第6話 メロウ・セレナーデ
遥か高い天井にはシャンデリアが煌めき、所々に置かれた円形のテーブルには中央に装飾を施された燭台が建てられている。
敷き詰められた絨毯は厚手で、歩けばふかふかと音を立ててもおかしくないほどである。
華やかな会場で執り行われている大規模なパーティ。
そこには多くの著名人が出席していた。
財政界からは世界に名だたるセレナーデ銀行の頭取、それを囲むのは派閥の重役。
政界からは若くして事業に成功したカリスマ政治家。
就任したての国防省の大臣。
芸能界からはメディアに引っ張りだこの人気若手女優、ベテラン俳優、受賞した賞の数えきれないアーティスト。
アスリートで言えば国際大会の現役金メダリストや、伝説とまでいわれるへヴィ級チャンピオン。
警視総監から近隣諸国の大統領まで、まるでその時代を象徴する人物の見本市のような会場に、取材に来ていたマスコミ関係者は慌ただしく走り回っていた。
テーブルに彩られた料理は、世界で一番予約が取れないと称されるレストランを経営していた天才料理人、フェラン・アカペラの指揮のもと、雑用まですべてが三ツ星シェフにより配され隙が無い。
また、合わせて出されるワイン・シャンパン、果ては水に至るまで、そこにあるものは、全てが全て文句のつけようもないくらい一流であった。
それらを見渡すように悠然と主賓席につく少女。
少女の元には各界の大物が代わる代わるに恐れながら挨拶をしに訪れていた。
一着で高級住宅が買えるほどのドレスを身につけた少女の名はメロウ・セレナーデ。
血筋を辿れば貴族にあたるセレナーデ家は、長い歴史を紐解けば、五人の兄弟による銀行業での経営の成功に始まり、その後に鉄道、食品、重工業、貿易、石油、化学事業と、時代とともにあらゆる分野に系列企業を拡大してきた。
メロウは永年に渡り受け継がれてきた、現セレナーデ財閥当主、ヴァンド・セレナーデの一人娘である。
メロウは慣れた口調で丁寧に、上品に、そして時には慈愛を持って次々と頭を下げに来るゲストを一人づつ対応していく。
その幼い見た目とは裏腹にすでに慣れたものである。
また一人、メロウの元に赴く。
目の前で深々と膝まづくその女性もまた、ファッション界の大御所だった。
「メロウお嬢様、本日はおめでとうございます。デザイナーのフェデリコ・ソカと申します。本日はお招きいただきまして大変光栄に感じております」
当然ながらフェデリコを呼んだのはメロウではないが、当然ながらメロウはそれに話を合わせる。
「ご足労下さって、感涙にむせびますわ。どうか、その得難い頭をお上げなさってくださいまし」
「いえ、恐縮ですが、メロウお嬢様に頭を上げてお声をかけるなど、許されざる事でございます」
相手の顔が見えずとも、メロウの暖かく包み込むような微笑みは変わらなかった。
「是非、次のパーティでは私のドレスをデザインしていただきたいですわ。宜しくお願いしますわよ」
「未熟な私如きにそのような勿体なきお言葉、このフェデリコ、もう思い残すことはありません」
「まあ、フェデリコさんたら、大げさですわ。ところで、その手に持っている物はなんですの?」
メロウはフェデリコが隠すように持っていた小さな宝飾箱を指定した。
「メロウお嬢様の十四歳のお祝いにと思いまして、私が手掛けた指輪をお持ちしました」
フェデリコは宝飾箱を開き、大粒の金剛石が一際輝く指輪をメロウに差し出して見せた。
「まあ、よろしいのですか? 有り難く受け取らせていただきますわ」
その光景を見ていた、メロウの後ろで控えていた執事がメロウに話しかける。
「お嬢様、宜しければ早速付けてみてはいかがかと」
執事はメロウの返事を聞くまでもなく、フェデリコからそれを受け取り、メロウの指にはめて見せた。
指輪を付けるとメロウのすらっと美しい指が、更に美しく見える。
「大変良くお似合いです、お嬢様」
