罠 前編

★2503年 3月11日夕刻 旧ホラ領 タドス村付近 ティア


 ガラガラゴッガラゴッガラガラガラ


 霧で50mぐらいしか視界がない道を、5台の馬車が全速力で走り抜けていた。

 隊列の先頭で、3頭の馬が先導している。

 馬車の荷台は、布の幌は張られておらず天井は無い。

 大人の胸の高さまでの壁面は、分厚い木の板に薄い鉄板を張った強化型の馬車だ。去年から生産を開始した鉄鋼業技術の成果だ。

 馬車の車輪軸には、新設計されたショックダンパーの板バネが仕込まれているので、多少の無茶は効くはずだが、この全速力でいつまで車輪軸がもつかは分からない。


 全速力で走る車列の内の一台をよく見ると、鉄板が大きく引き裂かれている。

 大型獣であろうか、巨大な爪で鉄板は引き裂かれ中の分厚い木の壁が砕かれており、荷台内の様子が見えていた。

 他の馬車は、まだましで、至る所に傷が付いているがその形を保っている。


「ひ、姫様、もうダメだ、俺達はもう終わりだ、み、道が、また道が消えちまったー」


 先頭を行く斥候班の1人が泣くように報告してきた。

 私は今、5台で組んだキャラバン馬車の先頭車にいる。

 舌を噛みそうになるのを我慢しながら、馬車の荷台の一番前、足元にりんご箱を置いて上に登り、荷台の壁の上から前を見ていた。


「全軍停止」


 手持ちの停止サインの旗を上げると、全車がほぼ同時に停止する。

 御者をしているゲネス隊の練度は、上がってきているようね。


「斥候班はここで周辺警戒を密にしろ。動ける奴は各馬車から怪我人を隊列の中央に集めさせて、すぐにポーションを与えてプラーナを回復させたら傷の治療を急げ。トラビス、ホリー先生は中央で怪我人の治療を頼みます」


 後ろの5号車で、手すりに捕まっていたホリー先生の顔が、車酔いのせいなのか恐怖のせいなのか、顔色が真っ青になっているのがここからでも分かる。


「ベック、泣いてないでちょっと、ここにこい」


 同じ1号車に乗っていたベックを呼ぶ。


「ううう、姫様ー、ななんですかあ」

 パンッ!

「あいたっ」

「ちょっとビンタしたくなっただけだ、お前もホリー先生と一緒に怪我人の治療だ、急げ」


 頭の中で計算をする、消毒用のエチルアルコールは足りたか? ポーションも量はそう多くないはずだ。


「ニコス、ニコス副隊長はいるか」

「はい、姫様ここに」


 こいつは、ゲネス隊の副隊長ニコス犬族獣人18歳だ。

 私の私設学校で教えた時、ゲネス隊には珍しく計算力があったので、平隊員から副長に昇格させていた。


「防御体制を取る、馬車から馬を外し荷台を盾にして円周防御に。この状況はさっきと同じだ、またすぐに来るぞ」

「はっ、了解です。馬車で円周防御に陣を作れ、馬は中に入れろ、斥候班も呼び戻せ、急げ」


 ニコスの指示で、馬車隊を五角形に並べて円周防御の陣形をとる。

 この馬車は特別製だ、商人の武装キャラバンが多少の魔獣や盗賊の襲撃に遭っても、中の荷物や人間を守れるよう走る要塞として作られた馬車に、ヒューパ独自の工夫が加えている。


「ニコス、何割ぐらいが動ける?」

「はい姫様、全体で言えば6割ぐらいがまだ動けますが、5号車の損耗が激しく動ける兵は3名。幸い今のところ死者は全体で1人も出していません」

「分かった、ならこの1号車から4名引き抜いて5号車に当てろ、この車はまだ誰も倒れていない」

「なっ、駄目です、姫様を守る兵ですよ」

「何言ってる、5号車の壁を見ろ、あそこが一番酷い、一番弱い場所に負担が増えたらこのこの陣は一気に崩壊するぞ、精鋭を当てろ」

「くっ、解りました。そこの4名、5号車の補助に当たれ、あそこはまだ班長が残ってるからその指揮下に入るんだ」

「それから、ゲネスの容態はどうなってる?」

「はい、今のところ隊長が一番悪いです。治療で血は止まってますが指揮が取れる状態ではないです……くそっ、こんな時ダークエルフのムンドーさんが居てくれたら」

「居ない人間を当てにするのは無しだ、今使えるカードで勝負するしかないんだぞ、泣き言言ってる暇があったら頭を使え」

「はっ」


 クソッ、どうしてこうなった?



 今朝私達は、ヒューパで新しく増員した新兵30名の野外訓練を兼ねて、旧ホラのタドス村付近の魔獣討伐にゲネス隊25名、他オマケの私達総勢59名でやってきていた。

 この付近の魔獣は弱い物しかおらず、新兵の訓練にはうってつけであったはずだ。

 そして去年ホリー先生にフラれて落ち込んでいたゲネスを元気つけるついでに、仕事中の一番カッコいいとこをホリー先生に見せてゲネス株を上げてやろうとしたんだ。

 こんな危険な場所に、ホリー先生を連れてきてしまった事を後悔している。



 ピーヒョーヒョーピョー

 !


