第306話 デコレーションで九尾なのじゃ

 事務所が汚い。

 人事部の部長が張り切ってそんなことを言い出した。


 新入社員も入ることだし、このままではいけない。

 フレッシュな彼らに負けないように既存の社員たちもクリーンな気持ちで、この上半期から頑張らなければいけないんだ。


 まるで性質の悪い啓蒙書でも読んだかのような熱演ぶりは正直ドン引きだった。


 だがしかし、人事部長の言葉は正しい。

 たしかに事務所は長年に渡る酷使と、プログラマーという現実世界にとびぬけて無頓着な人種の手により、えらいことになっていた。

 そりゃ、もちろん日々の業務をこなすだけのスペースはあるが――。


 ひょいとデスクから頭をあげて見渡してみれば、壁には持ち主不明の備品がラックにぎゅうぎゅうに押し込まれている。現在進行形のプロジェクトの物ではあきらかにない。というか、そういうのは手近な所に置かれているものだ。


 そして、手近な所に置かれているからこそ、島単位での整理の状況も酷い。

 厳しいリーダーが取りまとめている島などはまだマシだが――。


「絵にかいたような野放図ってのは、こういうことを言うのかね、桜よォ」


「そういうのは自分の机を片付けてから言え」


 自分のデスクをふぃぎゃーで埋め尽くした元同僚が言う。

 ここに加えて仕事の備品やらなにやらで、個々人の作業机にしてもえらいこっちゃである。到底、お客様には見せられない。会議スペースと俺らのデスクが離れていたり、ミーティングにしても社外でやるのも止む無しというものである。


 とにかく。


「そら、人事部長の言う事も一理あるわな」


 そんな訳で俺たちは、新年度も始まり、新入社員もやって来たというこの時期に、思いがけず大掃除をやることになったのだった。

 ちなみにこれも業務時間と計上してくれるというのだから、ホワイトよねほんと。


「桜はいいよな、机の上とかなんもなくて羨ましい」


「むしろなんでお前の机の上がそんなにふぃぎゃーで溢れてるのか疑問だわ」


「それはやっぱり……愛、かな?」


「デスクトップの中でとどめとけそんなもん。三次元まで出してくるな」


 辛辣な言葉を投げかけるが仕方ない。

 だってこいつ、平然と自分の作業PCの壁紙をアニメの絵とかにしてるからな。前にそのまま客先でプレゼンやろうとして、あわてて壁紙標準のに戻してたくらいだ。


 まぁそのプレゼンは、せっかく急いで壁紙変えたってのに、タスク管理アプリケーションが起動して、微妙な空気になったんだけどね。

 いやぁ、出て来た瞬間、と思ったね、ほんと。

 そらプロジェクトリーダー安心して任せることできないわ。


 閑〇永空。

 じゃなかった、閑話休題。


 そんな彼がによによと邪な顔を俺へと向ける。まだまだ、片付ける物は多いというのにわざわざ手を止めてだ。なんだろうかと俺も手を止めると、彼は口元を抑えてますますその顔つきを苛立つモノへと変えた。


