第267話 梅干しで九尾なのじゃ

 もののはずみで母親に、節約のために弁当を作り始めたと話したのが発端だ。


 そんな電話でのやりとりから数日とおかず。

 アパートの我が家になにやら重たい宅配便が送り付けられた。


 段ボールではなく、木の箱に詰められて送られてきたそれ。

 中にはくしゃくしゃに丸めた新聞紙が緩衝材として詰め込まれている。

 それらを取り除いてみると、ミルクチョコレートみたいな茶色をした、いかにもなツボが中から出て来た。


 これは、と、脇に詰まっている新聞紙ごと引き上げてみる。

 それから、蓋を上げてみれば――覗き込むより早く、鼻先をつんとくすぐる鋭い匂いが立ち昇って来た。


「……なんじゃこりゃ? 梅干し?」


「のじゃぁ。桜の母上どのも、大胆。思い立ったら即行動なのじゃぁ」


 ツボの中に手を入れて一つ取り出してみれば、それはピンポン玉大の梅干し。


 とっぷりとよく漬かり、果肉が蕩けたそれ。

 少し指先に力をこめると果肉が噴き出してきそうな、いい塩梅のものだった。


 こんなもんいつの間に造ったんだろうか。

 確か、俺が実家で暮らしている頃には、梅干しなんて造っていなかったはずなんだけれども。


 というかそもそも梅の木なんて実家になかったように思う。


 趣味か。

 趣味で作り始めたのか。


 流石は専業主婦だな、時間があるからやることが凝っている。


 今どきこんな見事な壺で漬けるかね梅干し。

 そのまんま売れるんじゃないか。

 金取れる気がしないでもない。


 いや、あのごうつくのことだ、実際どこかに売りつけていそう……。


 ひょいと口の中に放り込めば、思った通りの味が口いっぱいに広がる。

 すっぱ、と、口をすぼめると同居狐が苦笑いをした。


「のじゃぁ、なんにしても、食料の差し入れは助かるのじゃ」


「助かるけれども、梅干しだけじゃご飯しか食えん。もっと、栄養価のある物を送って欲しいよな。芋とか、キャベツとか、ニンジンとか、鶏胸肉とか豚バラ肉とか」


「それはスーパーで買えばいいのじゃ。お母さんをなんだと思ってるのじゃ」


 まぁ、なんにしてもだ。


 貧乏で昼飯にも難儀している身には嬉しい差し入れである。

 さっそく、俺はスマートフォンを取り出すと、実家に電話をかけた。


 出かけているのだろうか、なかなかコールに出てくれない。

 これは日を改めようかな、と、電話を切ろうとしたちょうどその時、はいはいもしもしと、お袋の声がスピーカーから聞こえた。


「あぁ、母さん。俺だけど」


「なんだい桜かい。珍しい。どうしたの」


「いや、差し入れの梅干しの件だよ。送りつけといて忘れんなよな」


「あぁ、そういや送ったかね、そんなの」


 これもボケのはじまりかねぇ。

 なんにしたって、実の息子からの労いの電話に対するこの扱いよ。


 お礼を言うのに早速電話をしたというのに、なんだか俺はバカバカしい気分になってしまった。


 まぁ、いい。それはそれだ。

 女に振り回されるのは、最近慣れてる。


 別に慣れたくて慣れたつもりもないけれど。


「ありがとう。助かるわ。なに、自分で漬けたのこれ?」


「そうそう。知り合いの農家から杏を分けて貰ってねぇ。それで、梅干しにしたらどうかって言われて」


「……杏? 梅じゃないのこれ?」


「そうそう。普通の梅干しだと思ったでしょ。それ、杏なのよ。ちょっと市販のよりすっぱくなかったでしょう」


 いや、十分すっぱかったような気がするんだが。

 と、思いながら加代の方を見る。


 俺の視線に応えるように、一つ、壺の中から梅干しを取り出した加代。

 まじまじとそれを見つめてから、彼女は、ひょいとそれを口の中に放り込んだ。


 のじゃぁ、と、呟き、その唇が尖る。


 うむ。


 充分すっぱいみたいだ。


 杏ってもっとこうフルーティなものじゃないのか。

 まぁ、言って、俺も杏なんて食べたことないから分からないけど。


「杏だろうと梅だろうと、ご飯が食べれれば問題ないでしょう」


「いや、そりゃそうだけれど」


「普通の梅より肉厚だから食べ応えもあるし。食べ盛りにはもってこい」


「食べ盛りって、もうそんな年齢じゃないっての」


「……それに、そろそろ、加代ちゃんもすっぱいものが食べたい頃なんじゃないの」


 唐突なセクハラやめい。


 お袋。

 ほんと、そういうの勘弁して。

 俺もどう反応していいか困るんだから。


 のじゃ、すっぱい、もう一個、なんて言って手を伸ばそうとする加代。

 それを思わず手で制してしまった。


 まぁ、流石にそういうことはないと思うけれど――。

 ちゃんと着けてるし。


「今はちみつレモンも漬けてるから、そっちもできたら送るわね」


「いいから、そういうの!! というか、いい加減いらん策謀巡らせるのやめろ!!」


 親からのセクハラほどこの世でしんどいものはない。


 はやく孫の顔が見たい、その気持ちは分からないではない。

 だが――その形振りの構わなさは、どうにかして欲しいものである。


 と、俺は溜息を吐き出しつつ、スマートフォンの通話を切った。


 そんな俺の前で、加代が瞳を潤ませている。


「のじゃぁ、桜よ、あと一つ。もう一個だけぇ」


「……ただ食い意地が張ってるだけだよな。そうだよな」


 ちゃんと着けてるし。

 うん、大丈夫のはずだ。


 おそらく。

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