第395話 ベビールームで九尾なのじゃ

「のじゃじゃじゃじゃ!! 痛い痛い!! 引っ張るでない!! それはお人形じゃなくてわらわの尻尾なのじゃぁ!!」


 二歳児に、尻尾を掴まれて引っ張られる同居狐を見たことがありますか。

 たぶん世間広しと言えど、そんなものを見たことがあるのは俺だけではないでしょうか。


「のじゃぁ!! お迎えさんなのじゃ!! ほら、お母さんが来ておるのじゃ!! のじゃのじゃ、お買い物おつかれさまなのじゃぁ!! またのご利用をお待ちしておるのじゃ!!」


 迎えに来たお母さんに冷や汗だらだらでおべっかを言う同居狐を見ることもそうないだろう。なんにしても、加代は今、限界いっぱいいっぱいという状況で、なんとか託児所の職員としての体面を保とうと必死であった。


 あ、久しぶりに一生懸命お仕事狐しているな。

 そして――九尾にならないように我慢しているな。


 ひくひくと動く耳の動き。必死に平静を装っている。


 そんな時、彼女の尻に生えている九つの尻尾の一つを、ぎゅうと子供の一人が体重をかけて引っ張ったのだった。


「のじゃぁ!! 取れぬ、取れぬのじゃぁ!! それは取れぬ尻尾なのじゃ!!」


 正直、俺は――。


 久しぶりに笑うのを堪えるのに必死でした。


「桜ァ!! そんな所で笑ってないで助けてたもれ!!」


◇ ◇ ◇ ◇


「……のじゃぁ、疲れたのじゃぁ」


「いやぁ、お疲れさん。託児所、思った以上に大変そうだな」


「そりゃ職員も常時足りなくて困っておる訳なのじゃ。保育園や幼稚園よりはマシかと思うて来てみたが、とんでもなかったのじゃ」


 そう言って、尻尾の付け根を摩る加代。

 なんとか離してもらえたが、本当にあのままぶちりと引きちぎられそうだった。

 子供は力の加減に容赦がないからなぁ。


 まぁ、何はともあれご苦労さんである。


 託児所のあったショッピングセンターで買ってきた、半額のおいなりさんを皿の上に広げながら、俺と同居狐はいつもの晩餐に入る。いただきますと、おいなりさんと、俺が造った野菜炒め――もちろん油揚げマシマシ――に手を合わせる。

 さっそくおいなりさんを一つ口に含むと、もじゃふぐと、それを頬張りながらも加代の奴は俺に愚痴り始めた。


「いやはや、かれこれいろいろな仕事をしてきたわらわじゃが、自分から辞めれるものなら辞めたいと思ったのは、ここの職場が初めてなのじゃ」


「そんなにか」


「別に子供は嫌いではないのじゃが、なにぶん神経を使うからのう」


 あぁと俺は納得した。

 人手の足りていない状態で子供のおもりをするのは辛いものがある。ちょっと目を離した隙に怪我やら事故やらに遭われてはたまったものではない。


 なまじ子供が好きなだけに――余計に責任を感じてしまうのだろう。

 ただでさえ仕事に対しては真面目に取り組む加代である。その心労は察して余りあった。というか、純粋に辛いだろうなと感じた。


 うぅむ。

 大笑いしておいてなんだけれども。こういう時に、パートナーとして何かしてやれることはないだろうか。

 なんというか、こっちとしても少し居心地が悪い。


 真面目に仕事に取り組んでいるのは本当だからなぁ。

 運がないというか、ところどころ抜けているだけで……。


 それだけに、やはり、はっきりと言ってやるべきなのかもしれない。


「加代」


 俺は襟を正して正座をすると、正面にオキツネ娘を見て言った。

 野菜炒めが盛られた皿からもそもそと、自分の皿にそれを取り分けていた加代は、のじゃと間抜けな顔をこちらに向ける。

 すぐに彼女は俺の決意を察してか真面目な顔をした。


 この辺りはやっぱり同居狐。ツーカーという奴である。

 こちらの真面目な雰囲気にすぐに合わしてくれたのは、素直に嬉しかった。


 さて――。


「加代。お前が子供が好きなのも、仕事にプライドを持っているのも、俺はよく知っている。今の仕事をしっかりと続けたいっていうのも、なんとなくわかる」


「……のじゃ、分かってくれるか、桜よ」


「だからこそあえて言わせて貰う。加代、それだけ大切に思っているからこそ辛い思いをする前に辞めるべ――」


 そっと加代が俺の口においなりさんを詰め込んだ。

 そして、それ以上、俺に何も言わせないようにした。


 にっこりと、寂し気に笑う同居狐。

 分かっているとその表情で俺に告げていた。

 分かっているがそれでもなお、その言葉は口にしないで欲しいと、彼女は、決してめげない九尾狐の誇りと共に俺の口をあぶりゃーげで塞いだ。


「のじゃ、お主の気遣いは嬉しいのじゃ桜よ。けれど、わらわはいつだって、今の仕事に一生懸命取り組んで折るのじゃ」


「……はみょ加代


「じゃから、しばらくわらわのことを、見守ってやってくれんかのう」


 そんな風に言われちまったら、俺はもう次の言葉が出てこない。

 彼女に返事をする代わりに、俺は口に押し付けられたおいなりさんを、もしゃりもしゃりと食べるのだった。


 加代に食わされたそれは、いつもと違うスーパーのせいか、少し甘かった。


◇ ◇ ◇ ◇


「のじゃぁ。とか言ってたら、ショッピングモールの方が経営不振で潰れてしまったのじゃ」


「傾ショッピングモールの狐かよ」


「のじゃぁ、こればっかりは、わらわのせいじゃないのじゃ!!」


 やれやれまったく。

 どういう九尾オチがつくのかと思ったけれど、誰も傷つかずに済んでよかったよかった。いや、ショッピングセンターが潰れるとか、割と洒落にならんから、よくないんだけれどもね。


 まぁけど、うちの同居狐が傷つかないことの方が、俺には大切ですので。


「のじゃぁ、次の仕事、どうするかのう」


「とりあえず、託児所だけはやめとけ。な」

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