23作目は教科書掲載の作品

 読了20161101

『走れメロス』太宰 治 新字新仮名版 「太宰治全集3」ちくま文庫、筑摩書房

 1988(昭和63)年10月25日より

 約 1万字


 同じ太宰の作品でも昨日とは両極端な内容を敢えて選んでみた。

 作品を読む時代や自身の年齢によって受け取り方は異なってくる。

 教科書で読んだ頃は愛と友情、人を信じることをテーマに描かた作品だと思っていた。

 その要素はもちろんそのまま残るが、それから数十年の人生経験の後に改めて読むと、人は何のために生きて、何を残していくのか、がメインテーマではないかと感じた。


 メロスが日没に間に合わなくとも、どうせ待っているのは王による処刑、つまりは死だ。途中で自然の猛威に曝されたり山賊に襲われたりしながらも突破していくが、よしんばそこで命を落としたとしても、いずれは死が待っている。

 なのになぜメロスは友の元へと急ぐのか。


 後に残されるものへの思いやりなのか、誠実に生きた証としての名誉を守りたいのか。

 最後まで彼を突き動かしたものはなんなのか。


 それを、教科書の時代は、親友への信頼を裏切らないため、相手を信じ、自分を信じてくれたものに応えるため、と読んだ。いや、そういう感想を求められていることを察知して、解答欄にそう書いただけのことだ。


 そして人生の後半戦にある自身を振り返り、自分は何を残そうとしているのか、何が残るだろうかと思いを馳せる。

 メロスのように、形振なりふり構わず走れるだろうか。その先に自分を待っていてくれる親友は居るか? 大事な人は居るか?


 文章修行という点では、文体と描写について、迫力ある描写と心情表現が印象に残った。

 また、三人称でスタートしながら、メロスが妹の婚礼を終えて友の元へ帰ろうとするところから「私」に変わるのに気づいた。王城に向かうプロセスは、三人称と一人称が入り混じる。しかし違和感はない。読者はメロスに感情移入しながらも、客観的な第三者・まるで神のような視点で「果たしてメロスは間に合うのか」という臨場感を味わうことができる。


 そして、冒頭である。最初の3行、あるいは冒頭ページに何を込めるかは多くの作家が腐心する点だと思うが、この名作が「メロスは激怒した」で始まるのを昔はとても唐突に感じたが、いまでは、さすがの文豪はやはり上手いと思った。




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