「あああ、まただ、また奴らが来る、もうおしまいだー」


 新兵が怯えている。またあの笛の音だ、おかしな臭いも漂ってきた。

 私だって泣き出したいけど、そんな事言ってる余裕がない。一度歯を食いしばり、深く息を吸い込む。


「うるさい、泣いてる暇があれば、パイク長槍を握れ、各自持ち場につけ」


「姫様、馬を使って笛の主へ強襲をかけるべきです」


 隣に立ったニコスが進言をしてくる。


「ダメだ、相手は霧で見えない、馬を差し向けようにもこの霧は幻術なんだろ、逃げられるのがオチだ。無駄に兵を減らすのは許可できない……見ろ、霧の向こうを、すでに囲まれているぞ」


 霧の向こうから魔獣と思しき目の光点が無数に怪しく光っている。


「くそっ、全員パイクを構えろ、来るぞっ」


 私の号令に合わすかのように、霧の中から魔獣の群れが襲い掛かって来る。

 動ける隊員達が、パイクを握りしめ迎え撃つ。


 私は、今回の訓練を決める事になった3ヶ月前の事を思い出していた。



★帝歴2503年1月5日 ヒューパ城 ティア


 お正月の行事も済み、通常業務に戻っていたヒューパ城に、エウレカ公国首都メデスのアルマ商会支店からの早馬の知らせが届く。

 私は、たまたま早馬が城に駆け込んできた所を見ていたが、特には気にしていなかった。


 その日の夜、食事を済ませた後で、片手に小さな袋を持ったアルマ大蔵大臣から呼び止められた。


「姫様、大事なお話があります、お時間よろしいでしょうか」

「ええ、結構ですよ、ヘラ、そこの小会議室を使うからすぐ整えて」


 後ろに立っていたメイドのヘラに準備をさせ、小会議室へとアルマさんと一緒に入っていく。


「大事な話とは何でしょうか?」

「はい、姫様、今日首都メデスから来た早馬の内容ですが、年明けから早々砂糖の価格が年末の価格に比べて4割ほどに暴落しています。姫様の作った砂糖の大半はすでに売れているのですが、今年、甜菜大根の作付面積を増やす計画に支障が出そうです」


 ……はあ?

 えっと、砂糖の価格が暴落ってどう言う事かしら?

 私が作った砂糖の量なんて、元からある市場価格を暴落させる程の量は出してないと思うのだけれども?


「どう言うこと? いきなり市場価格が4割に下がるだなんて」


「はい、私共の支店長も不審に思い調べてみると、どうやらピタゴラ帝国から砂糖が入ってきているようです。実物を手に入れて試した所、ヒューパの物と同じ品質で同じぐらいのエグさを持った砂糖だそうです。こちらがそうです」


 アルマさんが手に持っていた袋から、茶色い砂糖を手渡され舐めてみる……本当だ、うちのと瓜二つの味だ、甜菜大根で作ったエグみまで同じだよ。

 ……って、え?

 これって私達と全く同じ製法で作っているって事じゃない……って事は。

 ……情報が漏れてる?


「…アルマさん、これって……」

「そうです、姫様が苦心をして開発した砂糖製法が盗まれています」

「盗み、私の製法を書いた資料が持ち出されたって事なの……いや、今日もその資料を見て製法の工夫を考えていたところなのよ、資料は残ってるし、開発と製造は機密保持のために身内だけでやっていて他人は関わってないはず、いったいどうやって?」

「分かりませんが、近くに潜り込まれているのは間違いなさそうです、ですので大変心苦しいのですが、製造に関わった彼女達を呼んで頂けないでしょうか……」


 んー、それって家の子達の中にスパイが居るから、尋問する気なのか?

 ……

 絶対ダメ!

 中世風の尋問って酷いことするに決まってる。絶対に許さんっ!


「冗談じゃないわよ、私の可愛いあの子達を疑う気? あの子達に指一本でも触れたら許さない」

「いえ、それ程・・・手荒い真似はいたしません、何人かに話しを聞くだけです」


 それ程?

 それ程とはどれ程だ?


「却下します、私の直属の家来への尋問などもってのほかです、他の方法を考えてください」

「他の方法とは?」

「例えばですね、えーっと……この手のスパイには、中間で連絡をしたり、工作をする機関が有るはずです、すでにヒューパの街に作られているかもしれません、そうに違いありません、至急探索してそちらを叩き潰す方が先です。もし、うちの子達に関係していたとしても、騙されているか脅されて言うことを聞かされているに決まってます。あの娘達に何かしたら絶対許さないから」


 ちょっと私は興奮気味だ。


「ですが、それだと今のヒューパの戦力では到底足りません。街中の探索を行うのにゲネス達を使うには問題が有ります」

「問題とは?」

「本来魔獣対応が彼らの仕事ですし、探索だけをやらすと春先に行う魔獣の駆逐期に間に合いません。春に魔獣が子産みをする時期に合わせて駆逐せねば、その地区の魔獣濃度が上がります。これは開拓地にとっては死活問題です」

「なら、これを期に兵を増やせば良いではないですか、ヒューパの兵力が少なかったのは、貧乏だったのが原因ですが、現在のヒューパの財政状況は好転しているのに増やさないのがおかしいです、治安維持のためにも街を巡回する兵は必要です」

「ですが今のまま、姫様の近くに間者を放って置くわけには」

「良いんです、今は泳がせておいてもっと大きな魚を釣り上げるつもりでいてください。私の方も気をつけて見ておきますから」


 ……


 結局この日の話し合いは物別れに終わった。

 認めたくはないが、私の周辺に情報を漏らす者がいるのは間違いなさそうだ……

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