第11話 王者の戦い

 ひかりが連れてこられたのは町はずれにある山の頂上だった。ハーピーに運ばれて空から見えていたので下の様子がよく見て取れていた。

 その山には多くの魔物達が集まっていた。


「あそこは辰也の家が所有している私有地なの。言わば辰也のホームグラウンドってわけね」


 頭上からハーピーが説明してくれる。

 つまり辰也は自分の有利な場所と条件で勝負を挑もうとしているわけだ。勝負には地形も大きく影響する。それぐらいのことはひかりにも予想出来ていた。

 だが、ハーピーはその予想を否定してきた。


「罠は無いと思うわ。辰也はあなたを見下しているからね。ただヴァンパイアの決めた舞台が気に入らないんでしょうね。あの人はそういう人だから。それでもみんなに勝利をアピールする必要はある」


 頂上に開けた広場には武闘会が開催できそうな石造りの大きなリングがあった。

 ひかりはその上に下ろされた。


「それじゃあ、頑張ってね、ひかりちゃん。あたしはあなたを応援しているから。せいぜい辰也を困らせてやってから負けてあげてね」


 ハーピーはそう言い残し、飛んでリングから降りていった。

 舞台に立ったひかりの正面では辰也が待っていた。ひかりがじっと見つめていると、彼が話しかけてきた。


「そう嫌そうな顔をしなくてもいいだろう? お前のために学校で祭りを開いてやったんだ。今度は俺の祭りに付き合ってくれてもいいはずだ」


 辰也の有無も言わせぬ断定した発言。さすが竜帝の孫というだけあって性格も似ているようだ。


「あの祭りは会長が?」


 ひかりはびっくりした。だが、生徒会長の権限なら出来ることだろう。彼は言った。


「ヴァンパイアが偉大だったことは確かなようだからな。だが、その時代も今日ここで終わる。去りゆく時代への俺からの手向けと言うわけだ」


 辰也の視線が闘志を宿す。ひかりはびくっとして身構える。


「時間だな。さあ、始めるぞ。竜の歴史の始まりとなる戦いをな」


 まるで世界チャンピオンのような堂々とした態度。それは本来ならひかりの取るべき物であったが、まだ時間が早かった。ひかりは戸惑ってしまう。


「まだ夜じゃない」


 空は暗くなってきてはいるが、ひかりにとってはまだヴァンパイアの本領を発揮できる時間では無かった。


「誰も気にはしないさ。今の恰好の君ならな」


 辰也は歩み寄りながら、上着を投げ捨てた。近づいてくる姿にひかりは僅か身を引いたが、この場所に逃げ場は無かった。

 辰也の体が竜の物へと変貌していく。そして、巨大なドラゴンへと変身した。

 彼の牙が並ぶ獰猛な口が告げる。


「簡単には終わってくれるなよ。少しぐらいは盛り上げんと、納得しない奴も出てくるだろうからな!」


 竜の爪が振り下ろされる。本気ではない遊びの一撃だ。

 だが、今のひかりには立ち向かうことも受け止めることも出来ない。身を竦ませながら下がるだけだ。

 最初から狙うつもりは無かったのだろう。竜の手は前の地面を強く叩いただけだった。だが、それでも強く震える振動がひかりの体を揺さぶった。

 転げそうになるのを何とか耐える。ここにはみんなの目がある。

 ヴァンパイアの自分が無様な姿を見せるわけにはいかない。その意地は今のひかりにもあった。

 竜は顔を上げて見つめてきた。余裕のある態度で告げる。


「どうした? まだ夜ではないとはいえ、全く力が出せぬわけではないだろう」


 確かに辰也の言う通りだった。夜が近づき、ひかりの中では能力が目覚めつつあった。だが、本調子にはほど遠いものだ。