フェデリコは指輪を付けたメロウに最後にお礼とお辞儀を丁寧にし、メロウの元から下がった。
指輪は時価にして数億と、貧困にあえいでいる一般的な人々からしてみれば、眉唾ものの値だったが、それでもフェデリコからしてみればなんてことはない投資額だった。
メロウがフェデリコのデザインした指輪をしている姿が記者に撮られれば、それだけでフェデリコのデザイナーとしての格は神格化される。
決してあの指輪はメロウの事を思っての贈り物ではなかった。
その意図を察した執事は、フェデリコの事を思い指輪をつけさせたが、メロウも心の内ではそれに気づいていた。
会場にいる全ての者はメロウ・セレナーデという存在を知っていた。
しかし、メロウは会場にいる全ての者の存在を知らなかった。
このパーティの趣旨は、セレナーデ財閥の跡取り、メロウの十四の誕生日を祝う事であるが、会場にいる著名人はおろか、主催したセレナーデ家ですら、心からそんな事を祝う人間などいなかったのである。
ステータス、交流、接待、売名。
会場にいる人間の頭にはそれしかない。
そんな事を理解してしまっているメロウにとっては退屈で、まるで意味のない時間である。
だが、それでも。
生まれた時からセレナーデ家の人間であるメロウはそんな事を微塵も表に出さず、当主であるヴァンドの娘を完璧以上に演じ切っていたのである。
また一人の男が、メロウの元に謁見に向かう。
その男は若くして議員に当選し、その後、大型プロジェクトを成功に導き地位を固めた男。
今年で四十二になるカリスマ政治家だった。
男はメロウの前に立った。
そしてそのままメロウを見降ろした。
「??」
一向に膝まづかないその男にメロウは首をかしげる。
この会場に集まる人間は一流も一流。
最低限のマナーは身にわきまえているのが当たり前である。
主催者側の人間、引いては今日の主役と呼べる人物の目の前で呆然と立ち尽くすなど、あり得ない。
慌てて執事が口を挟む。
「お客様、ど、どうなされましたか?」
「いや失礼、なんとお声をかけようかと考えてしまってな。なにしろ私は大学には行かなかったもので。誕生日おめでとう、メロウちゃんとでも言えばいいのかな?」
「な、なんと無礼な! お下がりなさい!!」
執事が声を荒げて男に命令した。
その声は会場内に響き渡り、近くにいたものは何事かとそちらに顔を向けた。
男はにやりと笑ってメロウと目を合わせた。
あまりに不気味で不吉なその顔はメロウを不安にさせる。
「下らないと思わんかね。お嬢さん」
「くだらないとは、一体なにを言ってますの?」
「ここにいる全ての人間の事だ。皆本心を隠し、君に気に入られようと別の仮面をかぶって舞踏会に参加している」
誰もが心に思うものの、決して口に絶対に出せないことを、あろうことかメロウの目の前で平然と言って見せた。
「あなた! いい加減に――」
男を下がらせようとした執事を、メロウは手のひらを掲げ止めた。
「おもしろい意見ですわね。仮にそうだったとしても、それが社会の常というものですわ。私は下らないとは思いませんわね」
「とても十四の娘から出たセリフとは思えないですな。お嬢さんの仮面を剥がす事など、誰にもできんのだろう。君からは一念不動を感じざるをえない」
メロウの顔は、男が来てから今までずっと、変わらず微笑み続けたままだった。
男はメロウに強烈な印象を与えようと、わざとここまで目立つ行動を起こした。
だが、メロウの動揺などまるで誘えなかったことに一人で納得し、その場を去ろうとした。
「お待ちなさい」
メロウの呼びかけに男は立ち止まった。
「礼儀を知らないのならご教授いたしますわ。最初に話しかけるとき、自分の名を名乗るのは最低限の基本ですわよ」
「これは失礼。いつも名乗り忘れてしまうものでね。私の名はセルゲイ・オペラと言う。決してお嬢さんに敵意があるわけじゃないんだ。すまなかったね」
メロウはセルゲイには二度と会いたくないと思ったが、それはメロウの運命が許さなかった。
