にゃに。露天からの地平を語る依利江。一年と何ヶ月。

 ただ……これはきっと個性なんだと思う。大切なものを独り占めするのはなんかイヤだった。


「おはよ、三ツ葉」

 部屋に戻ると、胸がはだけさせた三ツ葉が横になっていた。


「にゃに……朝風呂ぉ?」

 呂律が回ってない。

「うん、朝風呂行ってきたよ」

 三ツ葉の布団の前で正座する。


「元気だねえ」

「日の出、見たよ」

「日の出ぇ?」


「すっごかったよ。すこしずつ東の空が白んでいって、星がひとつ、またひとつ、消えてくの。そんで、来る……そんな予感がして、それからオレンジの光が出てくるの! その瞬間時が止まった。いやいや、冗談に聞こえたかもだけど、ほんと、止まったように感じたんだよ!

 海はもやがかってて、それが陽を浴びて橙色を帯びるの! きれいだった、すっごく、きれいだった。カモメかウミネコがさ、飛んでるんだけど、それもオレンジに染まってるの。雲も、岸壁も、わたしの肌も! 一枚の絵画。なんかね、今日が始まるんだなって! すっごくきれいだった」


 話し込んでるうちに、三ツ葉はいつの間にか枕を胸に抱いて胡坐をかいていた。前のめりになって、ぼさぼさの髪も気にせず話に耳を傾けていた。


「私も一緒に行けばよかったかなあ」

「そうだよ! すっごいきれいだったんだから!」


 正直、言っても言ってもあのきれいさは言葉にならないと思う。むしろ言葉で飾るほど美しさに泥を塗ってる心地になった。

 口走ってるという言い方が的確なんだと思う。わたしは朝陽の美しさを喋ってるんじゃない。朝陽の美しさに感動したわたしを表現してるんだ。


「旅誘って、よかった」

 小さな息と共に三ツ葉は背伸びをした。

「え、なにそれ。もしかしてずっと後悔してた?」


「若干ね。昨日、あんな辛そうにしてたしさ。どう声かければいいのか正直わかんなくて、変なこと言っちゃったかなって」

「あ……気付いてた?」

「当たり前でしょ。顔色悪かったし。『来なかったほうがよかった』なんて言われて、気付かないわけないっての」

「ごめん……」

「謝るのはこっち! 私も依利江のことなにも考えてなかったわけだし……。また出直す?」


「え、続けたいよ。こんな旅、めったにできないし」

「ムリしてない?」

「ムリしてない! わたし、ちゃんと見たい。この目で。いろんなまちを!」


 わたしたちは睨みあった。こうして三ツ葉に強く意見するの、なかったかもしれない。今までは提案ばかりで、決定権は向こうに委ねていた。


「やっぱ、旅誘ってよかったよ。依利江の言葉で心動かされたの、一年ぶりじゃないかな」

「一年ぶり?」

「一年と何ヶ月前だっけ。初めて会ったくらいのときだよ。ほら、食堂で依利江がさ……ああ、それ今関係ないか」


「言いかけたら全部言おうよ」

「趣旨がズレるんだよ。言いたいのは、朝風呂行かなかったの、後悔してるってこと。心のフィルムに収めるべきだったんじゃないかなって。温泉ってさ、依利江の言う通り、いいところだね」


 いい話、みたいに締めくくられる。一年ぶりって言葉が気になるけど、訊くに訊けない。わたし、なんかやったっけ?

 昔のことなんて記憶にない。毎日毎日一生懸命で、記憶に割いてるヒマはなかった。大学で円滑な人間関係を構築するには、最初の数ヶ月が肝心だからだ。

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