第327話 食べ歩きで九尾なのじゃ

 残業と無茶な案件ばかりが続けば疲労が溜まる。

 肉体的にも精神的にもそれはどうしようもないものだ。


 しかしながら、疲労以外にも溜まるものがある。


 お金だ。


「残業代満額支給とか、神かこの会社は」


「のじゃぁ。深夜残業手当もちゃんとついてるのじゃ。ほんに懐は厚いのう」


 互いの給与明細を見ながら、生活費の上乗せ分にニタニタとする俺と加代。

 五月の給与ということで、社会保険料と厚生年金の算定額に入って来るのは口惜しいが、それにしたって基本給与の1.5倍の支払いである。

 控除やらなんやらでさっぴかれているが――。


「手取りで二十万越えは大きいよなぁ」


「のじゃぁ、わらわも久しぶりに二桁なのじゃ。ありがたやーなのじゃ」


「どうする加代泰!? なに買う!?」


「誰なのじゃ加代泰!! けど――こういう時は豪勢に使うに限るのじゃ!!」


「豪勢とは!?」


「ずばり――買い食いなのじゃぁっ!!」


 どやぁ。

 手を腰に当てて、無い胸を反ると、加代はジョジョ立ちキメ顔で俺に言った。

 かくして、俺たちは近場にあるちょっとした観光地に、食べ歩きの旅に出かけることになったのだった――。


◇ ◇ ◇ ◇


「いやぁ、あれだな。地元だからと来なかったがなかなかいい所だな」


「のじゃのじゃ。商店街さんが活気があるのは良い事なのじゃ」


「そこかしこに露店が並んでんな。こりゃ目移りしちまうな」


「美味しそうなのじゃぁ。桜よ、今日はお互い一万円持ってきてるから、遠慮なく好きな物を好きなだけ食べるのじゃ」


 分かってるよと加代を肘で小突く。

 そんなやりとりをしてすぐ、じゅうじゅうぱちぱちという音と共に、濃厚な甘みと旨味を感じさせる臭いが鼻腔をくすぐった。


 これは――いか天の臭いだ。

 匂いにつられて鼻先を向けると、そこにはディスプレイに並べられた、イカ、タコ、ゴボウにウィンナーと、さまざまなすり身のかまぼこが、きつね色に揚げられていた。


 いらっしゃい。

 声をかけられたらもう買うしかない。

 しかたないなと近寄って、俺は店員さんにいか天一つ頼んだのだった。


 対して加代は――。


「のじゃぁ――油揚げ天一つなのじゃ!!」


「油揚げ、天? 油で揚げた、油揚げを、更に、すり身にして、油で揚げて?」


 いかんゲシュタルト崩壊しそうだ。

 というか、そもそもそんな練り物はないだろう。

 そう思っていたのだが――。


 店先に立っていた売り子は、パンと景気よく腕を叩いた。


「あいよ!! 油揚げ天一つね!! 隠しメニューを知ってるとは、お客さん通だね!!」


「あるのかよ油揚げ天!?」


 なんと、隠しメニューだった。

 はじめて来る観光地の、はじめて入る店である。

 こんな偶然ってあるだろうか。


 そしてそもそも、油揚げを揚げるという発想があるだろうか。


 予想以上に真っ黄色。

 こんがりときつね色をした油揚げ天。

 それを手に取ると、のじゃのじゃと加代はそれにかぶりついた。


 幸せそうに狐娘の顔が蕩ける。

 まぁ、彼女が幸せならそれでいいのだけれど。


「しかし、いか天買ってもまだ財布に余裕があるな」


「のじゃのじゃ。どんどん買い食いするのじゃ。遠慮は無しなのじゃ」


「おっと、そうすると、今度はいい油と肉汁の臭いが――」


 目に入ったのは揚げ物や。

 こちらはメンチカツとコロッケを揚げているらしい。

 比較的若い観光客が列をなしている。


 これは名物に違いないと、俺たちもその列の最後尾に並ぶ。


 よほど繁盛していてスタッフが馴れているのだろう。列は思った以上に早く動き、いか天を食べ終わる頃には俺たちはカウンターの前に立っていた。


「いらっしゃい。なんにしましょう」


「んー、メンチカツが気になるけど、流石に胃にもたれるかな。コロッケ一つ」


「あいよ。そちらのお嬢さんは?」


「のじゃぁ、そうじゃのう――」


 と、悩んで加代。

 メンチカツとコロッケしかないのに、何を悩んでいるのか。


 ほんと、女性ってこういう時に優柔不断で困るよね。


 なんて思ったのも束の間である。


「油揚げカツ一つ!!」


「油揚げカツ!?」


「あいよ、隠しメニューの油揚げカツ一つ!! お客さん、はじめてなのにこいつを頼むとは度胸があるね!!」


「んで、あるのかよ油揚げカツ!! なんでだよ!!」


 またしても油揚げである。


 そして、存在するのである、油揚げカツが。

 油揚げを衣で巻いてカラっと揚げたカツが。


 どうかしているんじゃないだろうか。


 きつね色の二重構造。

 黄色い衣で黄色いお揚げを包んだそれを頬張りながら加代さん。


 「うぅん、油揚げの油がよく染み出て来るのじゃ」


 と、幸せそうにつぶやいた。


 まぁ、彼女が幸せならそれでいいけどね。


「……まぁ、そろそろ、甘味とかも食べたいよな」


「のじゃ、そうじゃのう。油ものばかりで、ちょっと胸やけしそうじゃからのう」


 胸やけ。

 油揚げを油で揚げるという冒涜的な食い物をかっくらっておいて、今更そんなことを言うのかい君は。

 そんな言葉がげっぷと共に出て来そうなのを堪えて、俺は辺りを見渡した。


 するとまぁ――ちょうどいい塩梅に甘味処がある。

 おまんじゅう。


「……流石にここにはないだろう」


「のじゃ!! 美味しそうなお饅頭屋!! 桜よ、あそこに入るのじゃ!!」


 そう言って、加代に手を引っ張られて店の中へと入る。

 緑茶の匂いとい草の匂いで、たいへん落ち着いた雰囲気のその店は、若いアルバイト店員が出迎えてくれて、すぐに座敷にあげられた。


 座卓の上に置かれているメニューには、なるほど油揚げの名はない。

 しかし――。


「ご注文はいかがいたしましょう」


「あー、そうだなぁ」


 少しメニューを見て考えるふりをしてから、俺はおそるおそると、アルバイトの店員さんに尋ねた。


「……油揚げ饅頭とか、ないよね」


 きょとん、と、した顔をする店員さん。

 そして、前に座っている加代さん。


「……何を言っているんですか、お客さん?」


「のじゃ、桜よ、流石にそんなメニューはないのじゃ」


 だよな。

 そうだよな。

 普通に考えて、ないよな。


 いいんだ忘れてくれ、饅頭一つと、俺は赤らむ顔と目の端から流れる涙を、二人からメニューで隠して言うのだった。


 もう分からんよ、油揚げがなんなのか。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る