその羽根……」
「――っ!? な、な、なにを……!?」
ココさんの方が、いつの間にか身体と身体が触れるほどに近づいていて。
油断していた私は、ひらりとケープを
「黒い……羽根?」
「あ、あの……私、
「ふぅーん? これは興味深いわね」
諦めてケープを脱ぐと、じろじろと観察するように翼の隅々まで見られる。
村の住人達とは違う。警戒というよりも、好奇の目だった。これまでのヒトとは全く違って、ぐいぐいとこちらに距離を詰めてくる。悪意が感じられないだけに、戸惑ってしまう。
「へぇ、初めて見たわ。背中に翼の生えているヒトなんて」
「……私は教会で一度か二度くらいね。といっても、黒い翼なんてのは初めてだけれど」
「これは、その……。生まれつきなんです」
私のこの羽根を見て、驚かないという反応は珍しかった。『触っても大丈夫?』と尋ねられて――『いいですけど』と返事をし終わる前には既に手を伸ばしていた。
「きゃあ!?」
遠慮もなにも、あったものではなかった。
テイルさんがあまりに普通だったので、安心してたけど……。
ココさんは口調と雰囲気とは裏腹に、子供のような好奇心でこちらに迫ってくる。
「あら? これは……」
白い羽根も見つけられてしまい、それも生まれつきあるものだと答えたら、また『ふぅん』と意味ありげに考え込んでいた。何がそんなに気になるんだろう。
「ま、いいわ」
や、やっと解放された……。乱暴にはされなかったけれど、今までこんな経験が無かったから少し疲れていた。少し変な人たちだけれど、そんなに悪いヒトではないのかもしれない。
「そういえば貴女、テイル君のことを知ってたみたいだけど……。彼らは今、どこにいるのかしら?」
「そ、それなら――」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます