31作目は懐かしの本棚から

 読了20161109&10

『少年』芥川龍之介 初出「中央公論」1924(大正13)年4、5月

 約1万5千字

 

 実家の本棚の一画に、かつての愛読書が並んでいるのを見つけた。

 その中の一つが『少年・大導寺信輔の半生』(短篇集)文庫版だった。そうか、受験勉強時代に何度も読んだのはこれだったのか、と懐かしさに誘われて、本作を読み返してみた。


 越し方を思わせる茶変色した文庫本を途中からえあ草紙に切り替えて読んだ。青空文庫に感謝。http://www.satokazzz.com/books/

 2日間での読了。


 主人公の保吉は芥川龍之介自身とされる私小説に近い作品だ。こんなにも鋭く豊かな感性を幼少期から抱えていたのなら、作家になる以外にどんな道があったのだろうと思われるほど、繊細で丁寧ながら生き苦しさまで感じさせる筆だ。


 大人になると子供時代をつい美化し過ぎることがある。作者はそんな大人のご都合主義を突いて、幼少期の自らの目に映った「真実」を読者(周囲)に伝えようとする。海を青いと思うのは沖まで到達する大人の考えであって、浅瀬にしか足を踏み入れられない幼い子供には代赭色たいしゃいろ(泥に近い色)にしか見えない――確かに幼い頃私もそう感じたことを思い出した。

 それを母に言っても通じない、信じてもらえない少年の気持ちは、ここに綴られることで昇華していくのだと感じた。


 他の作品同様に、自然風景の描写は丁寧で鮮やかだ。だが特にこの作品においては、幼くして母を亡くした芥川龍之介が、なぜ自分の身にそのような不条理が降りかかるのか、という永遠の命題を自然を見詰めることで、その摂理の中から何らかの納得できる答えを導き出そうとして対峙しているように思えた。


 これは夏目漱石の作品でも感じたのだが、両者ともに幼くして母から切り離されたことで長く蓄積した恋慕と喪失感が作品の根底に揺蕩うように感じる。それが彼らを書くことへの執念のような何かをたぎらせたのだとしたら、それもまた神の与えた使命であり、試練でもあったのかもしれないと思った。


 余談だが、第2章「道の上の秘密」で通称つうやという15,6歳の女中が保吉にことあるごとに「何でしょう?坊ちゃん、考えてごらんなさい」と問い掛けることで保吉の教育に力を添えたいと考えていたらしいとあるが、驚いた。これは今話題の「アクティブ・ラーニング」ではないか。いかにも欧米流の新しい手法のように伝わってきているけれども、90年も前に既に日本で普通に10代の女性が口にしていたとは。やはり芥川龍之介、恐ろしやである。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る