第200話 ダブルスパイは大変なのじゃで九尾なのじゃ

 副社長派である現次長――坂崎との接触はあくまで当事者間プライベートでの話であり、その後、社内で公に彼と接触する機会はなかった。

 しかしながら、居酒屋で彼に公言した通り、俺は彼が抱えている仕事や取引先について、白戸の目を盗んではちょいちょいと調べることにした。


「――なるほど。こりゃ間違いなく、白戸が見たら仕事を蹴るわ」


 利益率があまりに低い。その理由について、ディベートや坂崎個人への利益供与などは考えにくい。

 単純に、取引先の工場二つの業績が悪すぎて、これ以上の支払いができないのだ。

 自動車産業で成り立っている日本。といっても、様々な危機と時代の波にもまれて、いまだに景気の良いのは某東海地方の会社くらいだろう。

 どうやらこの工場は、そのグループ傘下とはちょっと違うみたいだし、それなら、いまひとつ業績がパッとしないのも頷ける。


 さて、どうしたものかね、と、直近の取引の電子データを眺めながらため息をつく。


「なにしてんすか、桜さん」


「うわぁお」


 いきなり後ろから声を掛けられて、思わずノートパソコンの蓋を閉じてしまった。そこに立っていたのは、白戸直属の部下にして、俺がときどきその手を借りている頼れる若手社員、竹下であった。


 俺の背後に立つな、ではないが、いきなり後ろに立たれるのは、心臓に悪い。

 オーバーリアクションをとった俺に対して、何かを察したように坂崎が悪戯っぽい笑みを浮かべた。


「あ、エッチなサイトでも見てたんでしょう。ダメっすよ、うちの会社、そういうのちゃんとログとってるんだから」


「バカ、違うよ」


「じゃぁ、なに見てたんです」


 竹下の言葉に乗っておけばよかった、と、少し後悔した。

 次長が今、主に担当している仕事を勉強していた、なんてことを言えば、どうなるのだろうかと想像したのだ。


 あくまで、あの夜、居酒屋で坂崎に対して宣言したことはオフレコのこと。

 社長派はもちろん、社内の人間にも知られてはいない内容だ。

 また、知られてはならないだろうと、意図的に、俺も坂崎も不要な接近は避けてきた。


 それを、簡単に、こいつに漏らしていいものか。


「ほら、やっぱりエロサイトみてたんでしょ。DM○っすか? それとも、カリ○アンっすか?」


「だから違うって言ってんだろ!! あれだよ、その――彼女、同棲している彼女のブログを見てたんだよ」


 嘘をついたものは、一生嘘を吐き続けねばならない。

 そしてその嘘は次第に次第に現実と大きくかけ離れ肥大していく。


 そんなことを誰かが言っていたのを思い出す。

 それにしたって、最初から大きな嘘をついてしまったものだ。

 加代のブログ。そんなん、あったとして、誰が見るというのか。というか、そんなものを作れるくらいに上等な頭が、あの女にあるのだろうか。


 えらいことを口走ったなと後悔する俺をよそに――。


「まじすか!! ていうか、桜さん同棲とかしてるんすか!!」


 意外と簡単に信じたし、そして予想外に食いついてきた。

 竹下、最近の若者よのう。そして、できることなら、そういうの、軽く流して欲しかった。


「しかもブログって!! どんな人っすか、どんなブログっすか。あれっすか、アルファブロガーって奴ですか!!」


「ま、まぁ、そんなところかな」


「ブログ見せてくださいよ!!」


「いやだよ!!」


 とまぁ、必然、こういう流れになるよな。

 頼みます桜さん、秘密にしておきますから、と、俺のデスクの後ろで叫ぶ竹下。椅子の背もたれをひっぱって、うりうりと、これみよがしに俺の作業妨害をしてくるあたりに、悪意というか熱意というか、しょうもない何かを感じる。。


 くそぉ、吐くんじゃなかった、こんなウソ。


「俺、桜さんが見せてくれるまで、絶対に自分の席に戻りませんから!!」


「仕事しろよ竹下ぁっ!!」


「いいじゃないっすか!! いっつも仕事手伝ってるんだから、それくらい教えてくれたって!!」


「俺はプライベートと仕事は、分けて考えるタイプの人間なんだよ!!」


 しかし止まらぬ竹下の食い下がり。

 ますます激しくなる椅子の揺さぶりに、さすがに営業部の面々の視線まで集まってくる。


 いけない、ここで余計な騒ぎになってもそれはそれで困る。


「分かった、わかった竹下!! 見せてやるから!!」


「本当っすか!! ヤッタァーッ!! 桜さんの彼女、桜さんの彼女、アルファブロガー!!」


 大声でありもしないことを喧伝しないでほしい。

 とほほ、と、肩を落としつつも、竹下の攻撃から解放されて息をつく俺。


 しかし、ブログなんて言ったがどうする。そんなのあいつ持っているはずないぞ。

 いざとなったら他人のブログをそれとなく見せて――そう思いながらも、スマホで加代、ブログ、と、検索する俺。


 二・三秒して、某検索エンジンサイトの結果として、トップに表示されたのは――。


「――艶狐加代さんのフォックスビュラスブログ」


 もはや運命を感じずにはいられないタイトルのブログサイトであった。


 あぁ、なんだろうこの感じ。

 最近はなんていうか、加代がすっかり日常になりすぎて、何やってても驚かないようなところあったけれども、最初の頃はこんなだったよな。

 どうしてお前、こんなことやってんだよ、なにしてんだよっていう、この、あほらしさというかバカらしさ。


 たまらずクリックしてそのブログを開く。

 最新の記事の日付は昨日となっており、なるほど、どこかで見たことのある顔をしたオキツネ娘が、まるで某巨乳タレントのような優雅さで、もっふもっふのソファーに横たわっていた。


 そう、たわわに実った、二つの果実までぶら下げて。


 持ってたわ、ブログ。

 持ってたわ、そういうIT技術。

 しかも、フォト○ョップで胸元を加工する技術まで持ってるわ、あの貧乳駄女狐。


「ふぉおぉおぉおぉ!! なんすか、このめっちゃ巨乳で美人の女の人!!」


「いや、まぁ、その、なんていうか」


「これが桜さんの彼女っすか!?」


「――たぶん」


 自信なく答えましたが、おそらくそうに違いないです。

 だって背中のソファーっぽいの、あれだもの、こいつの尻尾だもの。壁や、夜景なんかも、俺のアパートから見える奴だし。


 間違いない。

 そして、こんなことやってたのか、あのアホ狐。


「ブログの閲覧者数もすごいじゃないですか!! すげぇ、桜さん、すげぇ!!」


「う、うん、まぁ、そうね」


「今度、生で紹介してくださいよ。うっはー、この胸はすごいわ。上司の彼女だけど余裕で○けるわ」


 それだけは勘弁してくれ。そんなことを思いながらも、確かに、胸さえあれば、そこそこいけてるんだろうな、あの狐娘も、とか、思ってしまう俺がいる。

 とりあえず、帰ったらちょっと詳しい事情を聴いてみるとしよう。


「――ちわぁ、庶務課なのじゃぁ。蛍光灯が切れたと聞いて、飛んできたのじゃぁ」


 ふとそのとき、フォックスビュラスなブログ主の声が、第二営業部の部屋に響いた。しかしながら、誰もそれがそのブログ主だとは気づかないのであった。

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