罠 後編

★2503年 3月11日朝 旧ホラ領 タドス村付近 ティア


「ゲネス、ゲネス、被害状況を確認、副長のニコスに命じて数えさせて」


 私の指示に、近くにいたゲネスが副長のニコスを呼び出し伝達をする。


 乱戦ではあったが、魔獣の群れの大半はあまり強くはない角ウサギだったおかげで、他の少々手強い魔獣を倒してしまえば、残りは簡単な単純作業のような物だった。

 辺りには、大量の魔獣の死骸が転がっており、血臭が鼻を突く。


 角ウサギは料理にすると美味しいお肉になるのだけど、さすがにこの光景見ると食欲がなくなるなあ。


 激戦だったのにも関わらず、新兵の何人かは倒れているが、誰も死んでは居ないようで少しホッとする。

 後ろを振り返ると、私が乗っていた馬車の周りにやたら兵士が集まっている。


「ホリー先生、お怪我はありませんでしたか」「先生、俺の活躍を見てくれましたか」「先生見てください、俺が倒した斑目カエルです」


 こいつら……


 自分が倒した魔獣(グロ)を自慢げにホリー先生に見せようとしてるバカの群れがそこにいた。


 先生嫌がってるじゃん。

 小学校にザリガニ持ってきて女子に見せてドン引きされてる男子ですかね。

 バカなんですね。


「こらー、お前らそんな所で頭の悪いことやってないで、怪我人の救護に手を貸せ」


 お祭りみたいになってる馬車の周りから兵士達が解散する。

 ホリー先生も下に降りて怪我人の救護に当たる。

 コイツラを叱りあげてシッシってやってると、後ろからゲネスがやってきた。


「姫様、少しお話が」

「うん? 何、周囲にまだ魔獣の群れが残ってないか見に行ってもらいたいんだけど」

「ええ、それが、この現象なんですが、心当たりがあるんです」

「え? 何か知ってるの?」


 私も、この集団になった魔獣が襲ってくる現象など聞いたこともない、それにこの霧も今思うと不審な霧だ。


「ええ、姫様、この霧と同じ現象を知っています。昔私の生まれた家が帝国内で貴族いた事は以前話したと思いますが、その時の事です」


 ゲネスは、自分の昔話を始めた。


「我が家は、帝国内部でも強力な魔獣の多いピュータハゴラス山の麓にあり、獣人騎士団を中心とした強力な兵力を有した有力貴族でしたが、セト教内部の教皇庁と新教との宗教対立に巻き込まれ、皇帝の率いる軍に攻め込まれました」


 うちのお父さんが帝国を離れるきっかけになった、宗教対立の話しだ。

 実際にそこに居た人達大勢の人生を狂わせたのね。迷惑な話しだ。


「この時、父上と兄上の率いていた軍が進軍中、本陣がこの霧に道に迷わされ、何度も魔獣襲撃を繰り返し受けて壊滅させられたのです。当時の父上の軍に従軍していた兵で、生き残った者からの報告により分かりました。馬車の物陰に隠れて助かった兵の言うことでは、最後の魔獣襲撃の後、現地に女のような格好をした男2人が現れ、父上や兄上達の遺体から魔石を回収して帰っていったそうです」


 女のような格好の男2人? それって。


「ちょと待ってゲネス、その女装の2人って、同じ顔をしていた?」


 私が問いかけると、ゲネスの目つきが鋭くなっていった。


「姫様、私が聞いた話しと同じです、女装をした同じ顔の2人組です。どうやらここに帝国の殺し屋がやってきているようですね。恐らく、霧は何らかの高度な幻術によって引き起こされた物です。そして付近の魔獣を呼び寄せる術があり、その女装の2人組によって引き起こされたのだと推測されます」


 幻術……水精霊魔法に属する目眩ましの魔法だ。以前ムンドーじいじと一緒にホラの街から脱出する時、山の中で魔獣から隠れて移動中、じいじが水精霊魔法で私達を包んだあの魔法だ。

 どんな方法を使っているのか分からないが、その幻術を強力にした物に私達は今遭遇しているらしい。


 マズイな、ムンドーじいじが居てくれたら、その手の知識や強力な索敵の風精霊魔法でどうにかなったかもしれないが、今いるメンバーで強い索敵の風精霊魔法を使える者はいない。


「それで、その幻術を破る方法は分かるものは居ないの?」

「姫様申し訳ありません、私達では」


 ゲネスが首を振る。

 幻術を破る手段が今は無いなら、考え方を変えよう。


「クソッ……だけど、この地の魔獣が弱い物ばかりで助かった、例え大群でも角ウサギや大土イタチ程度であれば、襲ってくるのが分かっているし、この装甲馬車でどうにかなる。山にいる魔獣の数にも限りはある。守り通せばいい話ね」