 なに考えてんのか知らないが腹が立つ。

 なんだこの野郎。この職場紹介してくれてなかったらぶん殴ってるところだぞ。


「お前もなんか飾ったら? うちの会社はそういうの緩いし、誰も文句言わんよ?」


「いや、そんな愛するようなもん持ち合わせてないからな」


「またまたそんなこと言っちゃって。同居してる彼女さんの写真でも飾ればいいじゃないのよ桜くぅん。ラブラブなんでしょう?」


 仕事場に来てまで、あの厄介な同居人のことを思い出したくないっての。

 まぁ、どうせそんなことだろうとは思ったよ。ほれほれどうなのよとこちらに腹の立つ視線を向ける同僚に背中を向けると、俺はトイレへと移動したのだった。


 アホらしい。

 あいつの写真を飾るくらいなら、赤いきつ〇を置いとくっちゅうねん。

 腹が空いた時に食べられるだけまだましだっての――。


「のじゃぁ、思い付きの掃除とか勘弁して欲しいのじゃ」


 などと思っていると、カップ麺の方がマシな同居狐がげっそりとした顔をしてサーバルームから顔を出した。

 どうやら今日はサーバルーム勤務の日らしい。


「――お、加代さん、今日はサーバルームの掃除か?」


「そうなのじゃぁ。えらい時に保守で入ったのじゃぁ。サボればよかったのじゃ」


「俺もそう思うよ。お互い、有給を使っとくんだったな……」


 げっそりとした顔をして紙束の入った段ボールを抱える加代。彼女の保守範囲であるサーバルームから出たゴミだろう。

 自分が出したごみだから仕方ない――と言い切れないのが可哀想なところだ。


 うちのような小さい会社のサーバルームは、PC置き場兼ゴミ置き場みたいな所がある。それでなくても、機密性の高い書類なんかを置いといてと頼むことも多い。


「預けるだけ預けておいて、誰も取りに来ないのじゃ。あきらかに要らない書類はまとめたけれど――これから各部署回って書類の確認なのじゃ」


「おつかれさまですなのじゃぁ。そんなんじゃ、お前はデスクを自由にするなんて夢のまた夢という奴だな」


 デスクがなんなのじゃと頭と耳を傾げる加代さん。

 なんでもない気にするなと、俺は手を振って彼女と別れた。


 のじゃぁ。加代のくたびれた声が後ろから聞こえる。それが遠のいたのを確認して――俺は振り返ると、ちょっとだけバックしてサーバルームの中を覗き込んだ。


 ほんのちょっと、ちょっとだけだ。

 まぁ、さっき言った通り、サーバルームをカスタマイズしている余力は、あの様子ではないだろう。

 というか、前に入ったこともあるが、至って普通のサーバルームだった。


 なにもないのは分かり切っている。

 しかし、やはり同居人が相手だ。

 気になるのは人の性というものだろう。


 ちろり、サーバルームの中を覗いてみる。

 うむ、至って普通なサーバルームだ。


 普通だが――うん?


「……デスクに写真立てが?」


 どうしてサーバルームにそんなものがあるのか。普通に考えて、業務に必要あるものとは考えられない。となると、加代の私物ということで間違いないだろう。


 気になる――。

 はたしてあの写真立ての中にいったい何を――。

 まさかとは思うが――。


「俺の写真? とかじゃないよなぁ?」


 どきどきと高鳴る胸を抑えながら、俺はサーバルームの中へと入る。

 加代が近くに居ないのを確認し、誰も見ていないのを入念に確認し、俺はそっと写真立てを持ち上げた。


 すると、そこには健康的な小麦色をした――。


「元気なあぶりゃーげの写真が!!」


「のじゃぁ!! なにを見ておるのじゃ、しゃくりゃぁっ!!」


 あまりの衝撃に固まってしまっていたようだ。

 気が付くと加代さんがサーバールームに戻って来ていた。


 いや、いやいや。

 何を飾っておるのじゃ、加代さん。

 なんで額縁にあぶりゃーげ入れて飾ってるんだよ。


 そんなに大事か油揚げ。


「というか、油揚げのが俺より大事なのか。それはそれでなんか悔しいんですけど」


「あぶりゃーげを飾っているのには訳があるのじゃ」


「訳って何よ!! どうせ、私より油揚げの方が大事なんでしょう!? もう同居解消よ、やってらんない!! 貴方みたいな油揚げマニアと一緒に暮らせないわ!!」


 私より油揚げの方が大切なのね。

 そっちの方がじゅんってなるのね。

 汁が染みていて濡れ濡れなのね。


 自分でもちょっと引くくらいの剣幕でヒステリックに加代に問い詰める。すると、のじゃぁと彼女は溜息を吐き出して、それから写真立てをひったくった。


 同時に。

 ぐぅ、と、彼女の腹が鳴る。


「のじゃぁ。サーバルームでは飲食禁止じゃからのう。トラブルがあると、その対応でお昼を食べるのがどうしてものう」


「……そんな、加代さん、まさか!?」


「あぶりゃーげの写真でもあれば、少しはマシになるかなぁと。まぁ、貧乏が極まった時にやっていた狐の知恵という奴じゃのう」


 けらけらと笑って俺に言う加代。

 そんな彼女に、俺は目じりに熱いモノを浮かべない訳にはいかないのだった。

 水気厳禁のサーバルームにも関わらず。


「のじゃぁ。どんなホワイト企業でも、サーバ保守だけは例外なのじゃぁ」


「……す、すまん、加代さん」


 今日は、あぶりゃーげ、ちょっと奮発して五目入りのにしてやろう。

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