第321話 ノイズキャンセラーで九尾なのじゃ

「うるせぇっ!! ぴーちくばーちく囀る暇があったらキーボード叩けボケ!!」


 ブチキレの桜――発動。

 俺の怒声が客先の事務所に響き渡った。


 一緒に働いていた派遣社員たちが目を剥いてこちらを見ている。引きつった顔をしている彼らに向かって、俺は何の遠慮もなく憤怒の表情を向けた。


 どうしてキレてしまったのか。

 答えは簡単である。新しくやってきた派遣社員たちが、だべるばっかりでまったく働いちゃくれないからだ。


 いや、それだけではない。

 煩いのだ、こいつら、本当に。

 関係のない話ばっかりしていてまったく仕事をしない。

 それでこいつらの仕事が進まないのは別に構わない――いや、構うのだけれども――として、俺の仕事の妨げになるくらい騒がれるから性質が悪い。


「いいか、こっちは集中して仕事してんだよ、設計書を書いてんだよ。お前らがシコシコシコシコ実装するための資料を整えてんだ。いいか分かってんのか、俺が設計書を出さないとお前らが仕事ができないだろう。順序ってのを考えろよ。なぁ」


「……は、はい」


「今度俺の集中を乱してみろ。Subversionのリポジトリからお前らのアクセス権限外してスタンドアロン開発させるぞ。分かったら黙って仕事しろ、仕事」


 憮然とした顔をしつつも自分たちのPCへと向かう派遣社員たち。

 本社詰めのプロジェクトから外れ、客先に派遣社員のメンバーと共に常駐し始めてはや二日。


 俺はもう、精神的に限界かもしれないというくらいに追い詰められていた。


 追い詰められた理由は先ほどからのやり取りの通りだ。

 一緒に会社からつけられた派遣社員が――口を動かすばかりで、手を動かさない。いや、手は動かせるのだが、上流工程の仕事を任せるのが憚られるようなそんな社員だったからだ。


 原因を一つ述べろと上長から言われりゃ俺はこう答える。


 派遣社員にベテランがいないのが原因だ――と。せっかく同じ会社からチームで派遣社員を雇ったというのにリーダー格のメンバーが居ないのだ。


 この不在がチーム運営に与える影響は大きい。

 まず一つは、リーダーもとい上流工程を任せられるメンバーが派遣側に居ないことで、俺が設計作業を一人で切り盛りしなくてはいけないことだ。つまり、俺が仕事をしない限り彼らに仕事が発生しない。そんなクリティカルパスとなってしまったのだ。作業量と作業時間が高まるのはわざわざ言うまでもないだろう。

 第二に、彼らの技術的なレベルが分からないから、どこからどこまで仕事を任せればいいのか分からないということ。ポンと要件レベルで仕事をなげて、さっくりとこなせる人も居れば、コア処理はこちらでコーディングしなくちゃならないレベルの人材まで、派遣会社の社員の技術には幅がある。そこを、ある程度リーダー格のメンバーが居てくれれば、どこまでできるというのを差配してくれるのだが、それもできない。

 もちろんそこには法的な問題――多重派遣になるのではないかという話も関わって来るので、おいそれと任せられないという所――もあるが。


「俺一人で全部捌くとか無理じゃボケェっ!! なに考えてんだよ上は!!」


 うちの会社は、ホワイト会社だ。

 極力、社員に負荷がかからないよう、ちゃんと加減をしてくれる。

 ただときどき、その加減を間違えて、こういうやっちゃった案件を発生させる。


 今回にしてもそうだ。

 課長が――派遣会社さんとの付き合いもあって、二・三名の若手社員をまとめて採用しなくちゃいけない、彼らの面倒を見るためのプロジェクトがちょうどいい塩梅に立ち上がったから、桜くんよろしく――なんてことを言い出したのが悪い。