 幻術を破る方法が分からないのならば、魔獣を呼び寄せてくる術の限界まで耐えれば良い話しだ。

 ついでに周辺警戒をしてその2人組を倒してしまえれば倒そう。

 ゲネスも私の方針に頷く。


「貴重な報告ありがとう、ゲネス、お前と一緒に馬に乗ってる者で周辺警戒をして。2人組を見つければ即殺害。これ程の術を使う者だから、躊躇は無しで」


 ゲネスには、その2人への因縁があるようだが、即殺させないと余計なイベント発生で逆襲されるフラグ立てられたらかなわない。


 ……それにしても、帝国からの殺し屋はどうやってこの地に私達が来ている事を知った?

 尾行に対する対策は万全を期したはずだ、ムンドーじいじの索敵も使ったし偽装工作も行った。

 もし尾行されたとしても、この幻術は大規模な物なので何らかの準備も必要だろうが、その時間をどうやって作ったのか?


 私はちらっとホリー先生の方を見る……いや、違うな……


 もしかしたら、この世界の魔法の類に日本時代にあったGPSのような物でもあるのか?

 そんな都合の良い物があれば、作戦会議の席上でムンドーじいじから指摘されたはずだし、その可能性も有るかもしれないが、今不確定な事は一旦脇に置いて、現状を打破することに思考を持っていかなければ。


 周りを見渡し、うちの兵士達の状況を確認してみる。

 今、兵士達は、怪我人そっちのけで倒した魔獣に群がり、素材採取をやろうとしているが、どうやらこの先も複数の襲撃があるらしい……ならば、怪我人を馬車に乗せて、いつでも移動できるようにしておくべきだな。


「おい、お前たち、怪我人をすぐに馬車に乗せろ、いつまた魔獣の群れが襲ってくるか分からないんだ、そんな物捨てておけ」

「ええ、姫様、勿体無いですよ、こんなお宝の山を捨てておくわけにはいかないでしょ」


 他の兵士達も頷いて、また下に落ちてる魔獣から皮を剥いだり牙を抜く作業に戻った。

 ゲネス隊の奴らは、私の命令に従って怪我人と荷物を馬車に戻しているが、新兵たちの動きがダメだ。

 訓練が足らなさすぎて、命令より眼の前のお宝に夢中になっている。


 チッ、こんな時にマズイな、私が新兵たちを殴り飛ばそうか考えていた時だった。


 ヴァオオオオオオオオオゴアアアアアアアアアアアアアアアアアア


 ビリッビリビリ

 突然の雷鳴のような咆哮が、辺り一帯の空気を振動させる。

 

 何が起きたのか分からないが、あまりの巨大な音の圧に一瞬意識が飛びかけた。

 私達の集団の中で、真っ先に意識を取り戻した私が目にしたものは、辺りの精霊がうねるように飛び交い、逃げ惑う様だった。


 大気中にこんなに精霊って居たんだ、普段は見えないだけだったんだな。

 などと呑気な事を思った時、精霊が逃げてきた方向の霧壁から巨大な影が姿を表した。


 え?


 霧の向こうからゆっくりと姿を表したのは、巨大な熊だ。

 背中のたてがみは、燃え盛る炎のように真っ赤にそびえ立っている。

 四肢を地面につけた姿にも関わらず、家が動いているような大きさ、桁違いに巨大な身体。

 ……見覚えがある、以前、じいじと一緒に山越えの時に見たあの巨大な火炎熊だ。



 その場にいた全員が、目を見開き、おこりのように身体をガチガチと震わせている。

 全員の脳にはハッキリと『逃げろ』と命令が下っているが、誰も逃げ出せない。

 こいつは『死』だ、死が火炎熊の形を取ってるんだ。

 皆の魂をガッチっと喰わえこまれ、肉体を心の牢獄に繋がれた全員は、目の前で真っ赤に燃える巨大な死の生贄になるべく、自分を捧げようとしているかのようだった。


 残念ながら私も同じだ。

 何が勇者だ、巨大過ぎる死を前にすれば、勇者として転生したこの私にも何も出来ないじゃないか。


「ハハハ」

 乾いた唇から声が漏れた……いや、口を動かせただけでもまだましか。


 巨大な火炎熊の頭が何かを探して動く。その目がゆっくり私を見て、眼が合った。

 距離はあるので気のせいかもしれないと思いたいが、明らかにその目には意思の力があり、邪悪な知性で私をハッキリと狙っている事が分かった。


 ……私を狙ってるの?


