第266話 作り置きで九尾なのじゃ
会社で食っている仕出し弁当が、実は結構お高いのではないか。
今月の家計簿をつけながら、ふと、俺はそんなことに思い至ってしまった。
三百円とちょっとの仕出し弁当。
コンビニで買うことを考えればめっぽう安い。
それは間違いないだろう。
しかし、美味しいかと言われれば可もなく不可もない味という訳で。
ぶっちゃけ、クオリティはその日によりけりであった。
三百円も払って買う価値が本当にあるのか。
確かに、昼休みに事務所を抜け出し、コンビニへと向かう手間を考えれば、そりゃ時間効率はいいだろう。
時は金なり。
昼休みの時間というのは、労働者にとって大変貴重なものである。
しかし、それならそれで、あらかじめ買って事務所に来ればいいだけ。
仕出し弁当と言っても温かい料理が食べれる訳ではない。だいたい、食べる頃には冷え切っていることが多い。
だったらもう、別にいいんじゃないか。
そう疑問を抱いた瞬間、やはりこの仕出し弁当というのは高いのではないか――という認識へ至った。
とまぁ、そういう次第である。
「これを止めて、昼食をパン一個とかにすれば」
「……いや、桜よ。それは流石に貧乏過ぎてまずいと思うのじゃぁ」
家計簿をつけている後ろで加代が声を上げた。
振り返れば青い顔をして俺の方を見つめている駄女狐がいた。
本気で俺のことを心配している――というか、パン一個で昼休みを過ごそうとしている俺に、戦慄しているという表情と視線だ。
思わず俺は彼女のそのマジな顔つきを前にして唾を飲み込んだ。
まずいと思うのじゃぁ、と、言われてもなのじゃぁ。
うちの家計の方もまずい訳でして。
なんとか赤字収支にはなっていないけれど、余裕がないのもまた事実。
年度が替われば、給料もちょっとは上がるのでは、と、期待はしている。
けれど、同僚に聞いた限りでは、いかんせん上がったとて雀の涙程度。せいぜい、来年の所得税と住民税により相殺して終わりということであった。
役職でも付けば話は別なのだが――。
と、話がずれてしまった。
論点は昼飯の節約だ。
「俺だってしたくないっての。けどな、身を切る思いで、それくらいしなくちゃ、貯蓄ができないんだよ、今の時代は。分かってくれよ、加代さんや」
「それでもパン一つは流石に栄養価が偏るのじゃ。仕出し弁当はなんだかんだで、栄養のバランス考えてあるから、悪くない昼食なのじゃ」
「おぉ、流石はバイトしてるだけあって、まっとうなこと言うのな。仕出し弁当会社の狗――いや狐か」
「それとこれとは話は別。お主の健康を純粋に心配しておるのじゃ」
のじゃぁ、と、鳴いて俺の手を取るオキツネさま。
衣食住は生活の基本。
どれも疎かにしてはならぬのじゃ、と、彼女は懇々切々と俺に語った。
まぁ、そうは言うけどさ。
着るもの、食うもの、住むところ。
どこを減らすとなったら、一番手っ取り早いのは――やっぱり食うものでしょう。
というか元から着るものについては、それほどお金かけてないしね。
住むところもだけれど。
「腹に結構蓄えもある訳だし、ちょっとくらい食う量減らしても問題ないのでは?」
「痩せるとやつれるはまた別なのじゃ。痩せるなら、健康的に運動して、筋肉量を増やして痩せるのじゃ」
「……朝と夜、家でご飯をしっかり食べれば、いいのでは?」
「それじゃ今度は仕事に集中できないのじゃ。桜よ、お昼ご飯をしっかり食べると言う事は、しっかり働くということでもあるのじゃ」
「エナジードリンク飲んどきゃ問題ないって」
「そういうのが一番健康によくないのじゃ!! だいたい、エナジードリンク自体が高いのじゃ!! 浪費を抑えるならそういう所から始めるのじゃ!!」
ごもっともだ。
じゃぁ、お前、いったいどうしろって言うんだよ。
辟易と溜息を吐き出した俺であったが、その脳裏に、ふと一つの可能性に溜息の代わりに入り込んできた。
そうだ。何も仕出しの弁当じゃなくてもいいじゃないか。
「弁当くらい、自分で造ればいいだけの話か」
「のじゃ?」
「夕飯の残り物を詰めて行けば、そんなに手間にもならんだろうし。うん、そうだな、自分で弁当を作ろう。そうしよう」
それなら文句ないだろう、と、加代の方を見る。
首を傾げて、むぅと唸った加代だったが――。
「まぁ、それなら」
と、彼女は了承して、俺からようやく手を放してくれた。
しかし、その眼は相変わらず疑念に満ちている。
「のじゃぁ、本当にお弁当なんて作れるのじゃ?」
「いやお前、帰って来て時々料理してるだろ。今更なに言ってんの?」
「お弁当とお夕飯はまた別なのじゃ」
加代の表情には相変わらず怪訝さが残っている。
うぅむ、侮られたものよのう。
ではここはひとつ、見せてやるとしようか。
お弁当男子――最近の草食系男子の調理スキルという奴をな。
◇ ◇ ◇ ◇
「桜ぁ、お弁当、持ってくるのはいいけどさ」
「……」
「毎日、スーパーのいなりずし詰めてくるって、それはちょっと、身も蓋もなさ過ぎじゃないの?」
「……夕飯で残るおかずがこれしかないから、仕方ないのじゃぁ」
「いや、仕方ないのじゃぁ、って」
夕飯の残り物を軽く詰めればいいや、と、言ったな。
そうしたらこれですよ。
うん、確かに加代の言う通りである。
作り置きで、弁当のおかずを作ることの面倒なこと、面倒なこと。
なにより、明日の分を見越して、料理を作るのが結構な手間だ。
そうしているうちに、残った夕飯を弁当箱に詰めて持っていくという方向にシフトしたのだが。
残るのがおいなりさんだけとはなぁ……。
「おまけに、加代の奴は奴で、『お昼にお主が残ったおいなりさん持って行くようになったから、おひとり様パックじゃ足りなくなったのじゃ』とか言って、大入りの買って来るようになるし」
「……大変だな、お前の所も」
おまけに、おいなりさんは大豆と米の完全食品だから、栄養学的になんの問題もない、とか言われるし。たまったもんじゃない。
とことん狐に生活を牛耳られてるな。
そんなことを思いながら、俺は残り物のおいなりさんを口に運ぶのだった。
「……お、中に菜の花入っとる」
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