第307話 花粉の季節で九尾なのじゃ
春。
それは花の季節。桜や梅、椿やハナミズキが咲き乱れ、世が淡い色で満たされる、そんな季節。
「ぶえっくしょん、ふぇっくしょん、ふぉっくしょん!!」
そして花が咲くということは同時に花粉も撒き散らされるということ。
花粉舞う季節――それもまた春。
杉、桧、松、色んな花粉があるけれど、皆はどのタイプかな。
好きな花粉症を選んで日常の勤務に出るんじゃ。(某博士風)
それはさておき。
ここ数日というものうちの同居人の鼻水が止まらないことになっていた。
理由は明白、というか、この流れで今更説明するまでもないだろう。
「のじゃぁ、はなびずがとばらないのじゃぁ」
「よぉしよし、ちゃんとのじゃぁだけは濁らずに言えたな。偉いぞ加代さん。アイデンティティクライシスをちゃんと回避するとは狐娘の鑑」
「そんなにょほいっひぇるばぁひ――ふぉっくしょん!!」
「そしてその独特なくしゃみ。分かってるね、ちゃんと狐娘キャラしてるね」
ここ最近、日常貧乏ネタやIT業界ネタが続き過ぎて、あれ、これ別に狐娘じゃなくてもよくねえ、とか疑問を持たれかねない感じだったが、面目躍如という奴だ。
やはり狐娘なのだから、のじゃのじゃ言わなくちゃ始まらないわな。
貧乏でも、たとえ花粉症でも、貫いてこその狐娘道。
うむ、やはり加代さん分かっていらっしゃる。
俺は目じりに滾る熱い液体を拭いながら、腹を抱えて大笑いした。
「狐の癖に花粉症とか、野性の心と体をどこに置いて来たんだよ、まったく」
「のじゃぁ――」
ずびずびりと鼻にティッシュを当てて力む加代。
彼女は透明な液体でたっぷりとそれを湿らせると、余った部分でついでとばかりに目じりを拭いた。貧乏狐特有のもったいない精神かもしれないが、流石にそれは順序が逆だぞとちょっと気分が引ける。
まぁ、そりゃさておき。
狐が花粉症とはこれいかに。
お前たちは本来野山を棲み処とする生き物ではなかったのか。それこそ、アイデンティティクライシス。花粉ごときに負けている体たらくでどうするんだ。
「情けない、実に情けない。せっかくの狐娘が、これが台無しじゃ」
「花粉症は、ある日突然、なんの前触れもなくなるものなのじゃ。去年平気だった人間も、いきなり花粉症になって苦しむなんてのは、よく聞く話なのじゃ」
「いやだから、お前は狐だろうが」
「――犬の鼻は人間の数倍敏感なのじゃ!! あれなのじゃ、常に犬の鼻先が湿っているのもそういう理屈なのじゃ!!」
「一秒で分かるような嘘つくなよ。まったく、ほんとだらしのない狐だな。駄狐、いいや、駄女狐」
「のじゃぁ。去年まで、去年までは本当に平気だったのじゃ。いったい、何がいけなかったのか――」
思い当たる節などない。そんな感じで首を傾げる加代。
そんな表情をしている間にも、花粉の魔の手は彼女の身に――というか鼻の穴へと迫る。
「のじゃっくっしゅん!!」
「おっと新種発見」
「のじゃぁ!! ひゅこひはぱーひょにゃーのひんぴゃいするのじゃぁ!!」
鼻水を垂らしてこちらを睨む加代さん。
どんなに眉を狭めても。
また、どんなに九尾を逆立てても。
鼻水垂れてちゃ怖くない。
まったく威厳のない九尾。
そんな彼女の鼻に、俺は黙ってティッシュを添えた。
はぁ、ほんと、世話のやける狐だな。
犬飼う方がどれだけマシだろうか。
「のひゃぁ」
「ほれ、チーンしなさい、チーン」
「……チーン……へくちっ!! のじゃぁ……」
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