 ちくしょう、人を便利屋だと思いやがって。


 イライラについついキーを叩く音が荒くなる。

 周りから、イラついているのが分かるのだろう、煙たそうなざわめきが起こる。

 うるせぇ、黙ってろ、こちとら集中して四人分の仕事をしてるんだよ。これ以上俺の世界をかき乱すなら、たとえ相手が誰でも容赦しねえぞ――。


 なんて心の中でオラついている横で、また、派遣社員がべしゃり始めた。


「だから!! 今期の覇権アニメがどうとかべしゃってる暇があるなら技術調査でもしてろボケども!! そんなに職なしになりてえのか!!」


◇ ◇ ◇ ◇


「という訳で、ストレスがマッハで死にそうです加代さん。助けてプリーズ」


「……のじゃぁ。お主、ホワイト企業に就職したはずではなかったのか? ということを、サーバルームに詰めてるわらわが言うのも妙な話ではあるが」


「あの会社ってさ、奴隷根性見せた社員には割とえげつないよな。俺もお前も、割と体よくつかわれ過ぎっていうかさ。いや、いいんだよ、いいんだけれどもさ」


 時刻は夜の二十三時。

 久しぶりのIT職らしい帰宅時間にアパートに帰った俺は、あぶりゃーげを温めるのもそこそこに加代の奴に泣きついた。


 こういう時、無駄に包容力の高い同居狐の存在は尊い。

 もっふもっふ。


 まぁ、そりゃさておき。

 実際問題、狐の手も借りたいくらいに弱っているのは事実。

 加代の奴に開発の経験があるかは別として、借りれるものなら彼女の手でさえ借りたいくらいであった。


 まだ、気心の知れる相手なだけ仕事がやりやすい。

 雑用でも振れれば振りたいのだ。


 まったく。

 なんで派遣先の社員に教育めいたことやらせるんだよ。

 そんな派遣社員を受け入れるうちもうちだが、出す派遣会社も派遣会社だよ。


 ちくしょう課長め。この一件が終わったら覚えてろよ。


「のじゃぁ、桜よ、ちょっと痛いのじゃ。力を弱めて欲しいのじゃ」


「……すまん加代」


 課長への怒りで、ついつい彼女の尻尾をもふる腕に力が籠る。

 ひっぱたいても良いところだが、そこをあえて堪えてくれるのがこの同居狐のよいところにして哀れなところだ。


 腕の力を弱めた俺をよしよしと撫でる加代。包容力は尻尾以外は薄くって、さっきから鎖骨が当たって痛かったりするけれど、まぁ、それはそれこれはこれ。


 彼女にそうされると、ささくれだった俺の心が少しだけ安らいだ。


「まぁ、こればっかりはしかたないのう。予算の都合や会社の都合なのじゃから。逆にそういう時に頑張れるかで、人の真価が問われるというもの」


「もうゴミクズでいいから、そんなもん放り出して俺は定時に帰りたいっての」


「のじゃぁ。まだ働いて二日目なのじゃ。体力的な問題はまだないはずなのじゃ」


 的確に問題の根源を突いてくる。

 愚痴だけ聞いてはい終わりとならない所が、そこいらの女性とは違うよね。

 流石は加代さん三千年生きているだけはある。


 そこでうんうん黙って聞いといてくれればいいのに――と、少しげんなりした気分で俺は加代の次の言葉を待った。


 だって、実際問題、その通りだったのだもの。

 体力的にはまったくぜんぜん問題ない。


 問題なのは――。


「のじゃぁ、騒がしいのが嫌なのじゃろう。お主、神経質な所があるからのう」


「そこまで分かっているなら、黙って俺の愚痴に付き合ってくれよ。そういう商売の経験もあるんだろう。お前のことだから」


「どうでもいいお客様相手なら、うんうん笑って聞くだけなのじゃ」


 痛い。

 同居狐の俺への愛が痛い。


 もっと軽くていいのに。そして、そんな図星を突かなくてもいいのに。

 辟易とした溜息が口から漏れる。尻尾から顔を上げて、加代の顔を見れば、深刻な顔をしてこちらを見つめてくれていた。


 そうだよ、彼女の言う通りだ。

 やることがなくって、だべってる派遣社員の奴らを見てるのが辛いんだ。


 お前、こっちは誰のために必死こいて設計資料起こしてると思ってるんだよ。モチベーション下げるくらいなら、有給とってどうぞってなもんだ。

 その癖、誰も仕事がないなら休みますとか言って来ないし――。


「あぁもうヤダ!! 俺仕事やめる!! この仕事向いてないんだ!!」


「えぇいもう、だから、落ち着くのじゃ桜よ。もそっと冷静になるのじゃ」


「もうやなのぉ!! 一人だけ必死に仕事してるとか、客観的かつ俯瞰的に自分の仕事してる姿を見た時、とってもしんどいのぉ!! これならいっそ、誰も居ない方が精神衛生上楽なのぉ!!」


 むぅと、加代が口を尖らせる。

 仕方ないのうと彼女は呟くと、それから――ごそりごそりと九本の尻尾の中から、ある物を取り出した。


 そうそれこそは――どうしてそんなものを持ってる、ラジオカセットであった。


 なんだ、それでラジオでも聞けってのか。

 俺はな、そういう生活習慣音的なのも、あまり得意じゃないんだよフォックス。


 そう文句を言うより早く、彼女は俺の耳にそれを取り付けスイッチを入れた。

 するとどうだろう。


「――お? なんだ、まったく音が聞こえなくなったぞ?」


「…………」


「えっ、なに、加代さん? なに言ってるの? 聞こえない?」


「…………」


「え? なに? 聞こえない」


 ぶつり、と、音がしたかと思うと加代が眉を顰める。

 ちょっと調子に乗りすぎてしまったらしい。ムカつく顔をするなとペシリと頭を叩けば、加代はぷんすことその狐耳を揺らした。


 それと同時に、俺の耳にそれまで一切遮断されていた雑音が入り始める。


 くるりくるりと手の中に巻いてイヤホンジャックを回収する。

 ラジオとは違う不思議なそれをまとめながら、加代がやれやれと口を開いた。


「消音イヤホンなのじゃ。原理は知っておるな?」


「……げんりだけなら。ぎゃくそうのおんぱをぶつけておとをけすやつ」


「棒読みなのに言ってることは間違ってないのが絶妙に腹が立つのじゃ」


「というか、なんでそんなもん持ってんだよ?」


 まぁ、色々な仕事を経験しておるからのう、カッカッカッと笑う加代。

 職場で必要となって止むを得ず購入したのだろう。

 ほんと、苦労しているな、この狐。


 闊達に笑ったまま。そんなイヤホンを持っていることを感じさせない明るさで、加代の奴は綺麗にまとめたそれを俺へと差し出した。


「これを使えば周囲の音は気にならんぞえ。これつけて明日から頑張るのじゃ」


「加代さん……」


 やれやれ。


 お前がこんなもん持って頑張ってることを考えれば、あまり文句は言えないな。

 どれ、明日からこれを着けて頑張って、仕様書さっさと作っちまうか。


「しかし、ここまで仕事に本腰入れてるのに、クビになるお前って」


 すぽり、と、耳に消音イヤホンを突っ込む加代さん。


「あぁーあぁーきこえないのじゃーなにもきこえないのじゃー」


「……第一耳につけてないけどそりゃどうなのよ」


 ぴこぴこと第一耳――狐耳――を揺らして、彼女はそっぽを向いてごまかした。

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