リアスアーク美術館午前の部

舟の下にまち。子たちを囲う年寄りたちのとなりで。軽くなったペットボトル。

 ジイジイジイジイ。


 顎から汗が滴った。酸素を欲する肺袋が心許ない。アプリのマップと美術館への案内表示板を頼りに山をのぼった。

 漕いでのぼれるほどの筋力も体力もなくて、ハンドルに這いつくばるようにしてずるずる斜面をのぼっていた。


 周囲は鬱蒼とした針葉樹林に囲まれている。ミンミンゼミとアブラゼミが鼓膜を震えさせる。

 そのなか、山の裏手から人の声がしていた。茹だる頭が坊主頭を想像する。これはきっと野球部の声だ。高校が近くにあるみたいだった。


 いつまでも続くと思った道は唐突に終わった。山のなかに車がひしめく駐車場と巨大なガラス張りの建造物が現れた。


 その建造物は方舟というより体育館みたいに見える。抱いた印象は的確だった。そこは気仙沼市立総合体育館だった。

 利用者だろうか、散歩してる人がちらほらいる。利用者にしては高齢な方が多くて、スポーツをするという雰囲気が感じられない。ウォーキングというよりかは、手持無沙汰でぶらぶら歩いてるように見える。

 歩く人歩く人の視線がいちいち刺さる。その目に疎外感を抱きつつ、駐輪場に自転車を置いた。都内の駅前みたいに大量の自転車があった。


 駐車場を縦断するデッキから山の頂上へ行けるみたいだ。頂上はここから二、三十メートルといったところだろうか。ちらっと四角い箱状の建造物が見える。辿り着くまでに長い階段と坂道を歩かないといけないらしい。

 一度休憩しよう。


 旅をすると曜日感覚がなくなっちゃうけど、今日は水曜日だったと思う。でも広大な駐車場は七、八割埋まっている。有名チームがなかで試合でもしてるのかと思ったけど、そんな熱気はない。


 デッキの影で子供たちがゲームをしている。なんのゲームかはわかんないけど、三人の男の子が3DSに視線を落とし、ベンチの上で胡坐をかいて黙々とペンを動かしている。


 その背後にプレハブが建ち並んでいた。


 グレーの波状の屋根に、のっぺりとしたアイボリー色の外壁。十の玄関が連なっていて、長屋を思わせる。


 三輪車とか、サッカーボールとか、物干し竿に白い野球着とか、ドライフラワーの表札とか。新興住宅とも、古くからある住宅街とも違う空気があった。

 駐車場の山側をなぞるように、大体百世帯くらいの暮らしがここにあるみたいだった。駐車場の自動車や人の多さは、この仮設住宅があるためだったんだ。


 日陰はどこも先客がいたのでデッキにのぼることにした。ここからだと仮設住居がひしめくさまがよく見える。


 体育館と美術館が間近にあり、もう少しのぼれば高校もある。ここはきっと気仙沼の文化的中心地だ。山をおりればバイパスがあって、たくさんのチェーンストアが並んでいる。車さえあれば不自由しないように思えた。


 たくさんあるぞお。仮設住居についてそう言って笑った南三陸の男性を思い出した。ここに住まう人たちはまだ恵まれてるのかもしれない。


 奥まった部分の広場で笑い声が聞こえている。ここからだとあまり見えないけど、ボール遊びをする小さな子と、大学生くらいの年齢の人たちがいた。

 都会風な服装でそんな気がしたのかもしれない。大学生くらいの人たちはみんな、ボランティアなのだと思えた。

 児童とはしゃぐ人が四人。他にそれを見物するお年寄りと、話に付き合っている三人のボランティアがいて、児童が投げるボールを目で追って拍手していた。


 汗を拭う。その光景を手すりに肘を付けて見つめていた。熊本で地震があったあとでも、こっちに来るボランティアの方はいるんだ。漠然とそんなことを思った。


 被災者との距離が近い。笑いながら頬が触れ合ってしまうようなそんな近しさだ。きっとこの夏以前も訪れていたのかもしれない。

 だって、五年だ。わたしが高校受験してるあいだ、この地で交流してた人がいたって不思議じゃないし、厚みのある関係が築かれてて普通だと思う。


 市街地で目撃したコミュニケーションを思い出す。あれはあの日以前から培われてきたものだと思う。

 ここは、五年。市街地に比べたら短いけど、それでも社会の輪ができつつある。


 感心する、けど、ここも〈仮設〉の関係なんだ。そのプレハブの下は駐車場だ。いつの日かばらばらの新居に移る。いつその時が来るかはわからないけど、子供たちははしゃぎ声をあげてボランティアと輪になって、くるくるアスファルトの上を飛び跳ねた。


 わたしは外の人間で、部外者だ。あのボランティアの方も外の人間だ。でも部外者じゃない。だからあの人たちとはまったく違う目で被災地を見てるんだと思う。いいとか、悪いとか、そういうのじゃない。


 ただ、羨ましいと、そんなふうに思った。ほんのちょっとボランティアとしてこのまちへ行ってたと想像したけど、そんな自分はありえなかった。だって、あの人たちは自分の意志で、行きたいと思って、ここへ来たんだから。


 ボランティアの意志に比べたら、わたしの動機なんてひどい。三ツ葉を知ることよりもっとずっと優先すべきことがあるんじゃないか。そんなふうに卑屈にもなる。


 でも、心が沈むことはなかった。

 被災者やボランティアとのあいだに決定的な断絶、触れ合えない溝があることは哀しいことだけど、その感覚はわたしだけのものなんだから、大切にしていきたいと思った。


「行こっか」

 デッキの先にある階段を見た。何度も折り返して斜面をのぼり、雑木林に消える。リアスアーク美術館はその先にある。


 軽くなった飲料を一口取って、ステップを踏んだ。

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