抗う事すら許されない。
自分の人生における選択肢など、メロウは一つとして持ってはいないのだから。
*** *** ***
「おまえには一度レクイエムに入ってもらう」
メロウの誕生日から一週間後。
突然、屋敷の主、ヴァンドに呼び出されたメロウは耳を疑った。
レクイエムは刑務所である。
世間知らずのメロウであったが、それくらいは知っていた。
当然メロウには身に覚えのない話だった。
実の父にいきなり課された命令。
なぜ自分が、なんの目的が、危険ではないのか。
頭に過った質問より早くメロウは即座に答えた。
「わかりましたわ。お父様」
幼少期からメロウはセレナーデ家の激務をこなしつつ、完璧な教育をなんの文句も言うことなく受け続けていた。
なぜならばメロウはただでさえ嫌われている父親に、これ以上更に嫌われることを恐れていたからだ。
ヴァンドは愛妻家であった。
相手は政略結婚で選ばれた妻であったが、他には目もくれずにヴァンドは妻を愛し、同じように愛された。
メロウと同じく子供の頃から腹のわからぬ大人たちに囲まれて育ったヴァンドにとって、結婚してからの日々は幸せの一言に尽きた。
やがてヴァンドは妻との間に子を授かった。
妊娠中に中の子は女であるとわかり、跡継ぎの為に次は男を生まなければと妻と楽しそうに語っていた。
だがそれは叶わなかった。
メロウの出産時、母体の方が持たなかったからだ。
それは極めて稀な症状であり、どれだけ金を積んでも、だれにも、どうすることもできなかったが、その事実がメロウの人生を大きく変えてしまった。
メロウが生まれた事で妻が死んだという事実だけは変わりようがなかったからだ。
ヴァンドは自身の両親と同じく、メロウに対して愛情を持てなかっただけでなく、憎悪さえも抱くようになった。
メロウが言葉を発する年齢に達したときにはすでに、娘とすら、人間とすら思わなくなっていた。
世間体の為のマスコット。
十八になれば政略結婚をさせて、今度こそ跡継ぎをセレナーデ家に引き入れる。
亡き妻を想い、再婚をしなかったヴァンドから見たメロウはそのためだけの道具だった。
過去にセレナーデ家は、レクイエム建設において莫大な資金援助をしていた。
正確にはヴァンドの父がセルゲイと提携し、一大プロジェクトを成し遂げたのである。
レクイエムは世界の刑務所として成功し、それによりセレナーデ財閥はさらに繁栄した。
だがしかし、設立から十九年経ったレクイエムに、非人道的な行為が行われているのではないのか、なぜ中の様子を公表しないんだと、疑問を唱える人間も不安からか少なからず出始めてきた。
その打開策として、セレナーデ財閥のご令嬢を管理者としてレクイエムに入れることにより、世間にレクイエムの安全性とクリーン性をアピールしようとセルゲイは考えたのだ。
だからといって娘を危険なレクイエムに手放す人間などいないだろう。
ましてや、将来有望なセレナーデの人間である。
通常そんな提案をしても受け入れられることはない。
だが、セルゲイは誕生パーティの時に、年端もいかぬ娘に洗脳にも近い教育をしてる事で、すでに見抜いていた。
メロウがヴァンドに愛されていない事を。
メロウがヴァンドに憎まれている事を。
メロウがヴァンドに死を望まれている事を。
セルゲイは言葉巧みにヴァンドを懐柔した。
何せレクイエムはいつどんな形、イレギュラーで不幸が起こってもおかしくない所である。
ヴァンドにとってそれは悪魔のささやき、そして天使の誘惑に聞こえたに間違いない。
そんな思惑をメロウは知る由もなかった。
ただ父親の命令に従うだけである。
まるで人形や、機械のように。
メロウ・セレナーデは生まれながらにして、人生の全てを他人に決められ、受け入れていたのである。
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