 チートでない力を振るったところで相手に遊ばれるだけだ。それこそ辰也の望む通りに。


「まあいい。夜が来るまでは痛めつけてやる程度にしてやる。とどめは夜でないと締まらないからな」


 ひかりには降参することも出来ただろう。だが、しない。それはヴァンパイアである自分の取る行為ではないから。

 完全なる覚醒にはほど遠くても、ひかりの中には意地がある。

 ヴァンパイアは王者であり、それは誰かに負けなどする存在では無い。

 竜が攻撃を放つ。彼にとっては戯れの攻撃。だが、ひかりにとっては危機を感じる攻撃。

 攻め手が無いわけではない。近づければ打つ手はある。だが、竜はそれを知ってか知らずか、ひかりの接近を許さない。

 ひかりが攻めあぐねていると、そこに知っている声が呼びかけてきた。


「ひかり!」


 駆け寄ってきた少年は紫門だった。彼はすぐにリングの上へ飛び乗ると、ひかりを庇うように前に立った。

 竜の瞳が邪魔な侵入者を見つめた。


「なぜここに。フランケンを倒したのか」


 紫門は竜を前にしても臆せず言い返す。


「あいつなら狼男が戦っているさ。あんまりしぶといんでな。奴に押し付けてきた。あいつも腕を上げていたな。ひかり」


 紫門は竜と相対しながら、ひかりに片腕を差し出してきた。


「血を呑め。それで奴と戦えるんだろ?」

「わたしのこと……」

「気づいてたに決まってるだろ。お前は隣の席にいたし、隙だらけだったしな。伺う機会はいくらでもあった」

「あう……」


 そう言われると身も蓋もない。


「お前の家までこっそり付けたことも気づいていなかっただろ?」

「それってストーカーじゃ……」


 ひかりの言葉に紫門は少し顔を赤くして答えた。


「俺はヴァンパイアを倒すためにこの町に来たんだぜ。お前が甘いんだよ。この町の資料でもいろいろと調べさせてもらったよ」

「でも……」


 紫門はあの夜以来戦いを挑んでは来なかった。気づいていたならもっと早くに、あるいは昼に来ても良かっただろうに。


「決定打が無いと言っただろう」

「うん……」

「それに昼は人の目があるしな」

「人の目……?」


 そうは言われても、ずっと他人と関わらずに生きてきた自分にはピンと来ない。

 教室でも一人で席に付いて考え事をしているだけだし。

 紫門はため息をついたようだった。


「お前はお前が思ってるよりずっと多くの人達に気にされてるんだぜ。お前ももっと周囲に意識を向けろよ」

「そんなこと言われても……」


 ひかりは困るしか無い。


「俺はあれからお前を倒すために力を付けた。戦法も考えた。だが、どうしても見つけられなかった物がある。それが決定打だ」

「決定打……」

「それにな。困ったことに俺はその……お前のことが少し気に入ったらしい。隣の席のクラスメイトが困っていたら助けてやらないと。そう思えるぐらいにはな」

「紫門君……」


 ひかりは自分がそう言われたことに驚いた。自分はいつだって他人と関わらないように生きてきたのに、こんな自分を気にしてくれている人がいる。

 それはひかりにとっては新鮮な気持ちだった。彼は行動を促してくる。


「早くしろ。奴もいつまでも待ってはくれんぞ」


 竜が鼻息を鳴らして一歩近づいてくる。高い場所から大きな顔で見下ろしてくる。


「人間が。この新たなる竜帝を前にしても退かぬとは見上げた心意気だ。だが、ここはお前の立っていいリングではない。俺とその小娘の勝負を決する場所なのだ。ハーピー、こいつをつまみ出せ!」