 フッフッフ……フウー


 息を吐き出す、そしてゆっくりと腹式呼吸で吸い込んだ息をヘソの下まで下ろす。

 緩慢ではあるが、私の肉体の隅々へと自分の意志がゆっくりと伝達していく。

『死んでたまるか』

 一緒に連れてきた兵やベック達を生きて帰らせる。

 目の前の死は、死なんかじゃない、ちゃんとした生き物だ、意志を持って肉体を持った生き物だ……ならば倒せる。


「……全員、乗車」


 私は、喉から振り絞るように、命令を発した。

 私の声で地面にいた新兵達はノロノロと馬車の荷台に戻る。

 火炎熊はまだ動かない。

 兵士達が乗り終えるかどうかと言った時、火炎熊が動いた、その顔には笑いが浮かぶ。

 見た目が熊その物なのに、そこに浮かんだ笑みは、人のような笑みで邪悪さが張り付いてる。


「ゴオオオオオオオオオオオオ」


 火炎熊の叫び声と共に、こちらへと進路にある岩も木々も吹き飛ばしながら走ってきた。


「全員、パイクを持て、御者は馬車を発進だ。逃げるぞ」


 私の声に我を取り戻した兵士達が反応する。

 馬車に乗った全員が思い出したかのように、兵士として動き出し、御者は馬にムチを入れて馬車を全速力で走り出させた。


 動き出した、だが、後ろを振り返ると、火炎熊が馬車の列に迫っている。

 よく見ると、5号車にホリー先生が乗っていた。さっき下に下ろした荷物の受け渡し作業を手伝っていて、5号車に乗ったままになったんだ……

 このままだと火炎熊は、最後尾にいた5号車に突っ込む。


 マズイ、やられる。私が諦めかけた時、霧の向こうからゲネス達の騎馬が現れた。

 ゲネスの顔が5号車に乗ったホリー先生を見つける。


「チイイイイ、させるかああああ」


 ゲネス達がパイクを構えて、火炎熊の横腹へと突っ込んでいった。

 火炎熊は、ゲネス達の動きを無視して5号車へと突進してきたが、それより先にゲネス達が追いつく。

 ゲネスのパイクを先頭に騎馬に乗った兵士達が次々と、火炎熊へと突撃をして横腹を叩いた。

 グオオオオオオオオ

 火炎熊の咆哮が響く、それでも火炎熊は5号車に追いつき、馬車に爪をかけると、馬車の装甲鉄板を軽々と引きちぎり、下にあった分厚い板を砕いて乗っていた乗員達を馬車の中に叩きつけた。


 私が乗っている1号車からは、どれだけの犠牲が出たのか確認のしようがないが、それでも5号車はまだ走り続けており、横転は免れている。

 ゲネス達は、そのままそこに留まり、火炎熊へ挑発をするように周りをグルグル回っている。

 どうやら囮になって、私達を逃がす気のようだ。


「ゲネース、無理はするな、帰ってこい」


 馬車の上から指示をしても聞こえるわけはない。

 もうすぐ霧で見えなくなりそうになったとき、火炎熊の腕の一振りでゲネスが吹き飛ぶのが見えた。

 彼の身体に土の精霊が光り、どうやら土の精霊魔法で盾を作ったようだ。


 お願いよ、死なないで、生きて帰ってきて……



 彼らが見えなくなり、暫く進むと、泡を吹き始めた馬を休ませるために馬車を止めた時だった。

 後方からゲネス達の馬が走って追いついてきた。

 4頭が帰って来た……馬が足りない。

 だが、その内の1頭にゲネスが倒れるように乗せられていた。


 悪運の強いやつだ、土の精霊魔法のお陰で助かったらしい。

 それでも意識は無く、マズイ状態ではあるが、ゲネスを5号車に乗せる。5号車に乗っていたホリー先生も無事のようだが、他の兵士達は倒れたままだった。


 全員に水と非常食を与え、休息と同時に怪我人の応急処置をさせていると、またあの笛の音が聞こえてきた。


 ピーヒョーヒョーピョー


 あっと言う間に、前回同様の魔獣の群れに取り囲まれた。

 今回は装甲馬車の上からの迎撃になるので、余裕は有るはずだったが、さっきの火炎熊の影響で明らかに士気が下がっている。

 私は、迷わずその場からの強行突破を選択した。


「騎馬は先行して、道を開け、馬車はその後ろからこの包囲を突破するぞ」


 騎馬突撃によって魔獣の包囲を抜け出せたが、幻術の霧は全く晴れていない。

 今は、逃げ回るだけで精一杯だった。

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