第378話 夏の終わりで九尾なのじゃ

 夏が終わる。


 いやはや、そりゃ季節なのだから、いつかは終わるでしょうよ。むしろずっと夏だったら、俺はとろけて新人類に進化しちゃってるっていうの。


 とまぁ、そんなどうでもいい戯言を言っていてもしかたない。


 そんなことを意識したのは他でもない。

 会社帰りにふと、自転車に乗る制服姿の学生を見たからだ。


 自転車のフロントの籠に鞄を放り込んで、汗を光らせて走る彼ら。

 白いワイシャツが、まだ高い日の光を浴びて妙にまぶしかった。

 会社近くの高校生たちらしい。


 五分刈りの飾り気のない髪を揺らし、こんがりと焼けた肌をした彼らは、一列になって俺たちの前を走り去っていく。


 うーん。


「のじゃ。青春なのじゃぁ」


「だなぁ。けど、夏休みは終わっちまったから――ちと時期外れって感じだな」


「時期外れってこともないのじゃ。学校での生活も青春の一ページ。夏休みだけが高校生たちの青春じゃないのじゃ」


 横でまったりとした顔をしてそんなことをいう加代。

 まぁ、確かに彼女の言う通りだ。何も夏休みばかりが学生の青春ではない。

 学校が始まっても――彼らには輝かしい時間が待っている。


 青い春と書いて青春。

 青々とした色彩豊かな世界が彼らには待っているのだ――。


 対して。


「俺ら社会人の灰色の世界っぷりよ」


「そういうこと言うんじゃないのじゃ」


「見たまえ加代さん、この脂ぎった汗を。襟首が汚れ切って茶色がかったYシャツを。そして薄くなった頭髪を。加齢により、夏の見栄えもここまで廃れるかというもんだよ」


「のじゃ。そんなの自分で言わなければいいだけなのじゃ」


 その通りなんだけどね。

 自分が気にしなければ、それでいいだけなんだけれどもね。


 いやはや歳は取りたくないもんだ。

 ついでに、今年は残暑もきっついもんだ。


 そんなことを思いながら、俺は走り去った学生たちの背中を眺めて、額を濡らしている汗を拭う。

 手の甲にべったりと付着した汗は、心なしか、昔よりねとついている気がした。


「あんな風に、さわやかな時代が、俺にもあったんだよなぁ」


「ノスタルジィに浸ってもなんにもならんのじゃ。それより、さっさとスーパー寄って、あぶりゃげ買って帰るのじゃ」


「うぅっ、老いるってのは悲しいことだね」


「何を当たり前のことに打ちひしがれておるのじゃ!!」


「加代には分からないんだ。不老不死の加代さんには、過ぎ去ってしまった青春の尊さが分からないんだ――所詮、九尾と人間では分かり合えないんだよ!!」


 ちょっと感極まって言い過ぎてしまった。


 むぅ、と頬を膨らます加代。

 すかさず俺は、すまないと言い過ぎたと彼女に謝った。


 しかし――怒髪天の代わりに尻尾を立てて、彼女はこちらを睨んできた。


「まぁ確かに、わらわは三千年の時を生きる九尾。青春などといった、そのような時代がなかったことは認めよう」


「……すまん加代さん。口が滑った」


「しかしのう。青春に遅いも早いもあるのじゃろうか。用は気の持ちよう、何歳であったとしても、その時を精一杯過ごせばそれがその人の青春になるのでは?」


 そういうと、加代はおもむろに俺の手を取った。

 両の手で包み込むように手を握る彼女は、そこから視線を上げるとにっと穏やかな微笑みを俺に向ける。


 そうだ、用は気の持ち様だ。

 何歳になっても青春はやり直せる。

 鮮やかな夏は過ぎ去ることはない――。


 そして何より今の俺には、高校生の時にはいなかった大切な人が居る。


「……加代」


「のじゃぁ。まったく、こんな公衆の面前で。しょうのない奴じゃのう」


 俺はぎゅっと力いっぱい加代を抱きしめた。

 青春を胸いっぱいに抱きしめた。


 そしてその甘酸っぱいを香りを胸いっぱいに吸い込んだ――。


「獣くさぁっ!!」


「のじゃぁっ!!」


「ケモっ!! ケモ、獣くさぁっ!! 加代さん、ちょっと、ちゃんとお風呂入ったの!?」


「失礼な――というか、いい流れをぶち壊してなんちゅーことをいうのじゃ!! このたわけ!!」


 だって獣臭いんだもの。


 夏終えて、狐肥ゆる秋か。

 せっかくいい感じに青春の一ページっぽくなったのに、獣臭くって抱きしめるに堪えないとか――。


「台無しだよフォックス!!」


「のじゃぁ!! 台無しにしたのはお主なのじゃ!!」

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