第20話 ララ・ゴシック

 少女は生来孤独だった。

 生まれてからすぐに父親、ほどなくして母親から引き離された。

 両親から嫌われていたわけではない。

 むしろ少女は二人から精一杯の愛情を注がれていた。

 予期せぬ事態だったとはいえ、我が子がかわいくないなどとは、絶対に口にしない、優しい両親だった。

 しかし少女は生まれた環境、場所が最悪であった。

 運命と言う一言で済ますには、あまりにも残酷だった。

 少女が生まれた場所はレクイエム。

 世界から隔離された刑務所である。


 それでも両親は必死に抵抗した。

 我が子を連れていかないでくれと、その子は私たちの希望であると。

 だがそれは許されなかった。

 許されるはずがなかった。

 刑殺官と呼ばれるレクイエムの女職員は、二人から少女を無理やり引き剝がし、そして外の世界へと連れ去って行った。

 それがレクイエムの規則であり、刑殺官は、当然の職務を全うしただけである。


 外の世界に連れていかれた少女は幼少期を政府の施設で過ごす事になる。

 成長し、言葉が話せるようになると、実の両親の親類だと言う男が少女の前に現れた。

 施設は男の身柄を確認し、確かに血が繋がっている事が判明すると、少女をその男へと明け渡した。

 だが、当の少女自身には理解できていなかった。

 なぜ私はこの男に引き取られるのだろうと。

 なぜ両親が自分を迎えに来ないのだろうと。

 少女の年齢を考えれば、無理もない話だった。


 少女の名前はララ・ゴシック。

 彼女は生まれながらに、レクイエムに関わりのある人生を歩むことになる。



*** *** ***



 十の誕生日を迎えた頃、ララと男は慎ましく暮らしていた。


「ララ、悪いねえ。なんにもしてやれなくて……」


 施設から引き取ってから、男はララの事を常に気遣っていた。

 幼くして両親と離れた少女。

 なるべくよくしてやりたいと考えていたが、男にはそれができる余裕などなかった。

 施設よりはましとはいえ、住む家は雨風を防ぐだけの一部屋のボロ屋であり、食事は質素なもので、学校にも通わせられなかった。

 それでも、それは男が必死で働いて得る全ての物であり、ララもそれを感じて何も言わなかった。

 男にララを引き取る義務などない。

 むしろ男にとってはララがいない方が金銭的な余裕が出来る事は明白だったのだ。

 ララは男に微笑み、こう答えた。


「ううん。いつもありがとう。ドドおじさん」


 今日、十歳の誕生日を迎えたララは何の不満も抱いていなかった。

 金は無く、貧しい生活を送る事になろうとも、ララはまた、一人孤独の闇に戻る事を恐れていたからだ。

 ララの温かい返事を聞いて、『ドド・ゴシック』は申し訳なさそうに頭を掻く。

 ララがドドに擦り寄ると、受け入れるようにドドは優しく抱きしめた。

 本当の親子ではないにしろ、二人は幸せで、狭い家はいつだって暖かかったのだ。


 ララは昔、一度両親の事をドドに尋ねたことがあった。

 私の両親は今どこにいるのかと。

 ドドはその返答に困り、ララに両親は亡くなったと嘘を告げた。

 そう聞かせると、やはりララは悲しむだろうが、それでも父親、母親。

 二人ともレクイエムに入れられた大罪人であると告げるよりはましだろうとララヲ気遣っての優しさであった。

 なにより二人は二度とレクイエムから戻ってくることはないと、ドドは知っていた。

 淡い期待を持たせ、それに執着させるよりも、ララには、自立した人生をしっかりと生きて欲しかったのだ。


 幼いうちに両親を亡くすというのはあまりにショッキングな話だが、この世界ではそう珍しい話でもない。

 そばで健気に支え続けたドドの甲斐もあり、ララは自分の不幸を年を取るたびに徐々にだが受け入れていった。



*** *** ***



「ララ、それじゃあ、おじさん仕事行ってくるから。あとよろしくね」

「うん。いってらっしゃい。ドドおじさん」


 ララは笑顔で、手を振るドドを玄関先まで見送った。

 ドドは長年町の工場で働いている。

 朝の七時には家を出て、大体夕方にはヘトヘトになって帰ってきていた。

 残業がある時には帰りが遅くなったが、どれだけ遅くなろうとも、ララは家で家事をしつつ、寝ないでドドを待つのが常であった。


 ドドの給料は多くはなかったが、この時代に仕事があるだけでもましな方だ。

 外で金を稼ぐドドの為に、ララは家の仕事は自分から行う様にしていた。

 朝、ドドが家を出たらまずは掃除をする。

 部屋自体は古く、綺麗ではなかったが、ララのおかげである程度の清潔さは保たれていた。

 その後は洗濯、買い出し、そしてドドが帰ってくるまでに晩ご飯の支度を済ませておく。


 ララは通常の十歳の子供とはかけ離れた生活を送っていた。

 本音を言えば外に稼ぎに出て、ララも家の家計の手助けをしたかったが、立派に成人した男ですら就職は容易ではない。

 ララにできる仕事など見つかるはずもなく、限られた生活費でただひたすら慎ましく暮らす。

 無力なララに出来るのはただそれだけだった。


 今日も日が沈むと家にドドが帰ってくる。

 ドドは朝には持っていなかった見たことのない手提げ袋を持って帰ってきた。

 ララが「ドドおじさん。それ、なに?」と尋ねたが、ドドはただ微笑むだけだった。