 竜は自分で排除することを選ばず、リング脇に控えていたハーピーに命令を出した。


「はいはい」


 呼ばれた彼女はすぐに飛んできて、竜と紫門が対峙する間へと降り立った。


「部外者の乱闘は好みじゃないんだけど、あたしも雇われている身なんでね。王様の気分はよくしておかないと」


 彼女は戦闘の構えを取った。紫門を本気で戦うべき敵だと意識している構えと気迫だった。

 紫門はハーピーを見、すぐに竜へと視線を移した。


「なぜ自分でやらない? 分かっているぞ。お前はひかりの力を恐れている。自分の目的外のことで僅かな力を使うことすら恐れているんだ」

「この俺が何を恐れるものか!!」


 竜が吠える。周囲を揺るがすほどの大音響だ。だが、誰も行動を起こさなかった。

 その間に動いたのはひかりだけだった。目の前の彼に話しかけた。


「紫門君、もういいから」

「ひかり?」

「これはわたしの戦いだから。だから副会長も紫門君もリングを降りてください」


 静かだが、確かな意思を込めた声で告げる。

 竜とハーピーは目配せを交わす。紫門はひかりに答えた。


「分かったよ。よく考えたらハンターの俺がお前に力を貸すのもおかしいしな。だが、勝てよ。お前を倒すために俺はわざわざ頑張って修業してきたんだからな」

「うん」


 紫門はひかりに手を振ってリングを降りていく。


「じゃあ、あたしも。観客を喜ばせる戦いをしてよね、二人とも」


 ハーピーもすぐに飛び立ってリング外へと着地した。

 ひかりと辰也は再び向かい合った。もう邪魔する者はいない。

 振りだしに戻ったとも言えるが、戦局は変わっていた。

 竜の獰猛な視線に、ひかりはもう怯えてはいなかった。


「助けを求めなくて良かったのか? 僅かの勝てる可能性を不意にしたかもしれんぞ」

「それで勝っても、あなたも魔物達も納得しないでしょ」


 戦いの始まる空気に、周囲では魔物達が応援の声を上げて盛り上がっている。みんなが注目しているのは最初から二人の戦いだけだ。

 紫門やハーピーなど前座とすら意識されていない。

 これから本番が始まる。その戦いの空気を誰もが感じていた。

 ひかりは本調子には程遠いながらも戦いを意識した。


「この舞台にわたしとあなた以外は必要ない!」

「違いない。だが、馬鹿な行動だ!」


 竜が腕を振り下ろしてくる。ひかりは素早く避けた。竜はその姿を見失っていた。


「何!? どこに消えた? 逃げたのか!?」

「ここだ!」


 ひかりは隙を付いて竜の首筋に噛みついた。

 今のひかりには不完全な力しか使えなかったが、それを一瞬に賭けて発動させた。

 足がきしみ、体が痛んだが、何とか不完全な体でも付いてきてくれた。


「ぐおおお! こしゃくな!」


 止まった蚊を潰そうと竜の手が振るわれてくる。ひかりは素早く離れて上空へと飛びあがってからリング上へと着地した。

 竜が忌々し気に見つめてくる。


「そんな蚊の鳴くような攻撃が通じると思ったか? 不十分な覚醒から振り絞った力を無駄にしただけだ」

「問題無い。わたしの目的は果たされた」


 ひかりは口元に付いた血を拭った。それは辰也から奪い取った血だった。


「わたしはもう……負けない!」


 こみ上げる力。それを一気に覚醒させた。


「わたしに認められるのは、ただ勝つことだけだ!」


 その迫力に辰也は気圧されていた。


「馬鹿な! もう夜が来たのか!?」


 辰也は空を見上げた。

 空は暗いが、まだ完全な闇は訪れてはいなかった。ひかりは静かに告げる。


「わたしを目覚めさせるのは夜だけではない。わたしは無敵のヴァンパイア!」


 いつもの戦いの気がひかりの中を満たしていく。後はいつも通りに戦うだけだ。


「それで勝てると思っているのか!」


 竜の腕をひかりは両手に現した漆黒の双剣で受け止めた。お互いに押し合う。


「力は互角か。だが!」


 竜ははばたき宙へと舞い上がった。


「くらえ!」


 灼熱の炎が吐かれる。ひかりはリングを走って避けるが、炎は追いかけてくる。

 ひかりは飛びあがり、宙を飛ぶ竜へ向かって双剣を振る。竜は爪で受け止めた。


「お爺様のように勝てると思うか? 甘く見るなよ! 俺はもう奴よりも力を付けているのだ!」

「ならば正々堂々と戦えば良かった」

「己惚れるなよ! 俺はお前など恐れてはいない! 手を使わずとも99.9パーセントの勝ちはあったのだ。だが、王者には僅か0.1パーセントの負けとて許されん。俺がやったのはその僅かを埋める行為でしか無いのだ!」

「それで今ではその勝率は何パーセント?」

「決まっている! 100パーセントだ!」

「ならばその勝率をわたしのチート能力でひっくり返す!」


 ひかりと辰也はお互いに弾きあい、離れた。


「これでも食らえ!」

「そんな物か!」


 ひかりの放つ雷撃を竜は物ともせず突っ込んでくる。目の前で風を巻き起こして急上昇し、すぐに上から突っ込んできた。

 ひかりは風の中で敵を見失いかけたが、何とか上に剣を向けて受け止めた。だが、勢いを殺しきれない。そのまま竜に押されるまま地面まで落とされてしまう。

 竜はさらに突撃し、山の斜面をひかりの体ごとえぐりとっていく。


「認識を改めろ。お前は王者ではない。お前の前にいる者こそが王者だと!」

「改める必要なんて無い。わたしの前にはわたしに倒されるべき敵しか存在しない!」


 それは相手がテロリストだろうと竜だろうと同じことだ。


「わたしはチート能力で無双する! 夜のヴァンパイア!」


 ひかりは竜の鼻づらを叩いて飛びあがった。

 竜は一瞬地面に叩きつけられたが、すぐに起き上がって後を追って飛びあがる。

 ひかりは夜空の中で体を旋回させた。勢いを殺さないまま竜に向かって飛び降りる。


「終わりだ!」


 黒剣がひかりの意識を受けて闇に光る。

 時刻はすでに夜となっている。ひかりにとっては万全の力を出せる状態だ。

 この状態の自分が誰かに負けるなどありえなかった。ひかりは自分の中の力を信じられた。

 突撃してくる竜の体へと、ひかりはすれ違い様に漆黒の双剣を振るった。


「俺が王者……闇の世界の王者……」


 竜は空へと手を伸ばし、着地したひかりの背後へと墜落した。

 ひかりはゆっくりと歩み寄る。

 辰也の姿は人へと戻り、ひび割れたリングに倒れていた。

 ダメージを受けたその体は動かなかったが、瞳は戦う意思を失ってはいなかった。


「認められるか。お前が王者などと」

「でも、みんなは認めている」


 周囲の魔物達は盛り上がっている。勝利者へと歓声を上げている。

 ひかりはその声に答え、勝利を示す剣を振り上げた。


「くそっ!」


 辰也は忌々しそうに目を閉じた。

 彼がどうあがこうと、戦いの決着はもう付いていた。

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