 二人が夕食を済ませると、ララはいつも通り食器を片付けるため、席を立とうとする。

 しかしドドはそれを止め、手提げ袋から中身を取り出した。

 中から出てきたのは二つのショートケーキであった。


「ララ、一日遅れちゃったけど……、誕生日のケーキだよ」


 遠慮はしていたものの、ドドはやはりララに何かをしてあげたいと思い、貴重な生活費から誕生日のお祝いとして洋菓子を買ってきていたのだ。

 普段貧しい食事をするララから見て、考えられないほど、整った造形美を見せるケーキに困惑が隠せなかった。

 一目見ただけで、ララはそれが高価な食べ物である事を感じ取った。


「私は大丈夫だよ。もうお腹いっぱい。ドドおじさんが食べて?」


 ケーキという洋菓子の事は知っていたが、ララはそれを食べたことが無かった。

 口にできる甘味物と言えば、安いジュースが精一杯。

 きらきらと輝くケーキは、まだ知らぬ、未知なる味をララに想像させ、口の中を唾液で一杯にした。


「ララ。ほら。二つ買ってきたんだ。せっかくだから一緒に食べよう?」


 ドドはケーキを取り出すと、自分と、そしてララの目の前へと一つづつ置いた。

 優しい甘い香りがララの鼻をくすぐる。

 ゴクリと唾を飲み、ララはドドの顔を覗き込んだ。


「ドドおじさん。ホントに私が食べていいの?」


 ドドは何も言わず、早く食べてとでも言いたげな表情で笑うだけだった。

 ララは夕食に使ったフォークで、それを角から少しだけ取ると、しばらく見つめて口へと運んだ。

 口の中に初めて体験する強烈な甘さが広がり、スポンジが舌を優しくくすぐると、ララは口元が緩むのを止められなかった。


「あまい……。おいしい!!」


 ドドは満足そうに笑いながらララを見つめている。

 ララはたった一口でその洋菓子に夢中になっていた。

 ケーキを口に運ぶ手が止まらなくなり、やがてララが食べ終わると、ドドは自分の手を付けていないケーキをララへと差し出す。


「僕はもうお腹いっぱいだから、これもララに食べてもらいたいな」


 それはララと同じく、互いを思いやる上での嘘ではあったのだが、一概に全てが嘘だとは言い切れなかった。

 ドドは、幸せそうにケーキをほおばるララの笑顔に、腹は満たされずとも、心の方は確かに満たされていたである。

 ララは自然と涙ぐんでしまった。

 無償で優しくしてくれるドドに申し訳なさと、ありがたさと、そしてなにもできない自分の無力さを再び感じてしまったからだ。

 と、その時である。



――ドンドンドン



 いきなり家の戸が誰かに叩かれた。

 この家に人が訪ねる事など、大家が家賃を取りに来る時くらいだが、しかし今は夜である。

 その可能性もないだろう。

 ドドはララの元にケーキを置くと「だれだろう?」と玄関へと向かった。

 ララは差し出された、美しく、キラキラ輝いて見えるケーキを見つめる。

 これから先、二度と食べれることはないのかもしれない。

 だが、それはきっとドドにとっても同じことである。

 ララはそのケーキには手をつけず、そっとドドの元へと戻したのだった。



 ――パンッ



 急にララの耳に入ったのは発砲音だった。

 慌ててその音のした方向へとララは目をやる。

 そこには、玄関の戸を必死に押さえつけるドドの姿があった。

 ララはなにが起こったのかわからず、ドドの元へと向かおうとした。


「ララ! こっちに来ちゃだめだ!」


 よく見ると、ドドの足からは血がポタポタと垂れていた。

 非現実的な光景にララは全身から血の気が引き、本能的に叫んだ。


「いやあああああああああああ!!!」


 ドドの必死の抵抗も虚しく、玄関の戸は蹴破られ、複数の男たちが家の中へと入ってくる。

 男たちはララの姿を目にすると、互いに確認し合うかのように何かを話し始めた。


「おい。確認しろ。こいつが例の娘か?」

「間違いありません。ララ・ゴシックです」

「連れてくぞ、さっさと準備しろ!」


 男たちが目の前で何やら話す中、全身をカタカタ震わせララは座り込んだ。

 ドドは縋りつき、部屋の奥へと向かおうとする男たちを必死に止めていた。


「ララに手を出すな! その子は関係ないだろう!!」


 しつこく抵抗するドドの脳天を、一人の男は手に持った銃で殴った。

 ドドは頭からドクドク血を流し、その場に倒れ、動かなくなった。


「いや! ドドおじさん! ドドおじさん!!」


 何が起こっているのかさっぱりわからない。

 ただ一つ、ララは直感した。

 今この場を離れたら、自分は二度とドドには会えないと。

 ララは涙を流しながら、動かなくなったドドに叫び続ける。


「おい、これ以上騒がれたら面倒だ。早いとこ黙らせろ」


 一人の男がスタンガンを取り出し、抵抗するララに押し当てた。

 バチッ、っという音とともにララの叫び声は聞こえなくなる。


「手間かけさせやがって。さっさと連れてくぞ」

「なにやってる! 早く袋、用意しろ」

「入れたらすぐに車まで運べ」


 気絶したララは、男たちが用意した大きめの麻袋に入れられ、部屋から連れて行かれてしまった。

 静まり返った部屋に残ったのは、微動だにしなくなった一人の男と、その部屋には似つかない、キラキラ光る一つのケーキだけであった。

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